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長命種族と短命種族(3): 不老不死を捨ててでも愛するあなたと生きてゆきたい

不老不死である超常の存在が有限の命を持つ人間を愛してしまう物語は世界中に普遍的に存在します。

本当にどこにでもあるということは、寿命とは人間の最大の関心事なのです。

有名な創作童話アンデルセンの創作童話「人魚姫」もまた寿命がキーワードとなる物語。

アンデルセンの設定の人魚たちは不老不死ではないけれども、三百年の寿命をもつ長命種族。

人魚は寿命が尽きると泡になって消えてしまうけれども、短い人生の人間は死んでしまうと肉体は滅びても魂を持って天国へと昇って行けるという。

ご存知のように、失恋した人魚姫は最後には泡になって消えてゆく。

でも原作には続きがあり、泡になった人魚姫は空気の精になって死んでしまうことはなく、そのまま大気の一部となって空を漂う精霊になるのです。

キリスト教文化の文脈上で書かれた物語だけに、人ではない人魚姫は、人間だけが辿り着ける天国に憧れを抱いて大気の中に消えてゆく。

これは一例ですが、不老不死な超常の存在が人間を愛して人間のように生きて死にたいという物語で着目すべき点は、不死や長命の存在が短い一生しか持たない人間に惹かれてしまうという部分。

長すぎる人生を生きる種族や存在から見れば、人間の一生は密度が高くて完全燃焼しているように見える (実際には全ての人がそうではないのだけれども)。

だから彼らは人に憧れる (短い命の自分たちの生涯を肯定するための創作とも言えるのだけれども)。

こういう設定、これまでの投稿でみてきたように、生きるとは何かを考える上でとっても役に立つんです。

不老不死の物語を知る有意義さは、物語の設定の逆説から学べる可能性。

生きるとは何かを知りたければ、死んでゆくことの意味を考えればいい。

宗教学では、死後の世界をどう規定するかが宗教の定義なのだと言います。

だから宗教には意味がある。

死後をいつだって考えていることで、今ここにある生が意味深くなるのです。

人の命の短さを学びたければ、人の命が永遠だったらという仮説を立ててみればいい。

きっとそれが長命種族エルフの存在意義なのだと思うのです。

「ダンジョン飯」Delicious in Dungeon

前回語った「葬送のフリーレン」とは全く異なる、中世魔法ファンタジー漫画「ダンジョン飯」が2023年12月、月刊連載ということで2014年から9年という長い時間をかけて、全14冊として見事に完結しました。

大人気漫画なので、いまさら紹介するまでもないのですが、大変に完成度の高い作品。

レッドドラゴンに食べられてしまった妹(ゲーム的な職業としては僧侶)を蘇生させるために、勇者格の兄が苦難の末に妹を救い出すという物語は、最後には巨大なレッドドラゴンをみんなで食べてしまうことで見事に完結。

最終巻発売に合わせて待望のアニメもスタート!

アニメ版もまた大傑作になること間違いなしの大傑作です。

ドラゴンクエストなど、中世魔法ファンタジーの世界観に親しんでいる人ならば、誰でも大笑いできるという作品。

前回紹介した「葬送のフリーレン」は過ぎた時間を回顧することで時の深さを考える、ゆっくりと時の流れる深いアダージョのような魔法ファンタジーならば、「ダンジョン飯」はアップビートでアレグロな最高級の大喜劇!

映画館でアニメ三話分で先行公開されているということですので (来年一月からテレビでも放映されます)、興味をお持ちの方は是非ともどうぞ。

PVだけ見ても、もう大傑作だなと予感せずにはいられない。

原作の出来の素晴らしさは保証されていますので、あとは原作に忠実で余計な改変はしないで、少しばかりアニメならではの新しいエピソードなどが盛り込まれると嬉しいですね。

ネタバレしては悪いので、物語については詳しく書かないで、物語のテーマだけを論じてみます。

ダンジョン飯の面白さ

ダンジョン内で自給自足して、つまり魔物を食して冒険をするという設定は本当に素晴らしかった。

魔法ファンタジーの体裁をしていながらも、健康的に食べることの大切さを学べる名作漫画なのです(笑)。

食料を見つけるのさえ苦労するはずなのに、健康的な栄養摂取を意識して冒険しているのです。

料理蘊蓄も随所に盛り込まれているし。

「ダンジョン飯」の冒険者のパーティー (旅の仲間、冒険チームのこと)は、

  • 他人種からトールマンと呼ばれる普通の人間ライオス

  • 子供のような容姿のホビット (ハーフフット) のチルチャック

  • エルフの母親と人間の父親を持つハーフエルフのマルセル

  • 短躯のドワーフのセンシの四人。

つまり、トールキン・ファンタジーの基本の四人種たちが主人公。

死んだ生物を蘇生できるという
ファンタジーならではの設定は受け継ぎながらも
冒険するにはお金が必要、
食料が必要という当たり前のことを
しっかりと考える
旅行にゆくにはお金がかかるのですが、
多くのファンタジー物語は
この部分を無視していて非現実的
この漫画のすごいところはここ!

そんな異質な彼らが共に旅をするのです。

ちなみにHalf Foot ハーフフットは小人族ホビットの一タイプだとされています。

そもそもホビットという名称は「ロードオブザリング」のトールキンの発案らしく、伝承においては「小人族」が彼らの通称。英語でHalfling ハーフリング。

ハーフリングとは人の半分の大きさの意味の蔑称なので、トールキンの小人族は自分たちを誇り高くホビットとよぶのです。ハーフフットも人よりも足のサイズ半分という好ましくない呼び方。

違う人種に違う種族、違う文化、それぞれの持つ価値観の相違がとても面白いのですが、わたしはエルフのマルセルが長命種族と短命種族の寿命の差を克服させたいと願う部分に注目して読んでいました。

種族ごとに食べ物の好みも違う。人間は総じて雑食系。なんでも食べる。だからゲテモノの魔物も食べてみたい。エルフは基本的にベジタリアン。

というわけで、物語のヒロイン(?)、マルシルは魔物食を極端に嫌がる。

まあ我々もバッタやコオロギやセミやサソリは食べたくない。

でも野生でサバイバルするならば、選り好みはできないのかも。

昆虫食は栄養価の点では素晴らしいのに、食べなれていないものを口にすることは抵抗ありますね。

「ダンジョン飯」はゲテモノ好きなリーダーの率いるキャンプみたいなものかも。

「魔物食べるの、いやだー!」と泣き叫ぶマルシル
3D化してみた

長命種族エルフのマルセルの苦悩

本作は西欧中世ファンタジーなので、数多くの長命種族の生物が登場しますが、物語の核心となるのは主人公の一人の長耳エルフのマルシル。

多分、マルシルはこんな風?
長い耳の先をもっと丸くすればよかった

ライオスやマルシルたちが迷宮に潜ったのは、前述したようにレッドドラゴンに食べられてしまった仲間のファリンを蘇生させるためでした。

ファリンはマルシルの学校時代の親友ですが、これまで友達というものを持てなかったマルシルは、いつまでもファリンのようにお互いを理解し合える誰かとずっと一緒に生きていたいと願うのです。

彼女がこれまで友達を持てなかったのは、人間とエルフの混血という不思議な出自のため。

この物語では、エルフの寿命は五百年くらいと設定されていますが、ウマとロバの混血種のラバがウマやロバよりも頑強で長生きであるように、ハーフエルフの彼女は普通のエルフよりも長生きなのです。

from Wikipedia
「王様の耳はロバの耳」という言葉が悪口になるように
直立したロバの耳はとても目立って特徴的なのですが、
頑強なウマの体にロバの耳がついているのがラバ Mule
ウマの耳はもっと短いですよね
ウマの大きな体とロバの持久力を兼ね備えた運搬のエキスパーなので
古今東西を問わずラバは重宝されてきました。

さらにはラバ同様に、異種交雑ゆえにハーフエルフのマルシルには子を産むことはできないのです。とても悲劇的な出生ですね。

物語後半で明かされることなのですが、異常な長命のマルシルの願望は、みんなと一緒にいつまでも生きていたいということ。

八尾比丘尼にはなりたくないのです。

食欲という耐えることのない欲求

「ダンジョン飯」はグルメ漫画ではなく、食欲を語ることを敷衍させて、人間の欲望とは何かをも考察します。

生きている限り、人は食べ続けて、満腹になっても、しばらく経てば、また空腹を感じる。

食欲という欲求には終わりがない。

その欲求が悪魔という形で具現化したのが、物語の中の翼を持つライオンの姿をした悪魔。

自分の言いなりになった人間の全ての願望を叶える、迷宮を作り出す悪魔「複翼の獅子」は、人種間寿命差による別れを避けたいというマルシルの願いを叶えて、迷宮の中でのみ、この願いを叶えさせて、迷宮の住民を不老不死にする約束をする。

第十二巻より

短命種族の人間たちは、しっかり食べて規則正しく寝て適度の運動を摂れば、健康的で長生きできるというけれども、先天的な種族の寿命の差はどうしようもない。

長すぎる人生は退屈なので、誰かと一緒に過ごすことが必要なのです。でも誰でもいいわけじゃない。

だからマルシルは悪魔に魅入られてしまう。

マルシルの願い

普通の魔法ファンタジー漫画は、大抵は魔法など超自然の力を使うにせよ、基本的に格闘技漫画です。

仲間と協力して、強敵をいかに倒すかが面白い。

ロード・オブ・ザ・リングにしても、物語の中核にあるのは、エルフやドワーフやオークや人間たちの権力闘争。

つまり人間世界の戯画。エルフやドワーフや人間たちの関係から現実世界の宗教紛争や人種対立を想起することは容易なことです。

しかしラスボスの指輪に封じられた魔王サウロンの存在は違います。

サウロンは人の心の欲を支配する。ここにトールキンの物語が凡百の魔法ファンタジーと本作とを決別する要素があるのです。

サウロンは単なる物理的な戦闘では倒せない。

世界を支配したいという欲に打ち勝たないといけないのです。心を支配する悪魔なのだといえるでしょう。

おそらくサウロンもゲルマン北欧神話の「ニーベルングの指環」にインスパイアされたものでしょう。

指輪を所持すると男性ならば世界を統べる力を得る、女性ならば愛する人の心を永遠に自分に繋ぎ止めることができると。つまり心を支配できるようになる。

男女の欲望さが明確に規定されていることが古代神話の洞察ですね。

女性の欲望はいつまでも愛されたいということ。

男は何かを愛しても次から次へと対象を変えてゆくので、世界の全てを支配して、なんでも好きなようにしたい。

しかしながら、誰かとの関係性を本能的に何よりも重んじる女はいつまでも愛し愛される関係を願うのです。

BLも含めた、いわゆる少女漫画は誰が好きだの嫌いだのという愛の関係をいつまでも物語る。

そしていつまでも終わらない。

典型的な男性漫画は目的解決を最終目標とする。

というわけで「ダンジョン飯」の長命種マルシルが望むことは、いつまでも友達や家族と一緒に毎日楽しく面白おかしく暮らしてゆきたいのです。

一緒にたくさん笑ってたくさん泣いてたくさん仲直りしてたくさん食べて。

欲望は叶ってしまえば、人は人生の目標を失ってしまう。

善人だった若いエルフの魔術師シスルは満たされてしまった欲望世界を守ることだけに生きるようになって狂乱の魔術師と呼ばれるまでになってしまった。

ちなみに英名はThistleで植物の「アザミ」という意味。カタカナから外国名の類推は不可能です。

食べて泣いて笑って寝るだけの人生は、むしろ何かを欲しいと願い続ける人生よりも心地よいものなのかも。

本当に楽しい人生ってなんだろうか。

いつまでも果てることのない飽きることのない欲望とは?

聡明なマルシルの願いは全ての人にとっても切実です。

女性である彼女は情緒豊かで本当によく泣く。

長期休暇で時間ができたので、第一巻から読み直してみて、マルシルは本当に女性的でたくさんの感情を持っている人なのだとつくづく感じ入りました。物語の中で彼女は本当によく涙を流す。

作者の九井諒子さんは女性なので、マルシルの人格造形は本当に見事ですね。

作者の分身なのかもしれないですね。

前回紹介した、男性作家が書いた「葬送のフリーレン」の女性エルフのフリーレンは、男性から見た、いわゆる「不思議ちゃん」な女性。

人間だとすれば感情を外に出さないタイプのアスペルガーですね。

わたしも男性なので、フリーレンのキャラ造形を、男性が外から観察した女性像だなと思わずにはいられない。

そしてきっと女性読者は、おそらく彼女の人格にあまり共感もしないし、感情移入もしない。

わたしは、おしゃべりで半日でも喋らないと死んでしまいそうな妻と、非常に感情的で切実に誰かに愛されたいと願い始めた思春期の中学生の娘と毎日暮らしているので、マルシルの女性らしさがよくわかる。

愛されたい、いつまでも愛されていたい、そして愛したい。愛する人を失いたくない。

これが寿命の話を通じて見えてくる、誰よりも長生きする定めのマルシルの真実。

人間嫌いで魔物オタクの単純なライオスとは違うのです。

初代ドラゴンクエスト(ファミコンゲーム)を思い出させる悪魔の言葉
「もし、わしの味方になれば、世界の半分をお前にやろう」に通じます
パロディでしょうか
悪魔と契約すれば悪魔に支配されてしまうのはご存知の通り
コミックス第十三巻より

最終的に主人公ライオスは物語をハッピーエンドの大団円に収めてしまいますが (呪われてしまうのだけれども) 、短命なライオスから見れば不老不死のようなマルシルが今後どんな生き方を選んでゆくのか、それは語られないで物語は終わるのです。

ライオスたちが天寿を全うした後に、彼女は再び新たな友達となれる仲間を探して、たくさん笑って泣いて食べて幸せに生きて行けるのか。

愛犬を弔ったわたしは彼のことを決して忘れないけれども、愛犬のいない人生はどこか余生のようです。

愛猫もまた、わたしよりも早くに天に召されてゆくはずです。

それが世の常なのだから。

愛玩動物はともかく、まだ老齢でも健在のわたしの両親も、子どものわたしよりも先に逝く。

愛する人のいない世界。

ああ生きるって切ないですね。

でも愛する人たちやペットと生きた楽しかった時間は、やはり思い出せば我々を楽しませてくれる心の財産。

たくさんの心の財産を抱き続けている人は、やはり幸せな人です。

マルシルはそんな生き方をして行けるならば、やはり千年を幸福に生きてゆけるのでしょうか。

美味しいものをいつまでも食べてゆけるならば。

食卓に誰か一緒にご飯を食べている人がいてくれるならば (孤食はいけませんよ)。

その誰かがいつも同じ相手でなくても。

どんなに食べても健康である限り、やがてはまた空腹になる。

空腹になってご飯を食べるとやっぱり何度食べても美味しいものは美味しい。

西方エルフの国から治安維持のために派遣されたカナリア隊の隊長ミスルンは、悪魔に復讐するために生きてきた人でしたが、悪魔がライオスに倒されたことを知ると、生きがいを失ってしまうのです。でも後述すカブルーに新しい欲求を持つ意義を説かれて、また生きてゆこうとする。

マルシルの今後の生き方のヒントはここにあるのでは。

空腹過ぎたら欲求は欲望という怪物になってしまうのだけれども、バランスよく食べて楽しく生きよう!ということが本作の首尾一貫したテーマでした。

絶えざる欲求とは美味しいものを食べたいということ!

「ダンジョン飯」万歳!

ダンジョン飯、本当に読めてよかった!

わたし的には魔法ファンタジー開祖のトールキンの「ロード・オブ・ザ・リング」にも匹敵する大傑作です。

ビタースウィートな余韻はトールキン作品には及びませんが、最後まで生き残るマルセルのことを思うと、これではまだ物語は終わらないような思いもしなくはない。

アニメ放送が楽しみです。

あと、作者九井諒子さんは猫好きですね。

猫そのものにわがまま勝手なイヅツミの名言
束縛から解放されて自由になれても
好きなことだけして生きてはゆけないことを悟った彼女
コミックス第十四巻より

物語中盤まで登場しないキャラに、半人半猫の獣人イヅツミがいるのですが、彼女の猫らしさは正真正銘の猫好きの観察眼に基づいているように思えます。

とても素敵なキャラです。

少しリアルにして彩色してみたイヅヅミ
でも原作の彼女は猫耳キャラではなく、全くの猫です

人間嫌いのライオスと対極の、気難しいエルフからドワーフ、オークたちまで全ての人種の心に通じてしまう、人間観察することが大好きな、エルフに育てられた人間のカブルーもいい味出していますよね。彼の人間への深い関心は自分もまた学ぶべきものがあるように思えます。

他にも魅力的な人たちでいっぱいの「ダンジョン飯」は、さりげなく深いテーゼも含んでいる、楽しくてお腹の減る素晴らしい物語です。

今夜は漫画を読んで食べたくなったアクアパッツァAcqua pazza を作ります。

素材は原作のように魔物 (ゲテモノ) ではなく、白身のお魚にします(笑)。

美味しいものを楽しく食べていると、天寿を全うするまで楽しく生きてゆけそうです。天寿の長い短いは人それぞれにせよ。


こちらの公式ワールドガイドもおすすめです。

作者による読み応えたっぷりのオリジナル書下ろし漫画は全巻読み終えて、物語の世界観を追体験するのに最適です。

2024年2月には、最終巻までの内容を掲載した完全版も発売されます。マルセルなどの長寿種族の人たちの今後のことが書かれていると嬉しいですね。


追記:

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。