ピアノのバッハ 11: カノンの技法
前回からの続きです。
今回はカノン特集。
題して「カノンの技法」。
バッハ最晩年の名作「フーガの技法」のもじりです(笑)。
どの楽器で演奏すればいいのかという楽器指定のない、謎めいた大作「フーガの技法」の他にも、「音楽の捧げもの」という極度に難解な曲集がバッハ最晩年の大傑作として知られています。
今回は「音楽の捧げもの」からお話を始めます。
「音楽の捧げもの」の作曲背景は以下のような具合でした。
バッハの人生の終わりのころの支援者だった、ゴルトベルク変奏曲と深い関係を持つカイザーリンク伯爵が仲立ちして、当時の覇権国家プロシアのフリードリヒ大王(二世)との一期一会の謁見が持たれたのは、バッハの死の三年前の1747年のことでした。
老バッハは長男フリーデマンとともに、次男エマニュエルが仕えている大王自慢のサンスーシ宮殿へと赴きました。
バッハは大王の前でピアノフォルテの即興演奏を披露し、その折に六声のフーガを作ってみろといわれて、準備が必要ですとお茶を濁したのでした。
六声のフーガなんて(鍵盤を弾く人間の指の数は十本です!同時に六本も抑えるのは無理!)さすがのバッハでも即興で演奏できるはずもありません。
しかしながら、主題を大王から直々に与えられたので、帰郷後、大王の主題に基づいた作品集を丹精込めて完成させて、大王に献呈したのでした。
もちろん六声のフーガも含めて。楽器指定がない曲です。鍵盤では弾けません。
このように、王様に捧げられた作品なので「音楽の捧げもの」なのです。
完成した作品は、作曲家本人によって自費出版されたほどの自信作なのでしたが、あまりにも衒学趣味に走りすぎた作品といわざるを得ない作品。
一部の隙も無駄ない超真面目な作品で大傑作ですが、ゴルトベルク変奏曲の持っているような娯楽性が皆無なのが玉に瑕なのでした。
真剣勝負こそが真の娯楽であるという見方もできますが。
おそらく瀟洒で華麗なロココ大好き人間の大王は、献呈された作品のあまりに難解さと晦渋さに当惑したはずです。
フーガやトリオ・ソナタのほかにも、「蟹のカノン」のようなバッハの数学オタク性の頂点のような作品など、10曲の超絶技巧なカノン作品が含まれています。
蟹のフーガは、後ろから逆向きに読んだメロディと初めから普通に読んだメロディを同時に演奏すると見事な音楽になるというパズルのような音楽。
「音楽の捧げもの」は、バッハが好きなわたしにも、あまりにマニアックすぎて、聴くことに身構えないといけないような作品。
楽譜を読むと勉強になり、聴くたびに打ちのめされるような深い感銘を受けるのですが。
フリードリヒ大王(二世)に関するエピソードでは次の記事が素晴らしい。
わたしはハプスブルクのマリア・テレジア女帝が好きなので、女性には継承権はない!などという言いがかりをつけて、領土を掠め取ったフリードリヒ二世がどうしても好きではなれない。
フリードリヒ二世のオーストリア継承戦争や七年戦争での領土侵略は、二十一世紀のプーチンが行ったウクライナ侵攻とまるで変わらない。
当時の人も現代のわれわれがプーチンに対して感じたような憤りをフリードリヒ大王に対して覚えたと伝えられています。
大王の作曲や、大王のフルート演奏を指導したクヴァンツや作曲家グラウプナ―、グラウン、取り巻き音楽家たちの大王の趣味に迎合した音楽にも共感できないし。
ちなみにバッハの息子エマニュエルの音楽は、大王の好みとはかけ離れたものでした。
だからでしょうか、ベルリンの宮廷でのエマニュエルの給料は、大王お気に入りのクヴァンツの半分以下でした。
エマニュエルは大王の宮廷では冷や飯食いだったのでした。
彼の才能が本当に評価されるようになるのは、ベルリンの職を辞して(1767年のこと)、ハンブルクで活躍するようになってからのこと。
ベルリンでは大王のフルート演奏の伴奏者としては高く評価されていたようですが、自身の創作の翼をはばたかせる自由ではなかったのです。
ロココ趣味の権化のような大王の作風と感情主義を標榜したエマニュエルの作風は全く相いれません。
しかしながら、上述のアンナ・アマリア皇女はエマニュエルを高く評価していたので、ベルリンを去ってゆくエマニュエルに「宮廷音楽家」の称号を与えたのでした。
よいエピソードです。
大王の妹のアンナ・アマリアには、フリードリヒ大王よりもずっと好感が持てますよね。
さて、やはりエンターテインメントなカノン作品としては、ゴルトベルク変奏曲に勝る作品はありえません。
ゴルトベルク変奏曲のカノンに唯一、勝るとも劣らぬ作品は、バッハよりも百年以上も後に作曲されるセザール・フランクのヴァイオリンソナタイ長調のフィナーレだけですね。フランクのチャーミングなソナタも聞いてみてください。
カノンは素敵なメロディが繰り返されると本当に楽しい音楽にもなりますが、作曲技法の究極ともいわれています。
そんな究極の技法に娯楽性が詰め込まれたのが、ゴルドベルク変奏曲なのです。
5. 三の倍数曲目の変奏曲はカノン
カノンは日本語で輪唱と訳される音楽。
同じ音型の音楽が時間差を伴って、歌われて奏でられる音楽のこと。
遁走曲と訳されるフーガに似ていますが、フーガは日本語の訳語から知られるように(遁走とは逃げるという意味)、同じ音型の短いフレーズが何度も何度も現れて、追いかけっこをしているような音楽。
フーガの場合、断片のような音型の主題は、最初に基本の調性で提示されると(ト長調の曲ならばト長調)、次の主題はドミナントのニ長調で提示されます。
さらに主題は違う声部から違う声部へと、イ短調になったりハ長調になったり、形が逆向きになったり、引き伸ばされたりして、わりと自由に展開してゆく音楽です。
しかしながらカノンの場合は、長いメロディ同士が絡み合っても、厳格に形を変えることなく、歌われて奏でられるのです。
短いフレーズで出来ている自由に変容できるフーガを書くよりも、長いメロディをまったく変化させないで繰り返すカノンの方が、作曲技法的により高度な技術が必要とされるのは自明の理ですね。
そんな作曲技法の究極ともいえるカノンを、一度の音程から、二度、三度、四度と順番にスタイルの違うカノンで、十種類も用意したのが「ゴルトベルク変奏曲」なのでした。
第三変奏曲、第六変奏曲、第九変奏曲と順番に、第三十変奏曲まで、三番目の曲、三の倍数番号の曲はカノンで書かれています。
第四変奏曲にもカノンに似たストレッタ(Stretta:押し合うといいう意味)が隠されていますが、ここでは曲中に規則正しく配置されたカノンのみに注目してみましょう(引用する楽譜は前半部のみとします)。
しかしながら、これほどに音が重なり合うカノンのような音楽は、音が豊かすぎるモダンピアノで弾かれると、重なり合うメロディは音の塊になってしまい、メロディが行方不明になってしまうことが多いのです。
「ピアノのバッハ」と題して書いてきた、このシリーズのテーゼは、カノンにおいては最も深刻な問題となるのです。
だからこそ、ピアノで弾くと聴き分けられないメロディを楽譜上で目で見ることは意味深く、知的に非常に刺激的です。
カノンの重なり合うメロディは、一般的にチェンバロの方が聴き取りやすいのです。
5.1 第一のカノン( 一度=ユニゾン・同音のカノン)
最初のカノンは第三番変奏曲。
リズムは十二拍子。
三つの八分音符が一拍となる複合音符なので、曲としては12を3で割った4拍子。でも三という数字がいつでも含まれているのです。
3と4が組み合わさった、ゴルドベルク変奏曲らしさが極まったような音楽。
第一のカノンでは、右手のメロディが完全に一小節遅れて、同じメロディが瓜二つのまま登場します。
こういうメロディです。
非常によく考えこまれたメロディ。
導入部はわかりやすい繰り返しで、とても美しくて歌えるのだけれども、三小節目からは不規則となり、跳躍が出てきて、あまりに器楽的で歌えない。
でも、なんとこのメロディを一音もずらすことなく(だからユニゾン)、一小節ずらして重ねると、素晴らしいハーモニーの二声のカンタービレな音楽になるのです。
わたしはMuseScoreという無料の楽譜ソフトを使用していますが、最初のメロディを打ち込んで、それを第二声として重ねてコピペすると、楽譜がそのまま完成してしまいました!
私はこの楽譜を生まれて初めて手に取って眺めてみたとき、本当に驚きました。
数学的パズルの極めつけであるといえるでしょう。
作曲とは数学なのです。
重なり合っても決してずれることのなく、不快な不協和音な音響を全く作り出さない、あまりの完璧さに呆れてものが言えません。
グールドのピアノ演奏は、ピアノ版として非の打ち所がない。
ですが、録音から我々が各声部を聴き分けるという点では、やはりオリジナルのチェンバロには敵いません。
グールドの録音は改造ピアノを使用しているので、音がスタインウェイなどを弾くピアニストの録音よりもずっと明瞭なのですが。
しかしながら、チェンバロ版、ピアノ版、どちらもそれぞれに味わい深い。
5.2 第二のカノン(二度:不協和音)
下降音型がしめやかに繰り返される様子が非常に美しい第六変奏曲。
分かりやすいメロディが何度も出会っては(不協和音になり)離れてゆくとまた出会う(再び不協和音になる)というそんな感じ。
シンプリシティの美学ですね。
曲は八分の三拍子という、四分の三拍子よりも、速い拍子。
八分音符は四分音符の半分の長さなので、この曲は早いテンポで演奏されることが期待されます。
チェンバロでは音を持続させることが難しいので、小節をまたいだ長い音が不協和を作り出すためには、のんびりしていると音が途切れてしまいます。
でもピアノならばチェンバロには無理なゆったりとした音でも、音は持続するので、スローテンポで演奏も可能。
ピアノによって演奏の可能性が広がるといえるでしょうか。
5.3 第三のカノン(三度)
三という数字が支配的な変奏曲集での初めての四分の四拍子。
第九変奏曲。
音楽は裏拍を感じて演奏するものなので、この曲の基本単位は四分音符の半分の八分音符。
ひとつ前の第八変奏曲は32文音符の連鎖からある音楽だったので、ゆったりとした感じになります。
カノンは一小節遅れてアルト声部に現れますが、八分音符ではない、四分音符+八分音符のタイでつながれた音符が素敵なアクセントです。
シラシドレラレド・シレソーと伸びる音です。
5.4 第四のカノン(四度:反行カノン)
第十二変奏曲のカノンは、反行カノンと呼ばれる、同じメロディが鏡面に写し出されたメロディとして進んでゆくカノン。
鏡文字 Mirror Writing/Script というものがありますが、この曲は鏡音符ですね。Mirror Musical Notesですね。
なんて見事な楽譜なのだろうと惚れ惚れする出来です。
5.5 第五のカノン(五度:短調の反行カノン)
滅多に楽譜に速度を書き込まないバッハがわざわざアンダンテと書き込んだ曲。
ゴルトベルク変奏曲にある三つの短調の曲の第一曲目(また3という数字が登場!)。
第十五変奏曲。
四分の二拍子ですが、行進曲のように元気にではなく、重々しく歩むべき音楽。
だからアンダンテ(歩くような速さで)。
この曲のカノンもまた反行カノン。
右手の最初の下降するメロディは
と躊躇いがちに流れ出しますが、次の小節では、このメロディが上向きに上昇してゆきます。
五度上のレの音から
バッハの時代の変奏曲の決まりでは長調のテーマの音楽では、続く変奏曲は必ず長調という決まりがあったそうですが、バッハは並行短調(ト長調の並行短調はト短調)を導入するという画期的な試みを行ったのでした。
後の古典派時代では、長調の変奏曲中に一曲だけ短調の変奏曲を「Minore」とイタリア語で明記する習わしができました。
バッハはこうした試みのパイオニアだったのです。
第六のカノン以降は次回に続きます!
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