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【創作大賞応募作】 ロックダウン・ラヴ (Lockdown Love) 《その四》 

<12>恋愛は不要不急 Love is non-essential, non-urgent

 沙月を見つめる香坂は、ようやく語り始める。 
「誰も一人ぼっちの島なんかやないんや
みんなつながってるんや
誰もが世界の一部で、誰もが掛け替えのないものなんや
波に削られて、どんどんちいさくなってゆく
海に突き出てる岬も、友達とか居るところもあんたのいるところも」
 森準教授の訳したダンの詩を唐突に暗唱し始める。沙月は何も言わずに耳を傾ける。
「この詩、どう思う?
お葬式のための詩で、恋愛の詩でもなんでもない。人は死んでゆくからみな兄弟みたいなことしか書いてない。でもこんな風にみんな削られてゆくからっていう部分、気に入っている。人はいきなり死ぬんじゃなくて、だんだん小さくなってゆく。Diminishって元の詩には書いてある。
一緒に付き合ってたん、どのくらいやったかな。多分数か月、夏休みは一緒で、そして衣替えしたくらいで、二人の関係…
一時停止してしまったのは、僕だ。停止ボタンじゃなかったって思いたい、
自分勝手だけど…」
 躊躇う香坂。紅葉し始めた樹々が風に吹かれて葉を落とす。
「たぶん僕は大川が僕を好きでいてくれるくらいには… 大川のことが好きでなかったと思う… 僕は… 僕自身のことを好きになれないでいる。
自分のことが好きでたまらない奴もいると思うけど、そんなふうじゃないから、詩を読んだりしてる。洋楽聴いて、英語の詩が大好きな奴やったら、たくさんいるけど、ありきたりのシンガーの叫んでる I love you は嘘くさい。
でもほんとに君のこと好きやったら、あんな歌に共感できたんだと思う。
I surrender (好き過ぎてなんでもいうこと聞く) とか
You are everything (あなたがすべて) とか。
大好きだから自分の全てを投げ出してしまえるってすごいと思う。でも一緒にいて、手を繋いで、この公園一緒に歩いてたときも、どこか自分は君とは違うって思ってた。それで、二人だけで逢うのをやめて、
ようやくいろんなこと判った。こんな曲知ってる?」
 香坂はメロディを歌ってみる。少しばかり調子外れに。

自分が死ぬ前 皆に私の好きなこと
聞き出して 自分のこと好きになって 逝きたい
メーソン・クーリーのあの言葉を遺言に選んで
太陽の塔の上から
Happyを叫びたい

https://www.uta-net.com/song/195826/

「あいみょんの『どうせ死ぬなら』って曲で、ほらここから太陽の塔が、見えるだろ。バカみたいだけど… 
(ためらいがちに香坂はこの言葉を発する)
君を振ってから、
この歌ばっかり聴いてて、そんで歌ってた。
自分にはHappyって叫べそうにないけど。
どうしたらHappyだって叫んで死ねるんかなって考えてた。
なんで大川は自分のこと好きになってくれたんやろかって。
自分は自分が好きじゃない。
だけどきっとあの子なら自分のいいとこ教えてくれるんとちがうかって。
でもほんとにアホで、大川にもう会わないって決めて、逢わなくなってから、こんなことばかり考えてた。
世界中がロックダウンしてても、この国では緊急事態宣言が出されるだけで中途半端なまま。
不要不急の外出は控えて下さいって、ソーシャルディスタンスが中途半端に離れることが求められて、自分は人と人の距離が分からない。
ロックダウンやったら完全に繋がれない。
でもだからそれだけ、好きな人との距離を実感する。
ここにはいない、逢えないって。
でもなんか違う。
儚い命の人間は、不老不死じゃなくて、致死率100%の人生の最後とか絶対的隔離とか、人はそんなネガティブなもので結び付けられるけど、それだけなんか。
そりゃ、男と女は♂と♀やから、そんなふうに引っ付けばよかったんかもしれないけど、大川とは、なんかそんな風にはなりたくなかった。
僕は何か本当に好きな人っていうか、大切な人とはそういうことはしたくない。女には、わからないかな」

 沙月の躰を改めて見直してみる。以前よりもずっと肉付きの良いものとなっていることに戸惑いを覚えた。失恋した沙月が摂食障害をおこしてやせ細り、そしていまはこれまでの反動でジャンクフィード依存症に陥っていることなど知りもしない。丸くなった沙月の顔と肢体は、以前よりも女性らしい色香を着衣の上も匂わせた。
「僕にはやりたいことがある。
いまは恋だとか愛だとかはいらないんだ、邪魔なんだ、不要不急なんだ。大川沙月、21歳の香坂康介には、君がどんなに魅力的な女の子だとしても、不要不急なんだ!」

<13>上書きしたい Wanna Overwrite it

沙月は思わず声を荒げて叫ぶ。
「恋愛は不要不急なんかじゃない。
ここに来る前にオンライン授業を受けていたところだった。
そして、恋愛は、不要不急なんかじゃないって云い捨ててきたのよ。
あなたには何もわかっていない。
愛がなければ、詩も文学も、みんな無駄なものよ。
わたしたちはただ食べて息を吸って眠って、そして朝を迎えてまた同じ一日を繰り返しているんじゃないわ。
毎日毎日が新しくて、新しい何かをするために生きているのよ。
わたしはね、あなたのくれたひどい言葉を、ずっとずっとずぅっと、思い続けて、一年も泣いてばかりいた。
あなたと出会った日、あなたの横顔を教室で見つめていた時間、あなたとここで初めてデートして、初めて手を繋いでもらった日のこと、あなたと一緒に映画を見に行ったこと。
一晩中あなたとチャットしていた夜のこと、あなたを想って眠れない夜を過ごした時間、あなたの教えてくれた詩や本のこと、そんな思い出を、記憶を心の動画だって名前つけて、そんな動画を何度も何度も繰り返し見て、再生回数が何百回になったか知れない。
そしてようやくわかったの。
みんな昔の、過去の、昨日の動画ばかりで、何一つ新しいものが増えない。
この一年、みんな古い動画ばかりで、私はずっと昨日のことばかり、過去のことばかり考えてきたの。だから新しい毎日が必要なんだってわかるの。これからは新しい動画が必要なの。
古い動画を削除して、上書きして、今日、今ここにある時間を録画したいのよ。
今を生きたいの。
19歳11か月の大川沙月の、19歳11か月目の今日のこの時間は今しかないの。
今を生きたいの、昨日じゃなくて、新しい明日を迎えたいのよ、一日の終わりに、楽譜の上のリピート記号のある、小節の最後のビートでまた一番前に戻るのではなく、そこから次の小節に行きたいのよ。
わたしは今を生きたいの。
恋愛は、Non-EssentialでもNon-Urgentでもない。
緊急喫緊なのよ。
19歳の私はそのために生きている。
そうでなきゃ、一生この心の癒えることのない傷、負ったまま、ずっと生きていくのよ、たとえ癒えても心の傷跡は消えなくて。
それでも、たぶん、きっと生きて行かないといけない。お母さんみたいに。
弥生にもお姉ちゃんなのに電話して訪ねて行って迷惑かけて、ぜんぜんお姉ちゃんしてないよね。
あの子の前でも、いいカッコしてたかったのに、泣いてばかりでカッコ悪くて。でも嫌なのよ。自分の思いうように生きてゆけないのは。
いまなら自分がこうしたかったこうなって欲しいって生き方、生きて行けるかもしれない。
古い動画も書き換えられるわ。
記憶を上書きしたい。
あなたと一緒ならできるのよ。
新しい心の映像をつくりたい!」
 これだけを一気にまくし立てた沙月は、息を切らしてその場にへたり込む。頬を伝う一条の涙は沙月の口元のマスクを湿らせる。

<14>風紋 Wind-Pattern on the Sand

 香坂は沙月の方へと歩みより、沙月の前に跪く。そして抱きしめる。
 地面には紅葉が降り積もり始めていて、緑の葉と紅くなった葉が混在していて、斑な大地に、マスクをした若い男女が二人。香坂の大きな手は沙月の背中に回される。回された両の手に中の沙月は驚いて大きな目を見開いて、風に触れる樹々の囁きを聞いている。
 香坂の涙が沙月の頬を濡らす。
「大学を休学して外国へ行くことにきめたんだ。だから授業に出ないでバイトばっかしてる。休学届はこれから出す。
逢いたかったのは、それを伝えたかったから。
デルタとか、オミクロンとか、どんどん新しいウイルスが生まれて、世界中がまだロックダウンしてたりして、この時期に海外行こうなんて奴はあんまりいないけど、どうしても行きたい。
ほとんどの国は学生ビザ出してくれない…  でもどこかへ行きたい、どこに行っても同じかもしれないけど、それを確かめてくるだけでも行くべき価値はある、確かめたいんだ」
「わたしは連れて行ってくれないの」と沙月は心の中で呟くが、言葉にはしない。
「この間、電話をもらって、君の言葉をずっと考えてた。
嬉しかった。でも、自分には何もできないんだって、あの後、無力感に囚われた。
僕にとっての不要不急でないことは、明日を考えることで、
こんな緊急事態宣言でなにもできないで引きこもってて、
だから何かできることを考えてた。
英語ばっかり勉強してる自分には、なんか英語のことしか思いつかなくて、ネットで英語の動画ばっかり見てた。
SNSとかは大川とチャットするのをやめてから面白くなくなった。
君のこと、時々思い出してメッセージ書こうとして、何度もやめた。
書いて伝えたいこともあったけど、何書いても言い訳にしかならへんからやめた。言い訳なんてカッコ悪いだけやろ。」
 樹上で揺れる紅葉する葉を見つめる。気持ちのいい風が吹き抜けてゆく。
「心の動画か、ええ言葉やね。
何度も見てくれてありがとう。
こんなにも今までで自分のことを想ってくれたのは君が初めてだとおもう。会えないからなんか余計に大川のことばかり自分も考えてた。
僕にも思い出の映像、たくさんある。
子供の時に海に沈む大きな夕陽を見たことがある。
いまでも時々思い出す。
綺麗な砂浜で、強い風が吹いていたけれども、日が真っすぐに差していて、サラサラの砂は砂漠の砂みたいにキラキラで太陽の陽を浴びて輝いていた。
きらきらと風が吹くと砂の上に波が見えるんだ。
砂が風に吹かれて舞っていた。
舞い上がるサラサラの砂ってほんとに綺麗で。
またあの砂浜を歩いてみたい。
はだしで歩くとほんとに気持ちがいい。
砂の中に小さな貝殻が砕けて含まれていて、それが光を浴びて輝いているんだ」
 サラサラの光り輝く砂。沙月には香坂の心の映像の風紋が目の前に浮かんだ。
「英語なんて、できて当たり前で、日本にいても英語を必要とされる仕事してないと全然役に立たない。外国行って、そしてだから英語だけじゃなくて、映像を学びたい。いつか映画撮りたい。映像作家になりたい。だから心の映像ってすごくいいと思った。でも、大川の動画は、誰にも見せられせん。いや喋ってくれたら言葉にしたら伝わるかもしれない。詩にすればいいかもしれない。でもなかなか伝わらない。言葉は同じように言葉を理解できる人にしか伝わらない。分かる人にしかわからないもの。外国語でなくても、翻訳してもらわんとわからんかもしれない。でも自分は、みんなに、誰にでもわかってもらえる映像を作りたい。同じ風景を見ても何にも感じない人もいる。でも僕と同じような想いを抱いてくれる人はどこかにいると思う。
自分には今日よりも明日がいい。明日のために今を生きてるんやと自分は思ってる。21歳の今の自分は来年の22歳の自分のために生きている。22歳の自分は23歳の自分のために生きるんだと思う。だからいまは、自分には、今ここにいる君がどんなに可愛くても、魅力的でも見とれてばかりはいられないんだ。今はそれだけしか言えない。」
 沙月は頬を少し赤くする。しゃがみこんで抱き合う二人。しばらくそのままで動かなかった。ほんの少しばかりの時間は一瞬のようでも永遠にも思えた。
 沙月は思い出す。こんな風にどこか遠くのことを喋っている香坂が好きだった。ここではない世界を語り合える彼が好きだった。彼と一緒の時間を過ごしている自分が好きだった。一生に一度しかない19歳のあの頃を、一緒に生きていたのが彼で良かったのだという想いが溢れだす。
「わたしにも、あなたが見る風景を見せてほしい。たくさん一緒の時間を過ごせたら、あなたの見る風景、わかるようになれるのかな」

<15>空にフレーム Hand Frame in the Air

 立ち上がった香坂は手で空にフレームをつくる。左手の人差し指を伸ばして親指を下に、右手は逆に手の甲を自分の方に向けて左に伸ばした人差し指からまっすぐ上に直角に親指伸ばして四つの指を引っ付けると長方形のフレームが出来上がる。カメラの中には沙月が写る。
「大川沙月さん、心の動画、テイク2だ。
ここは僕らが一年前に初めてデートした場所で、このあたりで確か初めて手を握りあった。これから一年前に戻って古い動画を上書きしよう。
今日は勝手にアニバーサリーだ。どこから始めようか。」
 香坂のフレームの中の沙月は立ち上がる。沙月は今日初めて香坂の前で笑みを見せる。
「最後に違うんだって言わなくていいエピソード。古い動画を見ながらずっと考えていたけど、なんにもいいもの思いつかなかった。
でもあなたが明日の動画を撮りたいと言って、わたしようやくわかったの。
もう駄目だと思っていたけど、きっといつか、本当にあなたがわたしを好きになってくれる日が来ると思う。きっと私のことを分かってくれるようになると思う。
明日のために生きている康介君と、今日のことで精いっぱいな沙月。
二人はこれから遠くから、メイルして、チャットして、海の向こうに行ってしまったら逢えないけれでも、自分たちのこれから見る映像と動画をシェアできると思う」
「わたしは、わたしは恋にではなく、これから外国に行って新しい映像をたくさん作ってくれる、香坂康介という21歳のあなたに恋をしたい。
今喋ってくれたサラサラの砂の砂浜。
とても綺麗な詩のようだった。
そんなイメージを思い浮かべて、大切にできるあなただから、わたしはあなたが好きになったのよ。今思い出した。
ある日の教室、わたしがそばを通り過ぎた時、あなたは誰かの英語の詩を呟いていた。そんなあなたのことを、もっと理解したい。映画見たり、街を歩いたりする、当たり前のカップルのすることじゃなくて、自分たちの心の一番奥に録画される映像を一緒に見たい、そして一緒に取り続けていきたい。
18歳のあの頃の沙月とは違う、19歳の沙月は同じじゃない。
あなたも20歳の頃のあなたじゃない。
21歳の香坂康介は、こんな20歳の大川沙月を好きになってくれますか?」

 指のフレームを見つめている香坂。両の手の指で作られたフレームを、岡本太郎がデザインした太陽の塔が見える空の方へと向ける。天に掲げられたフレームは、ちょうど香坂と沙月が入り込むアングルになる。太陽の塔のカメラ目線で録画は回り続ける。
「香坂康介21歳は、大川沙月20歳を、これから本気で好きになる。
きっと好きになる」
「大川沙月20歳は、香坂康介21歳を、これから本気で好きになる。
きっと好きになる」と沙月も和す。
 ようやくお互いを見つめて笑う。大きな声で笑いだす。二人で笑う。
手を繋いで踊りだす。くるくる回る。沙月は小さな無邪気な女の子となり、康介は、好きな女の子に悪さする小学生のように沙月を追い回す。二人は枯葉の積もる公園の葉っぱ、蹴飛ばして、集めて、両手で抱えて、お互いに向かって、投げ飛ばす。沙月の搔き集めた葉っぱが香坂の上に炸裂して、香坂のフードジャケットのフードの中は葉っぱでいっぱいになる。香坂は葉っぱを投げ返すが、葉っぱなので手前の宙を舞うばかり。やがて二人とも滑って転んで葉っぱの大地に寝転がる。
 大きな空が二人の視界に入る。空の青さはどこまでも澄んでいて深くて、どのような言葉でもその素晴らしさを言い表すことができない。

<16>マスクのままで Without taking it off

 寝転がったまま、沙月はこう呟く。
「キスをして」
 しばしの静かな時間が流れる。そよ風に幾枚かの軽い葉が宙に舞う。
康介は躊躇うが、やがて沙月を見つめる。
 マスクを剥ぎ取ろうとする手を沙月は制止する。
「そのままで。まだ本当にわたしのことを好きになっていない人にキスされたいほど、もう子供じゃないの。本当のキスはそのときまでおいておく。
マスクのままで、そのままキスをして」
 香坂は仰向けの沙月の手を引いて立ち上がらせて、そのまま抱きしめる。沙月の頭の上に引っ付いている枯葉を払い、優しく沙月の髪をなでて、少し自分の顔を傾けて、マスクの上から唇を重ねる。
 触れ合うのは布と布。でもそれでも二人には、それが今の二人の距離感。
手のフレームが浮かんでいた辺りの宙を二人は一緒に見つめてみる。
 視界には太陽の塔。
 回り続けている動画。空想の画面上の赤い〇は今もアクティブで、古い動画はどんどん上書きされている。もう思い出しても、あの頃の動画は失われている。

 青い空を見上げる香坂の横顔を見つめる、抱きしめられてる沙月は、一年の長きに及んだロックダウン解除を宣言したい。
 上書きされたこの映像、真っ先に弥生にシェアしたい。
いつか母にも見せてみたい。添付ファイルにして森先生の英詩のクラスのリポートに貼り付けたい。動画サイトにアップして、世界中にばらまいてしまいたい。

 マスクの上から唇を重ねて、沙月に死ぬほどドキドキしてる。沙月を心から可愛い女の子だと思った。自分の想いに精一杯な沙月は、灰色の砂浜に隠されている、陽に照りかえってキラキラ光る、細かに砕けた貝殻の破片の輝きの尊さにも等しい。

 手を繋いで太陽の塔の見える方へと歩いてゆく。二人で一緒に歩いてる。自分が手を引いているのでもなく、引かれているのでもなく。

了 2022.02.01
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