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『ガールズルール』/乃木坂46の歌詞について考える

10月28日の水曜日に『Mai Shiraishi Graduation Concert』が行われ、遂に白石麻衣さんが乃木坂46を卒業してしまいましたね。

とっても笑ったり泣いたりしてしまったのは言わずもがなですが、セトリで個人的にグッときた部分が本編ラストが『ガールズルール』だったこと!これは紛れもなくアニメの最終回の一番最後にオープニングテーマが流れるパターン!

(ヒーロー番組、ロボアニメなんかでは特に定番のやつです。乃木坂的には『初森ベマーズ』の最終回が太陽ノックで終わってましたね)

そんな『ガールズルール』、本編ラストで演ったことも含め、まいやんの卒業と紐付けて考えると非常に重要な意味を持つ曲になったなと!思うわけです。

それは、元々持っていた要素が色んな形で補完されることで確立されたというか、最初からそうだった部分と、今だからこそ新たに見出せる部分とがあって……というのを今回書いていきたい。

具体的には、『ぐるぐるカーテン』『しあわせの保護色』の2曲と対比させることで見えてくる。

乃木坂46のシングル表題曲は常にグループの「現在の姿」を投影している、という論は以前書いたこと。

『ガールズルール』も例に漏れずで、特に反映されているのは次の2点。センターを務めるのが白石麻衣『真夏の全国ツアー』のスタートである。

その事は、それまでにないザ・アイドルソングな曲調に特に現れている(アップテンポで派手なサウンド、跳ねるような振付、コールが入れやすい符割などがそれである)。

本格的にライブ活動を開始する乃木坂46の新たなスタートを、クールなイメージが先行し怖く見られることもあった(と本人が吐露した)白石麻衣の「アイドル」な姿を打ち出していくことと重ね合わせ、それらを同時にプレゼンするための曲として『ガールズルール』があると言っていいだろう。

そしてもっと言えば、1st~5thまでの「生駒里奈ストーリー」がひとたび幕を下ろしたことを経た上での、乃木坂46の新章・新スタートを飾る一曲としてこの『ガールズルール』がある。

仕切り直しというわけではないが、5thまででそのイメージを確立した乃木坂46が、次のステージへと進んだことをこの曲で表明している。

そういう意味でこの曲は、単に一から数えて6枚目ではなく、5thまでで一度区切った次に続くNew 1st的な存在。

それは歌詞で特にわかりやすく示されており、『ぐるぐるカーテン』で書かれたことを違う角度でリフレインしたものとなっている。

ぐるぐる巻かれたプライバシー

まずは『ぐるぐるカーテン』について整理していきたい。この曲の歌詞で描かれている世界と言えば、例えば以下の部分に集約される。

仲の良い友達と二人きりの世界よ
「あのね」「私ね」
ぴったり身体寄せ

カーテンの中 太陽と彼女と私
ぐるぐる巻かれたプライバシー
内緒話するの

教室のカーテンの中を「<彼女>と<私>だけの秘密の場所」と示し、そこで交わされる会話の内容は<男子禁制>で決して明かされることはない。

そんな、どこか幻想的というか夢見的というか、ある意味「男子が幻想する女子の世界」と言い表せそうな、宝箱のような閉じた世界が『ぐるぐるカーテン』では描かれている。

こうした表現になった理由としては、まだ乃木坂46(メンバーの人となり)が世間に伝わっていない状態で発表される1stシングル、故に楽曲などからそのイメージを確立する必要があったためである。

『別冊カドカワ』のインタビューで、作詞の秋元康氏は以下のように語っている。

パリのリセエンヌ的な雰囲気のグループにしたいというのが大まかにありました。

乃木坂46は「清楚」「お嬢様」「私立の女子校」などと言われることが多々あるが、それらは『ぐるぐるカーテン』を初めとした初期のフレンチポップな楽曲達によって形成されたイメージと言える。

(もちろんメンバーがいてこそであるが、その指針として楽曲の存在は大きい)

しかし逆に言えば、イメージ(楽曲)が先行して存在しているとも言える。つまりそれらは本人らから醸し出された雰囲気というより、与えられたイメージを纏っていたものであった。

それはメンバー達の真の姿ではなく、上に書いた「男子が幻想する女子の世界」というのがおそらく正解に近く、「あの子達はこんな事をしているかもしれない、あんな事を話しているかもしれない」というこちらの想像の中にいる彼女達である。

デビュー時点で乃木坂46のメンバーは未知の存在であり、この曲はそんな彼女達を「こういう子ですよ!」と強引にプレゼンするのではなく、未知を未知のままにして、敢えて<男子禁制>と距離を開けながら、それを想像させる余地としてぽっかり残す。

それが『ぐるぐるカーテン』という楽曲であった。

グループの名刺としての1stシングルで、敢えて素顔を露わにしないまま、「気になる存在」という印象から積み立てているわけである。

(そして『おいでシャンプー』『走れ!Bycicle』と続くごとに<僕>と<君>の距離が徐々に近付き、そして淡い恋物語へと昇華される構成となっている。それが乃木坂46とファンとの距離感に重なるよう造られている)

(更にその先のストーリーとして『制服のマネキン』『君の名は希望』があるが、今回その詳細は割愛)

嫌なとこまで見せ合って楽な関係になる

そして『ガールズルール』である。こちらも「女子同士の世界」「女子と女子の間で交わされる話」という『ぐるぐるカーテン』に近いものを描いているが、その世界観は明確に別モノだ。

例えば以下の歌詞。

ガールズトーク
女の子同士は
嫌なとこまで見せ合って
楽な関係になる
ガールズトーク
いくつ恋をしたらそうなれるかな
可愛い自分だけ演じてたら無理だね
もっと今日の私のように

『ぐるぐるカーテン』と『ガールズルール』は、乃木坂楽曲でも貴重な「一人称が<私>」の歌詞である。ここが一つ、この2曲が重なるギミックと言えるのだが、示しているところは異なる。

なぜなら『ぐるぐるカーテン』は上に書いた通り「男子が幻想する女子の世界」だからだ。

一人称は<私>としているが、実のところ、これは男子が自分の想像の中で<私>を喋らせているに過ぎない。あくまでも<僕>の世界なのだ。

対して『ガールズルール』が本当の意味で<私>のストーリーであり、<僕>が介入できない女子の世界。以下の歌詞からも、そこには<男の子>が存在していないことがわかる。

男の子達がやってくるそれまで私たちの夏

(状況描写としても、<部活のメンバーと/思い出作りの合宿>と女子だけがいる空間の理屈付けがされていて上手い)

更に言えば、「閉じた世界」であった『ぐるぐるカーテン』と比べて『ガールズルール』は現実を舞台としている。<部活><合宿>などの具体的な描写がそうだが、明確に時間経過を認識している点が特に当てはまる。

以下のフレーズがそれに準じたものである。

これが最後の夏だから

女の子たちは真夏に恋して卒業していく

いつか今日を思い出すまで

いずれも刹那的な「今この瞬間」を噛み締めている描写と言える。美しい場面だけ切り取った『ぐるぐるカーテン』と違い、いつか失われる時間を過ごしていると<私>は認識している。

(余談)

全開にした窓から潮風に乗って
波音が近付いてくる

この描写に垂涎!海沿いを走るバスの映像をリアルタイムに描いた、非常に秀逸な描写である。

頬に風を受けて顔がほころんでいる映像が浮かぶし、窓を最大まで開いているところに合宿が楽しみな気持ちがよく表れている。

(余談終わり)

これらは、『ぐるぐるカーテン』と対比した時に、こちらに現実的な目線が含まれていることを示すものだ。

そうした現実的な目線によって、この曲の歌詞が、実際の<私>から見た状況、<私>の言葉である事実を補強する。

<僕>から見た「幻想」である『ぐるぐるカーテン』とは明確に違う、<私>が大切にしている「現実」を『ガールズルール』で描いている、とこれらのことからわかるのだ。

このように、(乃木坂46を指す)「女子の世界」をどういう視点で(誰の視点で)見るか、が2曲の間で明確に違う。

つまりは、1stで取り上げた世界をもう一度(違う形で)取り上げたのがこの6thである。

「幻想」と「現実」という表裏一体の関係性、それが『ぐるぐるカーテン』と『ガールズルール』の間にある。

加えて言えば、1st~5thでは生駒里奈をその体現者として<僕>のストーリーが描かれてきたが、6th以降は新メンバーも含め、様々なメンバーがセンターを務める。

そうして<僕>自身から解放されていく乃木坂46を、まず<私>=メンバー自身が「今この瞬間」を刻み込もうとした楽曲が『ガールズルール』と言える。

僕に出来ることは君にヒントを出すこと

そんな「乃木坂46である瞬間」が刻まれた『ガールズルール』。

役割として<私>を背負っているのはまいやんこと白石麻衣さんであるわけだが、その事が地続きに今回の卒業コンサートに効いてきている!

歌詞が示す意味は上記の通りで、かつ乃木坂46の新スタートが白石麻衣の新たな姿の提示と重ねられていることもまた上記の通りだが、そのことによってこの曲が彼女自身のテーマソングとなっている。

とりわけ、彼女のグループ卒業を踏まえた上で見ると、先ほど取り上げた以下の歌詞も更に意味を持つようになる。

これが最後の夏だから

女の子たちは真夏に恋して卒業していく

いつか今日を思い出すまで

これらのフレーズから、まいやんが自身の乃木坂46として過ごした日々を見出してしまうと、もはやこの歌詞をただのフィクションとしては受け取れないだろう。

また<ガールズルール>という言葉の意味は、他の部分の歌詞を参考にすると見えてくる。

1サビの歌詞は以下だ。

ガールズルール
パパやママに言えない秘密の話

これが<ガールズルール>の指すものだ。言い換えれば、それは<私>達だけの間で共有していること、この関係だけで打ち明けられる想い、とできるだろう。

その秘密の共有(できる関係)こそが<ガールズルール>だ。

嫌なとこまで見せ合って
楽な関係になる

可愛い自分だけ演じてたら無理だね
もっと今日の私のように

<今日の私のように>というフレーズはつまり、「今日はそれが出来ている」ということを示している。

<嫌なとこまで見せ合>える間柄が、他の誰でもない、この<メンバー>とだけは形成出来ている。

そういったことが歌詞できちんと示されており、それこそが彼女達の共有している<ガールズルール>である。

そして、まいやんにとってその相手とは乃木坂46のメンバーだ。

乃木坂46であった3357日間を10月28日のあの瞬間に閉じ込める。ライブでのこの選曲には、そんな想いが表れていたのではないか。

特に、アンコール最後に歌われた曲は彼女が最後に参加した「卒業シングル」の『しあわせの保護色』であることがその認識を強めてくれる。

この『しあわせの保護色』は、皆でまいやんを送り出す曲だ。

彼女自身の視点も同時に含まれたものではあるが、主となる意味合いは旅立つ彼女の背中を押すメッセージであり、この曲は「みんなの歌」であるはずだ。

僕に出来ることは君にヒントを出すこと
しあわせとは
簡単な見つけ方
悲しくなった時は思い出してほしい

だからこそ、ライブの最後の最後はこの曲でなければならなかった。盛大なフィナーレを飾るのは未来の希望であるべきだ。

しかし、寂しい想いは確かにあるのだ。見送る側はもちろん、旅立つ本人もそうだ。

その本心があの時の『ガールズルール』に込められていた。もう旅立ってしまうけど、これまでの日々も今この瞬間も確かに大切なものなんだと、彼女は言い残してくれたのだ。

弾けるサウンドと元気なダンス、眩しい笑顔の中に紛れて、しかし確かに存在するヒントが、この曲の歌詞にひっそりと託されていたのだと思ってしまったら、もう涙が止まらなかったのでした。

いつか今日を思い出すまで
ずっと胸にガールズルール

まとめ

というわけでエモ終わりです。

ありがたいことに、ちょうどこれを書いている今日のお昼にインスタやスタッフTwitter、オフィシャルサイトも開設されたので、今後の活動も漏らさず追っていけそうですね。

まいやんのこれからの活躍と多幸を祈って。

海岸線を(まいやん!)

以上。




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