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『三番目の風』『4番目の光』/乃木坂46の歌詞について考える

3期生楽曲『三番目の風』と、4期生楽曲『4番目の光』。どちらもグループに加入して間もない頃に与えられた、彼女たち自身を表す一つのテーマソングと言える楽曲である。

特にタイトルにも含まれる〈風〉〈光〉は、さながら『鋼の錬金術師』の「二つ名」のようでもあり、そういった文脈で見ても大変エモい。

そして、ここで考える。「じゃあ、1期生、2期生はなんだろう」と。

いざ考えたとき、「1期生にはこんな子たちがいる、2期生はこういうチーム」と色々思い浮かぶだろうが、ざっくりイメージだけで当てはめてはいけない。何故なら〈風〉も〈光〉も明確な意味を持っているからだ。具体的には、"乃木坂46の新メンバー"としての彼女たちを正しく捉えた上で与えられた一字である。

だから、一番目の○○、二番目の○○に当てはまるものを探る上で、まずは〈風〉〈光〉の意味(ないし由来)を紐解いていく必要がある。今回はそちらをメインに進めていこう。

(そちらも書きました)

三番目の風

ここから、それぞれの楽曲を個別に見ていきたい。

まずは『三番目の風』のサビの歌詞を載せよう。

三番目の風になろう
今までとは違う向きに吹き抜けろ!
まだどこにも観たことない新しい空切り開け
僕たちは恐れてない
希望の使命は
そう光を作ることさ
自分たちで真っ暗な未来をこじ開けろ!

この曲で〈風〉というワードはここ、サビで現れる。

〈三番目〉〈今までとは違う向きに吹き抜けろ〉といったフレーズから、グループとそれに対する新メンバーである3期生、という意味で彼女たちを指していることは歴然。

ここで考えたいのは、「何故〈風〉というワードが用いられたか」である。

一見、そのスピード感やパワフルさのイメージ、「風向き」「風速」という表現が合うためのようであるが、そうではない。それだけではない。この曲には〈風〉の他に重要な比喩が潜んでいる。彼女たちは、それ●●に対しての〈風〉なのだ。

ああ 目の前には鬱蒼とした森が広がってる

重なる木々に太陽の無い世界
手探りしながら競い合う
枝を払い草を踏む

ああ ひっそりと日陰に咲く花の名を知らない

息を吐いてこの森全体を吹き飛ばせ!

〈森〉という表現。道を失くし先行きを塞ぐ、影を落とし闇で覆う、そんな不穏なイメージを落とし込む形で、「行く手に立ちはだかるもの」として用いられている。

〈風〉はこの〈森〉に対して吹くものだ。鬱蒼と生い茂っていようが、道が無かろうが、光を奪われようが、構わず木々を揺らし枝葉を散らして真っ直ぐに強く吹き抜ける。そんな力強い”現象”としての〈風〉を、〈森〉を通じて描いている。

そしてそれこそが、その〈風〉が3期生たちである。『三番目の風』はそう言うのだ。

では、〈風〉が3期生たちであるなら〈森〉とはなんだろうか?

3期生のメンバーが、アイドルとしての、乃木坂46としての道を歩んでいく上で待ち受ける不安や挫折、葛藤? いや、そんな抽象的な意味ではない。それでもいいっちゃいいが、〈風〉が彼女たちを指した比喩ならば、〈森〉もまた明確な対象を持っている比喩でなければいけない。

〈森〉とはつまり、「乃木坂46」だ。

正確に言うならば、「新メンバーを迎え入れた当時の乃木坂46」、あるいは「そんな乃木坂46を中心とした環境や風潮そのもの」、それが〈森〉に投影されている。

そう言い切れる理由は、乃木坂46というグループを、新メンバー・3期生の加入を迎えるより少し前まで遡ると見えてくる。

2015年前後の乃木坂46は「一番好きだった頃の乃木坂46」と語られることがある。これは今と比べて良し悪しという話ではない。

当時は、2019年現在はグループを離脱しているメンバーの多くがまだ在籍していた時期であった。言わずもがな、それは黎明期からグループを支えてきたメンバーである。また、グループのキャリア的にも、起きる一つ一つの出来事が持つドラマ性はより顕著であったことだろう。

2015年は、1stアルバム発売やドキュメンタリー映画公開など様々な形でそれまでの活動を総括し、集大成として念願だった紅白歌合戦の出場を果たした年でもあった。

(参考)

当時の乃木坂46は、まさに一つの完成を見た状態であったと言える。当時のリアルタイムでこそ言えたことだが、その完成した形に、あえて変化を求めない意見も少なくなかっただろう。その気持ちはすごいわかる。

そして年が明け、そんな状態の乃木坂46を待ち受けていた”事件”が、存在感のあった永島・深川・橋本といったメンバーの卒業や、新メンバー・3期生の募集&加入であった。この時期を境に、まさしく「変化」が始まったのだ。

そういった変化の始まりも鑑みると、2015年までの乃木坂46を知る者にとっては、そこに格別の思い入れがあることは想像に難くない。「一番好きだった頃」という言葉はそういった意味合いのものだろう。

逆に言うと、グループに加入する側である3期生からしてみれば、そんな「完成された乃木坂46」自体が、あるいはそれを取り巻く環境や風潮が、彼女たちにとっての"逆境"そのものであった。新参者として、立ち向かわなければいけない"壁"であった。

それを『三番目の風』では〈森〉と表現したのではないか。

ああ 目の前には鬱蒼とした森が広がってる
ああ 道なき道 先へ進まなきゃ夢に近付けない

また、主要なメンバーの卒業が相次いだこととも重なり、「●●に似ている」「●●の後継者」「第2の●●」なんて見方もされただろう。自分は誰かの代わりではない唯一無二の存在、そうであることも示さねばならなかった。

今までとは違う向きに吹き抜けろ!
まだどこにも見たことない新しい空切り開け

経験とか過去のデータ関係ない
観測史上最大風速 初めての存在になろう

そして、それに立ち向かうことが出来る、強く吹き抜けるエネルギーに溢れた彼女たちはまさに〈風〉であった。

三番目の風になろう

三番目の風を起こせ!

息を吐いてこの森全体を吹き飛ばせ!

自分たちで真っ暗な未来をこじ開けろ!

新メンバーとして受けてしまう「負の面」に、くじけず、へこたれず、自分を鼓舞して立ち上がる、誰でもない自分自身を信じて立ち上がることが出来る。

そんな彼女たちの姿を描いたのが『三番目の風』という楽曲だ。

で。

そんな『三番目の風』を踏まえての『4番目の光』である。説明するまでもなく、曲において描かれる〈光〉とは4期生たちそのものであり、それとはまた別に、彼女たちを迎える乃木坂46が―—

と、思いきや、こちらは『三番目の風』と近くありつつまた少し違う描き方が為されている。その上で、彼女たちに対して〈光〉という言葉を用いている。

4番目の光

この楽曲の歌詞で〈光〉という言葉は以下のように現れる。

4番目の光を探しに行こう
どこかにきっとあるだろう

4番目の光になれますように
まっすぐ道を進むだけ

おわかりだろうか。この曲において〈光〉とは、「4期生」を指すものとして用いられていない。むしろ、彼女たちがこれから手に入れていく「目標」「ゴール」のようなニュアンスで描かれている。

つまり、3期生を示していた『三番目の風』における〈風〉とは、単純に示すところが異なるのだ。

そうでありながら、『4番目の光』は『三番目の風』同様「新メンバーである彼女たち」と「それを迎え入れる乃木坂46というグループ」の対比を描く構造を持つ楽曲である。

というか、こちらはかなり直接的な表現もある。

遠くから憧れていた
その清楚で凛々しい先輩の姿
坂道のあの高校と同じ制服を着たい
その夢が叶った

制服に袖を通して
胸に込み上げてくる万感の想い
坂道を今すれ違う卒業生が優しくがんばれと微笑む

4期生を投影した人物の視点から見た「現在の乃木坂46」(と、それに対する想い)を描いている。

彼女たちが3期生以上に「元ファン」であることも踏まえ、乃木坂46は、崩してはならない「立ちはだかるもの」としてではなく、純粋な「憧れの対象」として歌詞中に現れていることがわかる。

それは一般の目から見ても同様だろう。それこそ、今や「国民的アイドル」と評されるほどのグループであるし、個々のメンバーの活躍もここ数年でより充実した。一つのグループとしても、個の集合体としても、既に強固に確立された存在と言える。

加えて言うならば、在籍していたメンバー達の卒業は、3期生加入前後から今に至るまで緩やかながら断続的に続いていた。良くも悪くも、グループの「変化」は受け入れ難いものではなくなっていたのだ。故に、乃木坂46を「変化を求めない完成した形」として捉える必要が今回は無かった。

新メンバーも、既にあるグループへ新たに加入することへの不安より、それへの喜びや希望が勝っていてもおかしくはない(それこそ、ファン側としても同様だろう)。

そういった要素を踏まえ、エネルギッシュで強気な姿勢だった『三番目の風』よりも、『4番目の光』にはピュアな”まっすぐさ”が落とし込まれているように思う。

で。

上記の内容を整理する形になるが、『4番目の光』における〈光〉がまず示すものは、新メンバーを迎える側である乃木坂46メンバー、あるいは乃木坂46そのものであった。有り体に言えば、彼女たちが持つ「アイドルとしての輝き」をそのまま〈光〉と表現していた。

だからこそ、彼女たちはそれを〈探しに行こう〉〈なれますように〉と、憧れを原動力にその背中を追う。

〈光〉である憧れの先輩たち、それに近付けるように〈まっすぐ道を進む〉。僕だけの〈光〉を手に入れて、グループにとって〈新しい色〉である存在になることを目指す。そしていつか、自分たちが憧れの〈光〉として〈次の世代に繋ぐ〉。そんな想いの現れた楽曲だ。

ここが『三番目の風』との決定的な違いだ。あちらは、3期生⇔グループの構図で描く形で、〈風〉は3期生だけを示していた。「三番目」という言葉は3期生を象徴的に示すものとして用いられ、言葉の通りの意味を持ち合わせていなかった。

対して『4番目の光』は、グループや在籍している1,2,3期生のメンバーが既に〈光〉であり、そして4期生もいずれその〈光〉へと……という、「4番目」の言葉通りの意味で理解できる構造が描かれている。

「三」に合わせて「四」にするのではなく「4」を用いたのは、こういった数字が持つ意味合いの違いを示すためのものだったのかもしれない。

そうして『4番目の光』では、現在の乃木坂46と新メンバー・4期生を対比する形で、今在る〈光〉とこれから得る〈光〉を描いた。4期生の視点で見れば、〈光〉はこれから探すものであった。

しかしその実、『4番目の光』は彼女たちが既に〈光〉である、ともしている。

光たちよ
この坂道 登れ

これは、ここまでに語った〈光〉とはまた違う意味を持つものだ。上から数えた「4番目」ではない、新メンバーである彼女たちだからこそ備えている〈光〉。それの存在を『4番目の光』はここではっきりと示している。

そして、彼女たちが既に備えるものでも、これから手に入れるものでもない、彼女たちが受け取るものとしての〈光〉もまた描いている。

光は愛

これは彼女たちが受け取るものでありながら、彼女たちが誰かに与えるものだ。先述した、乃木坂46のメンバーや4期生を示すものとしての〈光〉とも異なる意味を持っている。

このように、『4番目の光』は〈光〉というモチーフをアイドルたるメンバー達に準えながらも、様々な意味合いを持たせている。

また同時に、4期生を象徴するもう一つの楽曲、『夜明けまで強がらなくてもいい』もまた、重要なモチーフとして〈光〉を用いている。

光はどこにある?僕を照らしてくれよ
暗闇は涙を捨てる場所

この〈光〉の意味は、『夜明けまで強がらなくてもいい』の他の歌詞から探ることができるように思う。しかしながら、そうした方法を以て単一の答えを出すことを良しとしていないようにも思える。

故に、『4番目の光』は〈光〉を多角的に取り上げたのではないか。一つの意味を持つようで、掘り下げてみると様々なものが見えてくる。そのことを示す役割を『4番目の光』は持っているのではないだろうか。

「光を求める者」を描いた『夜明けまで強がらなくてもいい』。「光を求める者」を描いたようで、その実「光そのもの」を描いた『4番目の光』。この2曲が呼応することで、それぞれがより多重に見えてくる。そんな関係性がこの2曲の間で形成されている。

まとめ

あまり締まっていないけど、以上とする。

『三番目の風』『4番目の光』が、3期生、4期生を象徴する楽曲である所以として、その一字の示すところを探っていった。

ここでは〈風〉〈光〉は3期生、4期生を指すものであり、かつそれは彼女たちがグループに加入した当時の乃木坂46と対比することで(そちらに対する比喩も重ねたことで)見えた、その立ち位置や役割を投影したものである、とした。

この考え方を基に、続いて「一番目の○○、二番目の○○」を紐解いていこう。鍵となる楽曲は『乃木坂の詩』『ボーダー』である。

(続きは以下から)





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