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#1 専業主婦への葛藤【2024/3/15】

気づくとアメリカに来て1年を過ぎていた。
過ぎてみると一瞬だったけれど、長い長い、1年だった。

暮らし始めた当初は、アメリカに1年も住んでたら英語ペラペラになっちゃうんじゃない?なんて思ってたけど、決してそんなことはない。

なにかしていても、なにもしなくても、月日は平等に流れていく。
英語が話せる人は、きちんと努力をしている人だ。そのことを痛感して以来、語学を自由に操れる方たちに以前にも増した尊敬がある。


まさか私が専業主婦になるとは

この1年間、言語的には大きな飛躍はなかったが、生活の中で考えさせられることは多くあり、内面では大きな変化があった。

今日はその中のまず1つ目。専業主婦について書いておきたい。自分が専業主婦である、ということを受け入れられるようになったことで、私の情緒はかなり安定した。社会への見方も変わったように思う。

なぜか抱いてしまう違和感

日本全国どこでも通用する!と医療系の資格をとってたった4年。まさか国家資格が通じない海外に移住することになるとは思わなかった。

思いがけない展開ではあったが、せっかくだから家のことを楽しもう!と家事に精を出していたにも関わらず、あっという間にやってきたホームシック。

最初はとにかく友達がいないことが辛かった。出会える日本人といえば、旦那の上司や同僚、その奥さんばかり。
もちろんみなさん良い方で、とても親切にしてくれた。噂に聞く駐在妻マウンドなんてやつはどこか遠い世界の話だったようだ。

でも、なんだか違う。

あの頃の私はささくれていたのだと思う。「お友だち」という言葉にも引っかかっていた。「お」をつけないといけないような関係性の友だちってなに?って具合に。


私が最年少だったことも影響しているだろう。
20代中盤のまだまだ遊びたい盛り。結婚した友達も増えてきたとはいえ、子どもがいる人はまだ少なく、遊ぼうと誘えば比較的予定も合わせやすかった。
アメリカに行く前に!と退職してから1ヶ月間、日本各地を旅行して気のおけない友達たちと別れを惜しんでいた私からすると、そのギャップは大き過ぎた。

みなさんとても親切だったが、なんだか大人の付き合い、というような感じがしてよそよそしさを感じてしまうのだった。盛り上がりに欠ける、当たり障りのない関係。旦那の上司の奥さん方、という今までに関わったことのない関係性とも、どう付き合っていいのか分からなかった。家に帰って1人になると、なぜだかどっと疲れてしまうあの感じ。まだ見ぬ「ママ友」というのも、こういう感じなのかもしれない、などと考えた。

旦那の職場を介してしか知り合いができないことがもどかしかった。
言語・治安の悪さ・不得手な運転などたくさんの壁があり、ただでさえ1人では何もできない生活。友だちすら自分で作れないのか、と涙が止まらなかった。

お茶会という未知の世界

お子さんがいて、仕事のない専業主婦生活に慣れている方が多かったこともあり、お茶会が当然の催しとしてなされていることも違和感の原因だろう。

アメリカの広い家にお友達を招いて、手作りのお菓子を振る舞う彼女たち。
いたるところに雑貨やインテリアが並んでいて季節が感じられる素敵な空間。もちろんテーブルコーディネートも素敵。おもてなしにも慣れていて、完璧なタイミングで飲み物のおかわりが出てくる。

日本にいて働いている時だったら、素直に憧れられたと思う。丁寧に暮らしている彼女たちがうらやましいと思っただろう。
ただ、アメリカでの突然の無職に戸惑っていた私は、社会に出ずにただ完璧な家を作り上げている主婦たちを見て、あまりにも狭い世界だと感じてしまった。ただ漠然と、自分はこうはなりたくない、と感じてしまった。

焦っていたんだな、と今なら思う

あの頃の私は、とにかく焦っていた。プライドも高かった。プライドは今でも高いけど。この貴重な期間をなにかもっと有意義に使いたい、アメリカで生活できるなんて滅多にない経験なのだから他の人にはできない何かを成し遂げたい、自分は何者かになれる、と信じて疑わなかった。

でもその一方で、「あの奥様方のように日々の生活を楽しめるようになりたい」とも思っていた。
旦那の金で生きていくことを割り切り、生産性なんて気にせずに自分の好きなことにお金や時間をかけていく。罪悪感を持たずにそんな時間を過ごしてみたい、とも。

もちろん彼女たちの中にもたくさんの悩みや葛藤があるだろう。そんなことを何も知らずにただただ一方的な感想を抱いていたに過ぎないが、今思い返してみると、毎日がただ過ぎていってしまうことへの焦りによる羨望だったのだと思う。


今は専業主婦という立場(正確に言うとアルバイトはしている)を受け入れられるようになったし、とても偉大な職業だと思っている。

ここに至るまでには、いろいろなことに挑戦して、挫折、諦めを経てきたからだと思う。私が片っ端から試してきたことや考えの変化について、これから徐々に書き残していきたい。

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