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【小説】ラヴァーズロック2世 #19「神様」

あらすじ
憑依型アルバイト〈マイグ〉で問題を起こしてしまった少年ロック。
かれは、キンゼイ博士が校長を務めるスクールに転入することになるのだが、その条件として自立システムの常時解放を要求される。
転入初日、ロックは謎の美少女からエージェントになってほしいと依頼されるのだが……。

注意事項
※R-15「残酷描写有り」「暴力描写有り」「性描写有り」
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※連載中盤以降より有料とさせていただきますので、ご了承ください。


神様


長時間におよぶ大手術は成功し、ロケット粉瘤は無事少女の背中から取り除かれた。

大がかりな切除に耐えうるだけの年齢になるまで手術は保留されていたので、手術台に横たわったときの彼女は、もうすっかり物心もつき、健全な恐怖心を持つことのできる子供に成長していた。

幼いころに消息を絶った祖父のことなどすっかり忘れ去っていたとしても、誰も彼女を責めたりはしないだろう。

けれど、手術中の彼女の耳は捉えていた。心電図モニターの同期音や、手術スタッフの立てるガチャガチャ音の遥か向こう側から聞こえてくる、木材を削る音……。ログキャビンの横の作業場で檜や楓を加工し、自分のためにおもちゃを作っていたという祖父の気配。

「いい子にしていれば、すぐに退院できるからね」

看護スタッフの優しい言葉で少女が最初に想起したのも、ぼんやりと霧がかかったような祖父の笑顔だった。

何故か、退院すれば当然のように祖父に会える気がしてしてならなかったのだ。

しかし、彼女の願いはかなえられなかった。

退院した少女が連れていかれた場所は、郊外の見知らぬ一軒家。

古めかしいレトロな家構えにちょっぴり怖さを感じた彼女は、横に立つ母の袖を引っ張りながら勇気を振り絞って、お山のお家に帰りたいといってみた。

「なに? お山のお家って? ここがあなたのお家でしょ」と母は笑った。

家の中では父と姉が待っていた。

初めて見る父と姉。自分は前からこの〈家族〉の一員だったのだ、と少女は思い込まなければならなかった。

自己紹介などもってのほかで、喉からあふれ出そうな問いかけもグッと抑えるしかなかった。

お母さんがそういっている、だからそうなんだ。

彼女は押し黙り、平常を装いながらも初めて見る〈家族〉、とりわけその会話劇をついつい睨むように観察した。

その、眉間に力のこもった表情は、少女がもっている環境適応能力の高さと、嘘を隠せない子供っぽさが同居していて、愚かで悲しい可愛らしさがにじみ出ていた。

父はよく笑う人だった。父が笑うたび、母と姉もつられて笑う。そのことが少女を安心させた。

年の離れた姉はすらりとした長身で、長いストレートの黒髪が美しかった。

少女がどうしてもその髪に直接触れたくて、つま先立ちをすると、姉は微笑みながら膝をつき、思う存分触らせてくれるのだった。

感染症の恐れがあるため、まだ外に出ることができない少女にとって、この新しい家庭が世界の全てだった。そして、彼女は幸福だった。子どもにとっての幸福に、本物も偽物もないのだから……。

休日になると3人は、少女をひとり残しショッピングに出かけた。

彼女は、それを別に寂しいとも思わなかった。子どもにだってひとりになりたいときはあるし、ひとりでないとできないこともある。

家族が出かけると、少女は早速自分用の小引き出しから白いソックスを引っ張り出す。

銀色のコウモリが刺繍されたお気に入りだ。

白と銀のコントラストの曖昧な感じが、何だかグッとくる。

少し盛り上がったコウモリ型の光沢を、彼女は指先で確かめるように何度も撫でた。

少女はその白いソックスを履くと、玄関の上り框に立ち格子戸を見つめた。

カギはしっかりとかかっている。玄関から奥に向かってまっすぐに伸びる薄暗い廊下。磨りガラスから差し込むミルク色の陽ざしが、少女の輪郭をくっきりと浮かび上がらせている。

彼女はくるりと方向転換すると、唐突にスキップを始めた。

廊下の奥に向かって進み、突き当りの壁に両手をつくと方向転換、今度は逆に玄関に向かってスキップをする。

少女はこの動作を繰り返し、廊下を何往復もするのだった。

ソックスを履いた足の裏が黒光りする床をリズミカルに叩く音が、静まり返った家の中に響きわたる。

「あら、こんなに汚して……」

真っ黒になったソックスの足裏を見て、微笑みながら愚痴をいう母親の顔を想像する。

すると、全身が恍惚感で満たされる。

白いソックスの汚れは完全に消すことが難しい。そこが素敵なところだ。

日常の些細な問題を作りだすと、小さな幸福が後ろからそっとやって来て、肩越しにチラッとこちらを覗き込んでくる。

「こんにちは」

突然、玄関から声がして少女のスキップはピタリと止まる。

廊下の奥から眺めると、白く発光する格子戸をバックに黒い人影が立っていた。

彼女は、返事をせずにゆっくりと玄関に近づいていった。

黒いシルエットは、近づくにつれだんだんと白くなっていく。

少女は、それが引き戸の外側に立っていると思い込んでいた。が、近づくにつれ初老の男の姿が浮かび上がり、それが既に内側に入り込んでいることに気づく。

老人は白いスーツに白いパナマハットを被っていた。

近づいてしまった後悔と恐怖で足が止まり、もう一歩も前に進めない。

「お父さんとお母さんはいるかな?」

少女は声を出すことができず、無言で首を横に振る。

老人は自分を〈神様〉だと名乗った。

少女は今にも泣きだしそうな顔で大きくうなずいた。

神様の顔は優しそうに笑っている。この笑顔はどこかで見たことがあるぞ……幼い子供が安心して命を預けてしまうような笑顔。

「それじゃあ、帰って来たらこれを……」

神様は箱のような物を上り框にそっと置くと、パナマハットを宙に浮かせ「さようなら」といってあっさりと帰ってしまった。

格子戸が閉められ、磨りガラス越しの人影が完全になくなったことを確認すると、少女は白い神様が置いていった箱に近づき、上からジッと眺めた。

四角い箱を包む包装紙は涼し気な水色の卍模様で、少女には読めない美しい文字が白い帯の中心に書かれていた。

彼女は表面の肌触りを確かめ、四方の角の尖り具合を確かめ、読めない文字を指でなぞった。

箱は床に張り付いたように重いが、このまま玄関に置きっぱなしにするのはよろしくない。彼女は力と時間をたっぷりと使って、床の上を滑らせながら何とかキッチンまで秘密の箱を移動させた。

続いて、唸り声を発しながらものすごい顔で持ち上げると、ラバーウッドのダイニングチェアの座面に、何とか乗せることに成功する。

そしていよいよ最後の大仕事、最終目的地のダイニングテーブルに到達しなければならない。

天板の上の飲みかけのマグカップとスーパーのチラシを端に寄せる。今度は、力だけでは通用しそうにない。自分自身がダイニングチェアから落ちないよう、バランスにも気を配る必要が出てきた。心持ち、今までよりも真剣な目つきになる。

全ての郵便物、全ての届け物、お土産、外からやって来るものは全てこのテーブルにいったん置かれる。

母の行動様式は、そのまま少女の掟となっていた。だからここで諦めるわけにはいかないのだ。

子どもには耐えきらない重量のせいで、両手がしだいに下がっていく。

それを左の腿で何とか食い止める。

右足一本でバランスをとるのは至難の業。さらに座面のやわらかさが仇となる。

もう限界だと諦めそうになったとき、左ひざがポンと箱を蹴り上げていた。

添えられているだけになっていた両手が、自然にコントロールを買って出る。

宙に浮いた箱は大きな音をたててテーブルの上に落ちた。

少女は大きなため息をつくと、ダイニングチェアにへたり込んだ。

呼吸を整えたあと、彼女はテーブルの上の箱の様子を真横からじっくりと眺めた。

長い格闘のせいで包装紙には少々しわが寄っているけれど、相変わらずの可愛らしさ。自分のなした大仕事の成果も相まって、益々この箱が愛おしくなってくる。

結局、家族が帰って来るまでの長い時間、彼女は箱をなだめるように見つめ続けたのだった。

表から家族の話声が近づき、玄関の格子戸が開く音がすると、少女ははじかれたように玄関に向かって走りだした。そして、一番あとに入ってきた母の手を掴んだ。

「すごい鼻息だこと……あら、また履いてるのね、そのソックス」

母は困惑し、父と姉は笑った。

少女は母の手を引いてキッチンのダイニングテーブルまで連れていった。

「お中元? 上坂さんからね」

母はちょうどリビング側のソファに座り込んだ父に、上坂さんからお中元頂いたわ、と大きな声で伝える。

「中身は?」冷蔵庫からミルクパックを取り出しながら姉がいう。

「ほら上坂さんよ、覚えてないの? 入院中に何度もお見舞いに来てくれたでしょう」

声の発する方へいちいち困惑した顔を向ける挙動不審の少女に、母が訊ねた。

少女は無言で首を大きく横に振った。

母が包装紙を破り始めると、姉もミルクを飲みながらテーブルに近づいてきた。

中身はフルーツジュースの詰め合わせだった。

「マンゴーに、あっ、ドリアンもあるよ! トロピカルうー」と姉。

「冷蔵庫で冷やさなくちゃね」

フルーツジュースを箱から取りだし、冷蔵庫に入れようとする母の手を、少女はものすごい力で押さえつけた。

このジュースは飲んではいけない、飲んだら大変なことになる、と何故だか少女は感じ取ってしまったのだった。

理由など説明できないが、〈飲んではいけないもの〉だということだけは、何故だか確信があった。

「だめぇー!」

少女の喉から思いのほか大きな声が出てしまう。

母は一瞬驚いたが、すぐに顔を赤くして笑い始めた。

「どうしたの、この子は……」

困惑しながらも娘の顔を笑顔で覗き込む母。娘の必死さに父も笑った。姉も笑っている。みんなが何故笑っているのか、少女にはわからなかった。

少女はつかんだ手を放そうとせず、泣きながら必死で嘆願し続けた。

みんな死んじゃう! みんな死んじゃう!

部屋は家族の笑い声で満たされ、そのボリュームはますます大きくなるばかりだった。

つづく


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