大畑 歩夢

大分県中津市出身で今は熊本にいる大学3年生です

大畑 歩夢

大分県中津市出身で今は熊本にいる大学3年生です

最近の記事

書き出すこと

最近、『全て忘れてしまうから』という燃え殻さんのエッセイを読みました。 言い得て妙で、かゆーいところを掻いてくれるエッセイで笑っちゃうところもありました笑 「私たちの血肉まで資本主義じゃないから勝った負けたが必ずしも私たちを幸せにするわけじゃない。 タワマンの回数が上がれば上がるほど幸福指数は上がるわけじゃない。」  この紡がれた文章は資本主義だからこそ忘れちゃいけないことだと思い共有しました笑 この本を読んで、「そのときの感情や出来事の記憶は風化していくから、ノートなり

    • 息抜きしすぎてるなと

      めっちゃ久しぶりの更新。2ヶ月ぶりw 今回のはめっちゃ緩い感じです。 ここ数日間はボーッとしていてマズイな思いながら、noteを書いてますw 今日は下町ロケット(今更)を観ながらゆーーっくりしているんだけど、「年末まとめスペシャル!!!」みたいなやつで断片的には観ただけでしっかり観たことがないんですよね。 めっちゃ面白いなぁ〜 日曜劇場つながりで言うならば「半沢直樹」が面白すぎて、日々の生きがいになりつつあるw 確か2013年から7年振りで余計に面白く感じてます。

      • noteを始めたキッカケ

        今日はこれまで触れていなかった始めたキッカケについてお話しようと思います。 ある友人から「急に始まったから理由が気になる」と言われたのでこうして投稿することになりました。(1人にしか言われてないけど最大多数の最大幸福はガン無視で笑) 始めた当初は「〜だから始めよう!」ということはもしかしたら思ったかもしれませんが、正直はっきり覚えていないので思い出しながら書いていきますね〜 当然、何かをしようと思ったということは何か理由があるはずです。 ここでいうnoteを始めた理由

        • やっかみや嫉妬

          これまでの人生中で、やっかみや嫉妬の感情を抱いたことない人は絶対にいないと思います。 悔しさからくるので、この感情は自身の活動の燃料になりえます。しかし大概の人は一時的なカンフル剤でしかなく、長続きしないんです。しかも、余りあるほど悪影響を及ぼしてしまいます。 その悪影響とは価値判断の歪曲です。 多分、イソップ寓話だと思うんですが価値の歪曲の典型のようなお話があります。 ある腹を空かせたキツネが、木に美味しそうに実っている葡萄を見つけます。食べたいと思い必死にジャンプ

        書き出すこと

          アドラー心理学がエグい

          2ヶ月くらい前に『嫌われる勇気』という本を読んだことがあった。 この本はとても気持ちの良いもので、これまで生きてきた中で私のマインドに近い部分ををめちゃめちゃ綺麗にまとめてくれていて、本当に最高。(「これこれぇ〜!こういうの待ってたのよぉ!」って冗談抜きでなりました笑) 直感で「これはなんか違うだろ」と思っていたことを言語化していて、まーじで良い。 この『嫌われる勇気』をおおよそカテゴライズすると ・トラウマなんて存在しない ・全ての悩みは対人関係 ・課題の分離

          アドラー心理学がエグい

          様々なことを白黒で判断するのは、やめにしませんか?

          様々な物事を考えるとき、判断するときに「これは良くて、これはダメ」などのように二項対立を基準にしてしまうことが往々にしてある。 白か黒か、伸るか反るか、S極かN極かみたいに軸をどちらか片方にしか置かない。 その2つの間に存在するはずのグラデーションが一切排除された状態。 それを垣間見たのが2年前のサッカーワールドカップ。グループステージでポーランド相手に勝ち点の関係でボール回しをして、結果的にグループステージを突破した。しかしすぐさま大バッシングを浴びた。 イタリア代

          様々なことを白黒で判断するのは、やめにしませんか?

          あなたの善意は他の人にとって善意ではない

          「自分の正義(正しいと思っていること)は他の人にとっても正義だ!」と信じて疑わない人が多い。正直、これはなかなか面倒くさい笑 例えば「〇〇のことが好きだから言ってる!絶対に△△した方がいい!」「〇〇さんが言っていたから、絶対△△した方がいい!」とかの類。 親子喧嘩でよくあるパターンかも。(振り返ると私自身も絶対に過去、やったことがあるので、この場で謝らせてください。ごめんなさい汗) このような場合、「僕(私)は良いことをしている〜」という気持ちが完全に思考を停止さ

          あなたの善意は他の人にとって善意ではない

          手段と目的

           これが初めての投稿になります。いきなりですが私は去年、大学2年生の夏あたりから「手段と目的」についてよく考えることがあります。この場合の手段と目的は人生とか生きていく上でということです。なぜこんなことを考えるようになったかというと将来の夢だと思っていたことが本当の夢ではなかったからです。夢破れたとか絶望したとかではないです笑  元々、高校の世界史の先生になりたいなと中学生くらいから思っていましたが、本を読んだり、人と話をしたり、模擬授業をやっていった中であるときにふと「あ

          手段と目的