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4/18 自己紹介[サッカーを職業に]

おはようございます。こんにちは。こんばんは。
初めまして。
記事を見て頂きありがとうございます。

6歳からサッカーを始め、現在サッカー指導者となりサッカーを通じて様々な経験をしました。
これからの記事が少しでも、皆さまの心に響くようにお伝えできればと思い始めました。

冒頭にもありましたように、6歳からサッカーを始め、20歳までプレイヤーとしてピッチで勝負していました。

6歳から12歳まで地元のサッカークラブに所属。(小学生)
12歳から15歳まで地元の強豪チームに所属。(中学生)
15歳から18歳まで地元を離れ強豪校に所属。(高校生)
18歳から20歳まで当時関東1部リーグのチームに所属。(社会人)
20歳から現在23歳サッカーコーチ。

人生の分岐点というのが誰にでもある。
私はその分岐点が人よりも早かったように感じる。

12歳の時にプロのサッカー選手になりたい。

それから毎日サッカーのことしか考えない生活が始まり、【少年時代のサッカーが好き】という感情から【サッカーを職業にしたい】という気持ちに変化したことを鮮明に覚えている。

しかし、当時は高校進学する際にいい選択とはいえない選択をした。
ありがたいことに何校からも特待進学のお話をいただいた。(全国大会出場校もある)
一方で、選んだ高校は県大会ベスト8レベルの高校を選択した。
サッカーを職業にしたい目標があり、逆算すると目標を遠回りしている。そう感じた。
私を左右した理由の1つがお金だった。
私が進学した高校は一才お金がかからない。(特待のレベル)
選ばなかった高校は強豪でその年、夏秋全国大会出場をした。

私が今までサッカーを続けてこれたのは紛れもなく「親」だった。
少しでも、負担を減らしたい。
そして、私自身も少しでもレベルの高い場所でサッカーをしたい。

一致したのが私が進学した高校だった。

周りからもたくさん言われ、絶対に見返してやろう。
この高校でベストを尽くす。そう決めた。

高校サッカーでは県大会ベスト8。
フットサルでは全国大会2回出場し、ベスト8とベスト4までいけた。
周りからの目線も少しは変化した。

高校卒業後はプロフットサルの道もあったが、サッカーを職業にしたい気持ちにブレはなく、関東1部リーグのチームに所属し、約2年間プレーした。
そこで待ち受けていたのは「怪我」だった。

怪我と聞いて皆さまはなにを思い浮かべるだろうか?
私は、肉離れだったり、骨折etc...を思い浮かべる。

私の怪我は右脚膝前十字靭帯断裂、後十字靭帯損傷、半月板損傷だった。
難しい言葉で初めての経験だった。
簡単にいえば、膝の支えている部位がボロボロになって動かないこと。
私の膝もメンタルも限界がきた。

本田圭佑さんの言葉で「限界を決めたらそこが限界だ」とありますが、私はその言葉すら理解できず、自分の中でサッカーを職業にすることに限界を感じました。

夢を諦めました。

私はプロサッカープレイヤーになれなかった。

両親に伝えた。母から、次はあなたがプロサッカー選手を生みなさい。
その言葉で、私の第2の人生が始まった。もしかしたら、ここが人生の分岐点かもしれない。
そう思い込みながら日々育成に取り組んでいる。

私自身、伝えるのは得意な方ではない。
感覚でサッカーをやってきたことが多いから笑
チームのコーチ陣からたくさんのことを学ばせてもらい今の自分がある。
まだまだ足りないとこらだらけの私を支持してくれる監督、コーチ、選手、保護者様、さまざまなかたに支えられてることに感謝して指導を頑張ろう。

次は私がプロサッカー選手を生む

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