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笑った顔しか覚えてない人(雑記)

 昔から、眠りが浅い日の明け方にたまに同じような夢を見る。小学校、中学校、高校、大学、社会人になってからなど、いろんな時代の知り合いが同じ空間にいる、天下一武道会みたいな夢。とても仲の良い友達、苦手だった派手な女の子、ちょっとおもしろい男子、出会ったことはないけれど想像上のネットの○○さん、みたいな人など、それはそれはいろんな人が出てきて、夢の中で同窓会をしているような夢。

 その夢の中には、小学六年生から中学二年生にかけて好きだった男の子が出てくることが多い。彼はいつも友達の輪の中で笑っていて、私は必死に視界に入ろうとしていて、その笑顔を投げかけてもらおうと健気に振る舞っている。夢の中の私は、実物の私よりほんのちょっと社交的で、明るくて、機転のきく理知的な私。綺麗な羽を見せてメスの気をひこうとしてるオスの鳥?立派なタテガミのオスライオン?そんな感じではなくて、もっと自然な感じ。当時の姿ではなく、今の年齢の私の姿で出てくる。

 最近の夢の中の初恋の人は、夢の中ですら絶対に、私を「好きだ」とか「ズッ友だよ」とか甘いことは言ってくれない。かと言って、辛くあたられたり、冷たくあしらわれたりするわけでもない。夢の中の彼はずっと笑ってて、当時と同じで、ただただ近くもなく遠くもない距離で、私の圧倒的な片想いで終わる。以前までは、夢の中で両想いになった瞬間に目覚めてガッカリするなどしてたのだけど、最近の夢は刺激が少なくて助かる。尾をひかなくていい。大衆の中で彼と再会しても、きっと見つけられないくらいの「ないないづくし」の恋でしたので。
 ちなみに、私の初恋の人は、「怪奇!YesどんぐりRPG」のYes!アキトに似ている。お調子者で、イケメンと言える類ではなくて、笑った顔が似合う素敵な男子である。

 (一番左の人である)

 笑った顔しか覚えてない。笑った顔しか残らなくてよかった。声も、覚えてなくてよかった。よほど強く想い、よほど何度も学校の中で彼の姿を追ったのだろう。未だにたまに夢に出てくるけれど、美しい初恋の思い出として、ほどよくぬくもりのあるよい夢を見せてくれるのだから、まだいい。あとは、どんどん美化されて、つるつるの丸い球体になったのち、粒子となってこのまま記憶の海に消えてくれればいい。恋をたくさんした人は、夢にたくさんの過去の人が出てくるのだろうか。それは、苦しくないだろうか。

 目を覚ますと、笑った顔以外もたくさん知ってる人が横に眠っている。携帯ショップの対応に憤り、悲しい漫画に涙し、仕事がうまく片付いたと嬉しそうにする、かわいい夫がいる。この人といつまで一緒にいられるだろう、気が遠くなるほど長いだろうか。それとも、ある日突然そうじゃなくなるのか。不安になる。不確定的で、不明瞭で、無保証なので、それはそう。この人は、いつまで私に笑顔を投げかけてくれるだろうか。私はどのくらい生きられるんだろう。

 私は、未来にどんな記憶を持っていくのだろうと、時々たまに考えることがある。認知症の祖母は思い出したり忘れたりの狭間を何度も行き来していて、慟哭を今でも覚えている。祖父はとっくの昔に閉店して跡形もない喫茶店の話ばかりをよくしていて、私は中学の数学とか理科とか、もうすでに全然覚えてない。

 全然わかんないけど、明日も明後日も生きなきゃならんですし、できれば笑って生きたいし、でも、サッカーをリアルタイムで見てしまったし、そのあと録画の鎌倉殿も見たし、もう……


 この文章を書くのに二日もかかってしまった。何が言いたかったか、何を残したかったか忘れてしまったけれど、明日からも頑張るんば。

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