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462核の抑止に二つの考え

「戦争は嫌です」と唱えていれば戦争にはならない。そうしたニセ平和論者がいまだにいるのが信じられない。「いじめは嫌です」と宣言しても、いじめは起きる。むしろ反撃されないだろうと、いじめのレベルがいっそう高まることが多い。これが現実だ。
 中国や北朝鮮は核開発に余念がない。大量製造し、実戦配備数を増やしている。超高速のうえに来襲軌道が変則で、迎撃システム構築が難しくなっていると伝えられるが、問題はそんなことではないと思う。仮に撃ち落とせたとしても、次から次へと何千発も核ミサイルが東京に飛んでくるのだ。こちらの迎え撃つ弾数は十分なのか。
全弾撃ってしまえば、あとは無防備である。
 ミサイルは撃たせてはならない。そこで「そちらが発射すれば、倍返しで核ミサイルを打ち返すぞ」と準備するのが、唯一の防御手段ということになる。それでは双方が相手以上の数の核弾頭を用意することになり、収集がつかなくなる。残念ながら、これが現実であり、論理的な思考法である。
 先日、テレビの報道番組に元外務省の高官が出演し、「そのような単純な論法ではなく、外交を駆使して合理的な解決を見出すべきだ」と高説を垂れていたが、その方法というのが、日本が核廃絶運動の先頭に立つことだと聞いて、腰を抜かしてしまった。
 双方が核ミサイルを千発ずつ持っていて、毎年双方が百発ずつ廃棄し、10年後に核なしの世界にしようというのであれば立派な交渉だ。しかし、こちらは核を持たないことを宣言しておいて、そちらも廃絶してくださいと言うのでは、相手には応じる誘因がない。その答えが、中国や北朝鮮の核増強路線である。
「核ミサイルを撃ち込まれるのは嫌だ」と考えるのであれば、相手と同等以上の強力な核装備をしなければならない。それ以外の方法があるのならぜひとも教えてほしいものだ。まともな答えを聞いたことがない。
 中国や北朝鮮の核ミサイルで、もうひとつの懸念事項がある。軍事専門家の間では知られていることのようだが、核ミサイルの発射ボタンを間違えて押す可能性だ。双方が相手国を粉砕するに十分な核ミサイルを用意しているとする。打ち合えば双方とも滅亡だ。その場合に、発射ボタンの押す、押さないについて、二つの考えがあるのだという。
 一つは「間違えて先制攻撃しない」ことを原則とする考え。そしてもう一つは「間違えても相手から先に攻撃させない」という考えだ。自衛隊の元空将の尾上定正さんによると、普通の核大国は核兵器の悲惨さを知っているから前者の考えだが、中国では後者で先制攻撃をされないことが至上命題になっているという。『自衛隊幹部が語る令和の国防』154頁(新潮新書、2121年)。
 この心理の差は大きい。後者の場合、間違えて発射ボタンを押すことへの慎重さのレベルが、前者に比べて格段に低くなる。特に相手に核反撃能力が低い場合には、もし間違えて発射してしまっても、相手に批判のチャンスを与えないよう攻撃を続けて、完全殲滅してしまえば証拠は残らないという発想になりやすい。中国版新幹線が脱線事故を起こした際に、車両ごと地中に埋めて隠し、事故の発生自体を隠ぺいしよとしたことがあったが、基本的なところで共通する。
 
 岸田総理は「毅然とした対応」の必要性を強調している。政治は結果責任だとも言っている。ではわが国が核攻撃を受けないための方法はなにか。
「反撃しないから攻撃しないでね」というのがこれまでの外交姿勢だった。その成果はどうだったのか。どの角度から見ても失敗だった。
であれば「攻撃しない方が身のためですよ」と十分な反撃能力を呈示することが、これからの外交姿勢であろう。そのための技術開発、実戦配備に向けて、必要な巨額資金(多分数十兆円規模)を、他分野への経費を徹底削減して捻出しなければならない。国家の指導層には、そのための国民啓発と国家行政組織の改造をしてもらわなければならない。

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