見出し画像

子どもはだれのものなの? 岸田流子育て政策に思う

 岸田総理の肝いり「子育て支援金」についての西日本新聞の論評社説。少子化政策の問題点を浮き彫りにしている。
 まず事実の確認。出生数はつるべ落としの減少で昨年は75万人。ボクらの世代に比べてざっと3分の1。反転の兆しはなく、今後もいっそうの減少が当然視されている。しかもこれは政府が子育て費用のバラマキを急拡大するのを尻目に生じている現象なのだ。
 岸田総理は出生増のために「異次元の対策を講じる」と言ったはずだが、バラマキの手法を変えずにカネ目だけを増やすことのどこが異次元なのか。典型的な”死にカネ”である。あるいは”ドブ捨て”である。
 岸田総理の頭の中では、「国民は子育て費用を負担するのが苦痛だから子を産まない」という構図になっているようだ。そこで子育て経費を際限なく公費で肩代わりしていく。それがどういう結果にもたらすか。
 出産費用がタダになるまで出産を控えよう。
 保育所費用がタダになってから出産を考えよう。
 教育費がタダになるまで出産を考えないことにしよう。
 そのうちに児童手当が子育て実費を大幅に上回ることになるまで子どもはやめようとなるだろう。
 これらに共通することは、子育て責任が家庭から、国に転嫁されていることだ。まるで共産国家のようである。
 そしてそれでも出生数が減少していくのだ。意図的に出生数を減らしているとも見える。まともな頭を持つ者の発想ではない。

 どこが間違っているのか。ほんとうの異次元(発想の転換)を拒否していることに根本原因がある。子育て費用を国が肩代わりしても出産数は増えない。子育てが「経済的に見合わない苦行である」と思っている人には、カネをチラつかせても出産に向かわせるのは至難である。

 子どもは産み育てるのが社会人として自然な形である。そういう認識に国民意識を変えていくのが出産増対策の根本なのだ。
 ここで間違えてはいけないのが、法律で出産を強制しようという単細胞の連中だ。子どもは可愛がって育てなければならないのであり、イヤイヤ生んでもらうものではない。産みたくない人は産まなくてよい。個人の考えであるから批判することもない。産み育てている側が「年金制度へのただ乗り」などと責めるべきでもない。子育ては大概の人にとっては本能的に楽しいことであり、それに経済負担がかかるのは当然なのだ。そう感じない人も中にいる。気の毒だねと思っていればいいのだ。
  
 子育ては個人サイドの問題であり、国や自治体から余計な干渉を受けない。これが基本である。そのうえで子育てをして次世代を増やすことに貢献した人に対しては、社会としてささやかなお返しをする。しかもそれは子育て中にではない。現役社会人として活躍している人を産み育てた親およびそのまた親(祖父母)の基礎年金に、育て上げた子や孫の人数に応じた増額加算をするのだ。勲章などというどぎつく誤解を生む方法はよした方がよい。
 保険料納付する現役世代では「自分の保険料が長生きの親や祖父母に少しだけ手厚く回されている」と実感できる。年金受給者側では、「子を育てておいて長生きの甲斐があった」となる。若い時の苦労は買ってでもせよの格言があるが、まさにそれを地で行くことになる。おおかたの人がそうだねと思うようになれば、出産は本能行為なのだから、放っておいても出産数は回復する。

 繰り返そう。効果が怪しいバラマキは政府財政を傷めるほかに、国民の精神的堕落をもたらす。そうしたことしか思いが至らない政治家(多分世襲人が多いだろう)は困ったものである。

【社説】子育て支援金 「国民負担」の全容を示せ

西日本新聞 2024.3.7

 厚生労働省が先週発表した2023年の出生数は75万8631人で、過去最少を更新した。8年連続の減少だ。
 想定より10年以上早く進む少子化のペースに、政府の対策が追いついていない。岸田文雄首相が「異次元」と称する新たな対策も心もとない。財源確保の道筋がいつまでたっても見えないからだ。
 国会で少子化対策関連法案の審議が始まった。児童手当や育児休業給付を拡充し、親の就労にかかわらず子どもを預けられる「こども誰でも通園制度」を新設する。
 子育て支援をはじめ、関連する対策には年3兆6千億円の予算が必要になる。肝心の財源は法案が提出されてもなお曖昧さが残ったままだ。
 特に議論になっているのは26年度に新設する「子ども・子育て支援金」だ。公的医療保険料に上乗せして国民や企業から徴収する。段階的に増額し、28年度に1兆円を確保するという。
 政府は28年度の1人当たりの徴収額を月平均500円弱と説明してきた。加藤鮎子こども政策担当相は衆院予算委員会で、千円を超える場合もあり得ると答弁している。
 加入する医療保険や所得によって徴収額は当然異なる。国民はその全体像が知りたいのに、政府ははっきり示そうとしない。
 社会全体で子育てを支援するため、幅広い世代で費用負担を分かち合う発想は理解できる。子育てに関わらない人からも賛同を得るには制度の詳細な説明が不可欠だ。
 この財源問題を一層分かりにくくしているのが首相の発言である。社会保障費の歳出改革と賃上げで「国民に実質的負担は生じない」と繰り返し述べている。
 社会保障費を削減すれば、国民の社会保険料を抑えられる。さらに賃上げで所得が増えれば、医療保険料の上乗せ負担分は相殺される、という理屈だ。どれだけの国民が理解できるだろうか。与党内からも「分かりにくい」と批判的な声が出ている。
 社会保障費の歳出改革は、介護保険分野の先送りが決まったばかりで実行可能性に疑問符が付く。賃上げは雇用者が決めることであり、医療保険料を負担する全ての人が対象にならない。
 負担増の議論を最初から避けた首相は不誠実である。国民に協力を求めるなら、無理な理屈でごまかさずに正面から語るべきだ。
 仮に当て込んだ財源を確保できなければ、借金に頼らざるを得ない。子育て支援の借金返済を子どもたちに回すとは、笑えないシナリオだ。
 23年の婚姻数は90年ぶりに50万組を下回った。経済的な理由で結婚や子育てを諦める人が少なくない。
 少子化対策は子育て支援に偏らず、若い人の雇用や暮らしを支援することが重要だ。子どもを持つ希望が持てるように、実効性のある対策を急がなくてはならない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?