見出し画像

個人の所有権とは?ロックの考えでは毒親は存在しない!


ちょうど1年前にパラダイスポストに投稿した内容。サイトはすでに消されているので跡形もない。が、下書きをすべてGoogleドキュメントに残していたので再投稿🤲

たしかこのCourseraの講義内容を元に書いたやつ。

イェール大学 政治の道徳的基盤


————————————————-



友人から私が所有している車を褒められた。似たような経験は誰にでもあるのではないだろうか?「そのスマホケースめっちゃいいね!」「それ最近流行りのタンブラーだよね!」「その髪素敵ね!」などなど、世の中には星の数だけ誉め言葉が散らばっている。



私の車を褒めてくれた友人に「ありがとう」と伝えたところ、「別に君のことは褒めていない」と言われた。この言葉に正直驚いた。彼によれば「でしょ?いいよね、この車」という同意を表す返答が正解だったらしい。メタ認知が得意な彼らしい答えといってしまえばそれだけの話なのだが、私としてはどこか腑に落ちない。ここで所有権の見解に食い違いがあることに気が付いた。



彼は私を「車の所有者」としてではなく、私をごくありふれた一人の人間として見ていた。つまり私の所有権を認めていなかったのだ。毎年5~6月頃に国から届く納税通知ハガキを持ってコンビニに税金を納めに行っていても、その車を“所有していない”と捉える事はどういうことか?これは明らかに物理的な話ではないように思う。



個人の所有権とは一体何なのか。精神の内なる説得について、(初期の)民主主義の最も重要な理論家の1人であるジョン・ロックはこう語る。



『無神論者を除いて、すべての見解は容認されるべきである。このことはあなたに聖書の読み方が間違っているとあなたに言う権限を持たない。真の救いの宗教は心の内なる説得、真の信念から成り立っている。それは誰にも強制できない。客観的な知識について私達は推測することしかできない。』



また、ロックは『人間はすべて、1人の全能で無限に賢明な創造主の作品である。私達は神の所有物であり、神は人間に自分で物を作る能力を与えた。』とも言っている。ここはかなりポイントだ。



対して科学者達の個人の教義によれば、私達人間は自分が作るものを【所有】することになる。所有するという考え方は、何かを想像する人、それを作成する人、デザインする人は誰でもその理想像に対して権威ある知識を持っているという概念である。



この点を踏まえてロックの次の言葉を見てみよう。『人間の生きる世界は人間によって造られた一種のミニチュアの世界である。このミニチュアの世界で人間は神のようにふるまうことができる。』



これをデカルトの『我思う、ゆえに我あり(コギト論)』と照らし合わせれば、「私達は内在的に自分達が何を作るか知っている。」ということになる。なんだか胸が躍るような言葉だ。人の意見を真に変えることはできないけれど、人間が作ったこのミニチュアな世界では新しい枠組みを作ることはできるのだ。



そしてここからロックの「個人の主権」に関する見解が面白い。ロックはすべての個人は自分に対して主権を持っていると述べた上でこう語る。『他の誰も、誰かに所有されることはできない。親は神が彼らに植え付けた動物の本能で行動するが、“子供を作らない”。』ロックにとって最も重要なことは、彼らが“子供に魂をいれない”ことだった。子供に魂をいれるのは神であり、【親は自分の子供を所有していない】という見解を持っているのだ。子供たちは神の所有物であり、私たちの所有物ではないと。



ロックの見解からいえば毒親などこの世に存在しないのだ。束縛の強いカップルも相手の所有権が認められているわけではないのでこちらも存在し得ないはずである。



これを身近な社会諸制度に置き換えてみたらどうだろうか?もし人を完全所有する権利が認められる世界があったとしたら、給与報酬体系は個人が行った業務に対する評価制度以外に、その業務を行った個人が扶養する家族の人数によって報酬が変動する仕組みが認められていいはずだ。



現状の世の中では、養っている家族がいる分だけ納める税金が優遇される扶養控除制度が存在する。この制度は所得税法上の枠組に収まっているのだから、どこからを“所得=所有”とみなすかの線引きは税金の枠組には反映されている。



所有の関係をこと対人関係に置き換えると、後輩が犯したミスを先輩がかばうような原理は毒親の原理と似ている気がする。連帯責任という言葉は個人の所有権を目隠しする言葉では無いだろうか。


また、所有から付随して発生する献身性は女性の方が強く意識している部分だと思う。結婚して女性の苗字が変わる日本文化においては所有の考え方が男女で違うのかもしれない。自分が男性の所有物として“献身すること”を求められていると感じてしまう女性は少なくないのではないか。余談になるが、キルケゴールによれば、女性らしさとは献身性のことらしい。



ここでようやく「別に君のことは褒めてない」と言った友人の言葉が理解できた。その時の私と友人では所有物に対する根本的な考え方が違っていたのだ。でもやっぱり車は人間がミニチュアの世界で作ったものなのだから、同じくミニチュアの世界で使える通貨を貯めて、同じくミニチュアの世界で定められた法律にしたがって購入しているのであって、少なくともこの制度が崩壊していない現段階では“かなり希薄化された個人の所有物”と言ってもいいような気もする。




2023/2/1/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?