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《コラム》言語論の初歩について(「独学の思考法」)

 ※本記事は、「《書評》「独学の思考法」山野弘樹」の記事に挿入される文章を、記事が長くなりすぎた為に個別記事にしたものです。よって、そちらの記事と合わせてお読みください。

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「○○という言葉で、何を意味しているのか?」(「定義」の具体性をめぐる問い)という五つ目の問いも、お互いの主張を具体化する際に有効です。再び「これからのビジネスにおいては哲学が必要だ」という主張を例に取るなら、ここで「『哲学」という言葉で、何を意味されているのですか?」と相手に問いかけてみるのです。すると、Aさんは「方向性を明確に打ち出すヴィジョン」と答えるかもしれませんし、Bさんは「昔の哲学者たちの学説」と答えるかもしれません。

p59

 とあるが、この記述に私は引っかかった。なぜなら、この文章は、前提として、言葉は文脈によって意味を確定させるもので、共有された一意の本質的意味はないという前提があるからである。しかし、私は、漠然と、言語において本質が存在しており、その本質によって一つの言葉が成立しているという考えを持っていたからである。例えば、上記の引用では、哲学は「根本的な所を問う営み」というのが本質的な定義であって、それ以外の意味付けはせいぜい付帯的なものでしかないと感じたのだ。

 恐らく、私に、言語に対するこの考えを与えたのはプラトンだろう。彼は、言葉は本質的にイデアを持ち、記述的な説明は十分ではなく、それそのものとして扱うべきと述べた。例えば、「美しい」ものは「美しさのイデアを持つ」から美しいのだ。では、この考えは正しいのだろうか。

 確定的な事は言えないが、こういった考えは少なくとも、後世の哲学者であるヴィトゲンシュタインによって明確に否定されているというのが実際だそうだ。よって、私はまずヴィトゲンシュタインを学ばなければ、この本の前提となっている、「言葉は文脈によって意味を確定させられる」の正しさが分からない事になる。これこそまさに無知の知である。

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 哲学は何の役に立つのか?という問いに対して、何と答えるか。しかし、そもそも、哲学なしでは、こういった物事の基本(言語というのはどういうものか)すら分からない事が問題なのだ。無論、多くの人は分からなくても問題ないのだが、私は今後の為にこうした考え方の基盤が欲しいと考えている。

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