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詩歌ビオトープ028:中野菊夫

詩歌ビオトープ28人目は中野菊夫です。

そもそも詩歌ビオトープとは?
詩歌ビオトープは、詩の世界を一つの生態系ととらえ、詩人や歌人、俳人を傾向別に分類して、誰と誰が近い、この人が好きならこの人も好きかもしれないね、みたいなのを見て楽しもう、という企画です。ちなみに、傾向の分類は僕の主観です。あしからず。

この人は1911年に東京都で生まれました。中学生の頃石川啄木を読んで短歌を始めたものの、特に誰かに師事するといったことはなかったようです。

その後多摩美術大学でデザインを学び、卒業後は学校の図画の教員となりました。

歌人としては、戦後「人民短歌」の創刊に関わり、その後自身の歌誌である「樹木」を創刊します。

この「人民短歌」はいわゆるプロレタリア文学系の短歌誌で、現在は「新日本歌人」として続いています。


さて、今回も小学館の昭和文学全集35に収められた短歌を読んでいきます。

本書には「幼子」から53首、「風の日に」から59首の112首が収められていました。

で、僕の分類ではxが15、yが10で「音楽的かつ自然主義的」な人となりました。

カテゴリーとしては「音楽的」になりましたが、読んだ印象としてはだいぶ絵画的な人だと感じました。土岐善麿にしろ坪野哲久にしろプロレタリア系の人はスローガン的な歌が多いという印象なのですが。その辺はきっと、この人が画家の目を持っていたことが大きく関係するのでしょうね。その意味では、もしかしたら明石海人なんかも近いのかもしれない。

たとえば、この歌が印象的でした。

焼あとを通りて隣りに遊びにゆくわが子を見をり木にかくるまで

二筋に岐るる道にふみ入りぬ夏草の下瓦礫の焦土

とか、映像がぱっと目に浮かびます。

あと、さっきも上げましたが、愛娘を詠んだ歌がたくさんあって、なんだかほのぼのとしました。

みどり子はものを言はねば抱き上げて日に向けやれば目を細くせり

なんか、ぐずってたんですかね。

で、もうひとつのこの人の特徴は、言葉遣いが平坦だということです。難しい言葉や新奇な言葉はあまり使わず、誰でも意味がわかるような言葉で詠んだ歌が多かったです。その辺は民衆派、といった感じがします。

この人の評価の中には、そうした言葉遣いの平凡さがつまらない、という批判もあるようです。僕は、そっちの方が好きですけど。

竹林に沿ひくるわれら年永くこの細道をしれるごとくに

とか

石の上にたまれる水に空うつりあふるるばかり光をちらす

とか、すごく好きです。で、土岐善麿もそうですが、優しい人格の伝わってくるような歌が多いと思いました。

ということで、29人目に続く。

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