大好きだった小学校の先生

 小学6年生の頃、私は中学受験のため、週に4回放課後学習塾に通い、夜遅くまで勉強していた。子供の頃の私は、しなければならないことというのが、必ずやりたいことよりも先に存在していて、しなければいけないことは、やりたいことよりも人生で大事なことだと思っていた。つまり、中学受験は‘しなければならないこと’に分類され、友達と外で遊ぶことや、おしゃべりをすることは‘やりたいこと’に分類されるから後回しだし、大事なことではないと思っていた。だから、本当は中学受験をしたくないという自分の本心を、両親に伝えることができなかった。
 私にとって小学校とは、受験のための息抜きの場として、友達と思い切り遊べる場所で、担任の先生は、塾の先生のような難しいテストをしない、遊んでもらえるお兄さんのような存在だった。そして、私は先生との放課後のおしゃべりが大好きで、塾の無い日は、友達と夕方5時半のチャイムが鳴るまで教室に残っていた。先生はとても良い人で、良く先生としての事務処理(テストの採点、教材作成、学級通信?作りなど)の合間に、私たちとおしゃべりをしてくれたり、テストの採点中は、ほぼゼロ点の男の子の回答用紙にイラストを描いては私たちを楽しませてくれた。私は先生といるときは、何も考えずによく笑っていて、先生には中学受験用の問題を出して意地悪をしたり、彼女はまだできないのー?と、ませたことを言っては先生の反応を楽しみにしていた。(たぶん好きだったのだと思う。)先生はそんなときも冗談で、「はいはい、先生よりみんなの方が賢いですよー。」とか、「顔がモアイ像みたいだからモテませんよー。」などとお決まりのセリフを言っては、私たちを楽しませてくれていた。
 今思えば、先生は子供のことをとてもよく見ていた。忘れ物をする男の子には家庭の事情があるのだと察して、毎日連絡帳の欄に、親へのコメントを多く書いていたし、本人からよく話を聞いていた。授業中、前日テレビゲームを夜遅くまでしていたせいで居眠りをしてしまったであろう男の子は起こしたけれど、私のように中学受験をする子供がうとうとしている時は見過ごしてくれた。
 私は、塾の無い日は夕方遅くまで家に帰りたがらず、先生とおしゃべりをしていたから、本当は中学受験をしたくないということも先生はわかってくれていたと思う。でも先生は、私の気持ちには気づかないフリをして、中学受験に関しては、卒業するまで、口を挟まずに見守ってくれた。私は頑固だったので、きっとその時先生から本心を探られても、素直に認めるとはなかったと思う。先生は、いつも冗談を言いながら、私に息抜きの時間をくれたのだ。

 先生にとって私は数多くいる教え子の一人で、覚えてはいないだろう。それでも私は、子供ながらに大変な日々の中で、無邪気に楽しむ時間を守ってくれた先生の事を忘れないし、子供と向き合うときに、子供としてではなく、一人間として細やかな気遣いで接してくれた先生のことを、大人になってからも思い出せる楽しい記憶をくれた先生のことをとても尊敬している。

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