幼馴染の結婚

 幼馴染の女の子が結婚した。出会って20年以上の付き合いである。仲良くなったのは小学3年のクラス替えで同じクラスになってからで、それ以降、中学、高校と同じ学校へ進学し、大人になった今でも連絡を取り合う数少ない友人の一人だ。小学3、4年生の頃は、間違いなく一番の友達だった。交換日記を二人でしていたし、仲良しグループ4人でする交換日記もそのうち二人は私と彼女だった。5年生になってからは、二人で電車に乗って、1時間かけて同じ塾に通った。中学、高校も通学はもちろん同じだった。一番長く一緒にいた友人である。

 私たちは間違いなく、一番付き合いの長い幼馴染同士である。でも、中学に入学したあたりから、一番気が合う親友ではなくなってしまった。私にも彼女にも、それぞれのクラスで、もっと気が合う友人や、気を遣わないといけない友人グループができて、お互いが一番ではなくなってしまったのだ。

 だから、昨年、彼女が結婚すると聞いたときはもちろんうれしかったのだけど、その一方で、私は彼女との関係に罪悪観を持っていた。例えばとても気が合う仲なら頻繁に連絡をとったり、時々旅行に行ったりすると思うけどそうじゃないとか、仲良しグループでは会うけど、二人で会うことはない、とか。

 彼女との関係だけでなく、ずっと親友でいるなんていうことはあまりなくて、友達とはなにかわからなくなることもある。人の価値観は変わっていくし、今の自分が大事だと思っていることを同じように認めてくれなければ、友情は成立しないのではないかと思ったりする。

 彼女の結婚式の当日は、私を含む仲良し4人は披露宴で余興をする予定で、開宴前に打ち合わせをしていた。私は彼女へのメッセージカードに、「幼馴染が結婚することが、とても不思議な気持ちだけどすごく嬉しい」といつもより短めに言葉を書いたと思う。その後、とても素敵な式の後に、披露宴会場へ移動した。座席には彼女からのメッセージカードがあった。そこには、小学校の入学式の記念写真に、彼女と私が隣通しで写っていたことや、私たちは感性は違ったけど、何か通じ合うものがあったから友達になったのだということなど、彼女の想いが書かれていた。私はそれを読んで、彼女に申し訳なく思った。あまり連絡をとらないからとか、二人で旅行に行かなかったからという理由で、親しい友達ではないと考えていたことに。そして、彼女は不器用だけど、手紙は長めに書くタイプで、そこは私と似ているところだということも、交換日記のことが頭に浮かんできてふと思い出した。

 彼女も、これまでの日々の中で、私との’友情’について考えてくれたのだと思う。そして私たちは結果とても縁のある幼馴染だ。人の関係は、写真が何枚残るかで語るものではない。その人が、自分の心の中にどんな風に残っているかが大事ではないか。学校の帰りに自転車を二人乗りして駅から一緒に帰ったことを私は覚えているし、彼女とのエピソードはいつだっていくらでも思い出せる。それだけで充分ではないか。

だから私はこれから、いつだってそばにいる友達ではないかもしれないけど、彼女が悲しいときは話を聞いてあげようと思う。彼女がどんな風な言葉をかければ元気が出るか私にはわかるから。

 

 

 





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