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小学校時代1

私は今でこそ、恵まれた体格と 
日本人離れした顔付きで
散々、得をしてきたと思えるようななったが
小さい頃は人よりデカいのが嫌で嫌でw

小学校の頃の音楽の時間で
「大きなノッポの古時計)を歌うたびに
同級生に指差され、
「やーい、お前のことだろー」と
からかわれたりして、とても嫌だった。


性格も我ながら根暗、今でいう隠キャだ。
人と馬鹿騒ぎするのが苦手。
初対面の人間と話すのも苦手。
男のくせに神経質で細かい。

幼い頃から父に良く言われた。
「お前は石橋を叩いても渡らない性格だ」と。
これか自分の本性だと今でも思ってる。

授業中に手を挙げることもドキドキだったし、
家も父子家庭で貧乏なので、友達を呼べないし
また同級生が金持ちの奴が多くてねw

家に行くと美味しいケーキやジュースが出てくる。
新しいゲームソフトやオモチャ、
最新の六段ギアの自転車、
コロコロコミックで流行ってたラジコン、
欲しくて欲しくて堪らなかったなぁ。。。
ラジコンのグラスホッパーとホーネット。
京商という会社のラジコンで
京商オーナーズクラブという会員証みたいなの
見せびらかせられた時は心底、悔しかったw

遠足に行けば、
周りは豪華三段重みたいな弁当。
こっちは男手1つなので、茶色の変な弁当箱で
色味もへったくれもなく、友達に見られるのが
恥ずかしく、隠れながら食っていたなぁ。

そうして只でさえ、引っ込み思案なのに
ますます、前に出れない子になっていった。

それが成人してからは生きるために
真反対の違う自分を演じるようになり、
それがいつしか、本物になっていったと思う。

そんな隠キャな私が勇気を出したエピソード。

あれは確か三年生の頃、
プールの時間にプールカードを忘れた私。
これでは大好きなプールに入らないと思い、
咄嗟に取った大胆な行動は、
普通の休み時間は5分、
業間休み(今は中休みって言うのかな?)なら
確か15分ほど。これなら行ける!と。
こっそり抜け出し、ダッシュで
家に走って取りに行くこと。

その時は担任の代わりに
教育実習生の若い女の先生がきていた時。
もちろん授業再開時に出席を取るが
何故か生徒が1人足りない、大騒ぎだ。

全力疾走で息を切らして帰ってきた私を見て
実習生の女教師は、声を上げる前に
いきなり、思い切りのビンタwww

「勝手に出て行ってどういうつもりなの!」と
その後に怒声を飛ばされ、
「心配したんだから!」と女教師は大号泣。
子供ながら悪いことをしたと今でも覚えてるし
あぁ、俺のことを思っていってくれてるんだというのが凄く伝わった。だからその女教師のフルネームも今でも覚えてる。本当に申し訳ないことをした。
ゴメンね、◯瀬◯り先生。。。

とにかく、周りの同級生がドッジボールやら
フットベースにサッカーなど楽しそうな中、
こっちは来る日も来る日も、
毎日が空手の稽古。

稽古中は

「歯を出して笑うな」

「無駄話するな!」と

私の社交性がどんどん失われていくw

だから私は球技は馴染みがなく、
今でも苦手で
野球やサッカーは無論のこと、
ボーリングでさえ、まともに出来ない。
パワーだけはあるが、ガーターの連続。
我ながらコントロールセンスの欠片もない。
今の年齢的には、普通はゴルフだろうが
まったくもって食指が伸びなく、
誘われて打ちっぱなしを数回やっただけ。
自ら率先してやろうとすら思わない。

人より自慢出来るのは
ステゴロでの喧嘩くらいかなw
素手で顔を殴ると相手の歯で、
こっちの拳か切れてボロボロになるので
顔は一切やらない。ハイキックも簡単に入るが
倒れた時に地面がコンクリだったら
倒れた衝撃で頭部を打ち、
死ぬこともあるから。
やるならボディーに膝蹴りだが、
これも内臓破裂の恐れがあるので控えてる。
一番いいのは、
内臓もない足へのローキックだ。
足を潰せば、一気に戦闘力が削がれる。
最悪でも大腿骨の骨折くらいで済む。
足が痛いとその場からもちろん動けないし、
逃げることも追うことも出来ない。
ただ頭はハッキリ覚醒してるので、
何も出来ない自分に
絶望感や恐怖を感じさせることが出来て
敗北感を植え付けることが目的だ。
今なら流行りのカーフキックでもいいなw



その類まれな潜在能力をハッキリ感じたのは
確か四年生くらいだったかな?!
六年生にデカい、いじめっ子みたいな奴がいて
校庭で遊んでいる時にターゲットが私にきた。

前からオラオラと近づいてきて
パンチかキックかを出されたその刹那、
私はおもむろに足を出した。

それが毎日やらされていた
空手の「足刀」という蹴りだったらしく
相手の六年生は、大きくすっ飛んでいった。

何だ?!今の蹴りは?
これは俺がやったのか?と暫し呆然とした。

それから何かあるごとに自慢の蹴りを使い、
気に食わない上級生を見付けては
バッタバッタと倒して越に浸っていた。

バカに空手なんぞを教えると
ロクなもんにならない典型だw

ただ、身長は
学年で1番高いっていうくらいだが
とにかく、痩せてて体の線が細い。
飯は腹一杯、食わされるが
父の男料理なので、鍋みたいなやつか、
野菜炒めみたいなやつ、毎回大盛り一品のみ。

あとはひたすら、白飯をどんぶり3杯くらい。
吐きそうになるまで食わされる拷問だ。

そんだけ食っても、毎日の稽古で
カロリーを消費しているのだろう。
脂肪が全く付かなく、
まるでブルースリーのようだった。

うちの空手は剛柔流がベースだが
途中からフルコンに変わり、直接打撃制なので
脂肪がないと、突かれた時に痛い痛いw

宿題なんかもあったはずだが
あまりやった記憶がない。
そんなもんやらんでいいから稽古をやれ!と
言われていたような気が。。。
今でも勉強が苦手なのはこれのせいだろw

こうして貧乏ながらも、
体を鍛えまくる毎日で
卒業式を迎えるが、その準備の中で
どうしても欲しいものがあった。

卒業式に着る、胸にワッペンのついた
カッコいい紺のブレザーだ。

例の金持ちの同級生、
特に六年生あたりで仲の良かったのが
テフとヤギという2人だ。

この2人は金持ちで良い物ばかり食ってるから
丸々と太っている。それに引き換え私は
痩せぎすのヒョロヒョロ、まるで電信柱だ。

この太っちょ2人がブレザーを着るという。
私も欲しいと父に懇願したが、

「テメーがそんなもん着たって
 また背が伸びんだから
 どうせ一回きりだろ!」と

怒声と共にゲンコツ一発で話はお終い。

五年生くらいの時に流行ってた
アシックスの長い靴下も欲しかったが
確か2000円近くしたのかな。
ソックスバンドもほしかったなぁ。
数々の欲しい物を我慢させられてきたが
卒業式だけは譲れない!という思いで
立ち向かうが、全く歯が立たなかった。

ブレザーの代わりに来たのは
せめてものブランド物、
アディダスの白いトレーナーだった。

卒業アルバムも紛失してしまったが
後にテフがFacebookか何かで
卒業式の写真を送ってくれた時にみて
当時の悔しい記憶が蘇ったのも覚えてるw




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