修魂録〜徒然なるままに〜

五十にして天命を知った中老のアラフィフ。 雨上がりの道は泥濘むけれど、今ここに生きてい…

修魂録〜徒然なるままに〜

五十にして天命を知った中老のアラフィフ。 雨上がりの道は泥濘むけれど、今ここに生きている証を刻みます。

最近の記事

小学校時代1

私は今でこそ、恵まれた体格と  日本人離れした顔付きで 散々、得をしてきたと思えるようななったが 小さい頃は人よりデカいのが嫌で嫌でw 小学校の頃の音楽の時間で 「大きなノッポの古時計)を歌うたびに 同級生に指差され、 「やーい、お前のことだろー」と からかわれたりして、とても嫌だった。 性格も我ながら根暗、今でいう隠キャだ。 人と馬鹿騒ぎするのが苦手。 初対面の人間と話すのも苦手。 男のくせに神経質で細かい。 幼い頃から父に良く言われた。 「お前は石橋を叩いても渡らな

    • 出生より

      時を遡ること197X年、5月。 関東のS県O市にて 第二次ベビーブームの真っ只中に生を受ける。 体重2700グラム。 後に190センチ、123キロになる身としては 至って普通の体重だw 父、母、やがて3年遅れで妹が誕生。 どこにでもいる典型的な4人家族だった。 住まいは一軒家だが、 築何十年という、正真正銘のあばら屋だ。 壁なんか、ざらざらとした砂のような、 紙粘土みたいなやつw 今の若い子は知らんだろうなー トイレはもれなく、ボットン便所。 う◯こをすると、落下の衝

      • 生い立ち

        軽く私の生い立ちを紹介しておく。 思えば10代の頃より、不良の真似事をし出し そのまま地元の本職になりかけるも 兄貴分らと馬が合わずケツを割り、 逃げるように何故か縁もゆかりもない 横浜の地へと居を移す。 しかし行動を共にした当時の彼女は 引越し先への荷物の手配をしていたのだが 既に私と縁を切りたかったのだろう。。。 荷物は待てど暮らせど届かず 彼女も2度と現れることはなかった笑 あぁ、俺は振られたんだと失意の中、 ラジオから流れていたのは 岡本真夜の

        • 連れ合い

          今の連れ合いとは、もう16年目になる。 彼女によって自分が変われたと言っても過言ではない。 一言で言えば太陽なような女性で、 根が月見草の私には今でも眩しすぎる位だ。 初対面であろうと誰とでも壁を作らず、 すぐに打ち解けフレンドリーになれる。 私はというと。。。 元来の臆病者の人見知りであり まずバリアーを張ってしまい、 今でも無言の虚勢感を醸し出してしまうという ダメ親父です。 いけないのは分かってるのになぁ。。。 しかし彼女と長年いることにより 写真を撮る時、

          五十にして天命を知る

          ただいま、五十才になる中老のアラフィフです。 人生100年時代、 折り返し地点に来たというべきか。 5年ほど前より、現職に就き、 収入はそこそこになってしまいましたが 切った張ったや狐と狸の化かし合いのような 日々のシノギとはキッパリ縁を切り、 心穏やかな毎日を過ごせるような 可愛い子ども達と触れ合いながら 若さの元気まで貰えるというような エッセンシャルワーカーをしています。 今まで色々あったなぁ。。。 タイトルにもある通り、五十にして 遅ればせながら、様々な事

          五十にして天命を知る