見出し画像

ワンマンとカリスマの違いと生まれる理由

好事多魔(こうじたま)
→ 良いこと、上手くいきそうなことには、とかく邪魔が入りやすい。

とても理解できる四字熟語だと思う。

少しニュアンスが違う感じもあり、邪魔が入るというよりは、いろいろとやらないといけないことが増えるといった感じだろうか。

まあ、試練といってしまえばカッコいいかもしれないが、なかなか面倒なことも多い。

ただ、その先に進みたいと強く願うのであれば、それすら楽しまなければいけない。

ワンマンとカリスマの境界線

なにかを始めようと思ったとき、最初は1人からということが多いはずだ。

私の考え方ではあるが、まず自分でやってみることはなによりも重要だと思っている。

そのときに見えてくるものがあるからなのだが、具体的には下記のような事項だ。

  • どの程度の時間がかかるか

  • どの程度の予算がかかるか

  • 自分がやるべきところはどこなのか

  • 人に任せていくところはどこなのか

  • どの時点で止めるのか

このあたりを判断するために、とても小さくていいので自らが動くということを心がけている。

私は万能な人間ではないことは自分がよくわかっているので、どうやって組み立てていくのかを考えていくのである。

そして、この考えているとき、考えを実行に移していくときが楽しいのである。

自分のやりたいことを実現していくために動いていくわけなので、もちろん楽しいのだが、一方で自分の考えを貫かないと行けない場面も出てくる。

これは自分の中ではワガママだという認識はないのだが、トップのワガママだという見方をしてしまう人も現れてくる。

そして、ワガママという状態がワンマンという言葉に置き換わることが一般的だ。

ワガママ、ワンマンという言葉はネガティブに捉えられがちで、そういった組織は敬遠されがちだし、いい評価をされることに関しても不利に働く場合が多い。

ところが、同じ概念ではあるのに、一気にポジティブな世界観を切り拓く言葉がある。

それが、カリスマという言葉だ。

カリスマという言葉になるだけで、状況は一変する。

崇められる存在になるし、その組織には人が集まってくるようになる。

なぜ、このワンマンとカリスマといった差が生まれてしまうのだろうか。

ワンマンとカリスマが生まれる理由

まず最初にいっておきたいのだが、私はワンマンに対しては否定的ではない。

むしろ、強烈なリーダーシップは必要だと考えており、そういう意味ではワンマンと呼ばれる人にはリーダーシップが備わっている場合が多い。

そして、ほとんどの人は自ら行動を起こすことができない。

262の法則という法則を聞いたことがある人も多いと思うが、まさにこれは社会全体に当てはまっていることは人生経験を重ねていけばいくほどに実感する。

簡単にいうと、どんな組織でも全体の2割の人しか積極的に動かず、6割の人はどちらにもなびき、2割の人は不動ということなのだが、まさに世の中の縮図だ。

大前提として、少なからず私は2割の積極的に動いている人に入っているという自負がある。

だからといって、私は別にこの縮図が悪いことだとは思っておらず、大切なことはこの縮図をどのように活用していくのかということである。

なにがいいたいのかというと、8割の人にとっては、なにをすべきなのか示唆してもらえた方がいいということである。

つまり、指示を出してもらえたり、やるべきことを教えてもらえたり、行くべき場所へ導いてもらえた方が輝ける場合が多々あるということだ。

役割分担というか、自分がどの立場にいるのか、どの立場にいたいのかによって、世界が全く異なるのである。

ワガママだという感情を抱いたとしても、その人の指示に従ったり、本当にイヤだったらその人から離れればいいのに、なかなか離れない人がいるのは、そのためだ。

結局、ワンマンな人がいることで動かされている人もたくさんいるということで、動けないという人はワンマンな人がいることで助かっているという側面があるというわけだ。

それは、言い方の違いでワンマンであってもカリスマであっても変わらない。

動かされている側の人が大多数を占めているうちは、リーダーシップをとる立場の人が必要になり、その立場の人の大半はワンマンかカリスマになる。

ワンマンとカリスマの違い

それでは、なぜワンマンとカリスマという違いが生まれるのだろうか。

結論からいうと、ワガママとカリスマは、その人との距離感によって生まれるのである。

より近くにいると、その人の人となりがよく見えてくるのでワガママだという感情が勝るのだが、遠くへ行けば行くほどに幻想やポジティブシンキングが働き、カリスマになるというわけだ。

それから、カリスマは結果論であって入口はワガママから始まるという時系列の違いもあるだろう。

近くにいる人がカリスマと崇めるのではなく、勝手に周りがつくり上げていくものがカリスマであって、様々な外的要因が加わることも多い。

例えば、弱き立場だった人が力を持つようになるのが成功するというパターンが、最もカリスマになっていく典型的なものだろう。

幼い頃、貧乏で苦労した人が世の中の人の役に立つサービスを立ち上げて大成功したといった場合には絶賛され、カリスマになるといった具合だ。

一方で、両親が金持ちで子どものころから恵まれていて、そんな人がちょっとでも不祥事を起こそうものなら、ワガママだと徹底して叩かれたりする。

そして、そこには妬み嫉みが大きく影響している場合も多く、追い越すことのできない存在に一矢を報いる意味でもワンマン、つまり、ワガママと否定的に受け入れるしかない部分があるように思う。

ワンマンは悪いことなのか

それでは、ワンマンは悪いことなのか。

ワンマンの基本的な概念は、なんでも1人で決めてしまうということにある。

これは、フェーズによると思うが、なにかを始める最初のうちはワンマンがいいと思っている。

大きくなるにつれて、1人でなにもかもを決めることにはリスクも出てくると思うが、最初はワンマンで引っ張った方がスピード重視に繋がるだろう。

どんなプロジェクトやプロダクトでもいいので、イメージして欲しい。

誰も決められない状態が続く場合と、リーダーが即断即決で進めていく場合で、どちらが上手く組織が回るか。

あるいは、誰の意見も受け入れることでなにも決まらない状態で士気を高く物事が進んでいくだろうか。

もしかすると、リーダーに向いていない人や、リーダーになれない人には理解ができないかもしれないが、ワガママを貫くことができないと前に進めないことがある。

あの人はワンマンだとかワガママだという発言をしたことがある人は、自分自身がリーダーシップを取って、なにかを成し遂げたことがない人が多いと思う。

まとめ

良いこと、上手くいきそうなことには、とかく邪魔が入りやすい。

このことはよく覚えておくべきなのだが、その大きな理由は、妬み嫉みが影響しているからである。

上手くいきそうなことに対して、ゆっくりやっていては上手くいくものも上手くいかなくなる。

成功者であればあるほど、スピード重視だということを知っているからである。

となると、ワンマンでリーダーシップを発揮しないといけない場面は多々出てくるわけであって、そこで足を引っ張ろうとする人は排除していくくらいでなければならないこともある。

その先にワンマンでワガママという評価がカリスマに昇格するということだ。

そして、近くにいる人ほど、ワンマンだとかワガママだという印象を受けるだろうし、遠くにいればいるほどにカリスマ性に惹かれたりするだろう。

ただ、一度カリスマに昇格してしまえば、その人はワンマンやワガママに降格するということはなくなる。

けれども、ワンマンとカリスマの根本にある概念は同義であることは間違いないことを主張しておこう。


【Twitterのフォローをお願いします】

植田 振一郎 Twitter

株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。