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【感想】Nスペ:山口一郎 “うつ”と生きる〜サカナクション 復活への日々〜

「誰もが、うつは持っている」 サカナクションの山口さんは、そう語っていた。    誰かに合わせて、社会に適応できるようにカラを被って。 毎日少しずつ無理をしながら、ぼくらは生きている。   その「無理」は、やりたくない訳ではなくて、自分の創りたいものをつくるための、居たい場所にいるためのものだ。 自分が背負いたい荷物を背負うためのものだ。   けれど、それは少しずつ人を消耗させていく。 あれだけツラくて苦しそうでも、山口さんが帰って来られたのは(ぼくが戻っ

    • BUMPが、藤くんが「自分の楽曲はゴミのような、踏み潰されたビラのようなものだ」と話したことについて

      昨日の仙台のLIVEの最後のMCで、藤くんはこんな話をしたらしい。 ファンのみんなが「そんなことない」と叫んだ気持ちも分かる。 文字通りぼくらの命を繋いできてくれたBUMPの楽曲たちが「ゴミみたいなもの」なんて。 そんな訳あるか!そんな風に言わないで欲しい! そういう気持ちは、ぼくの中にだってもちろんある。 でも、その一方で「すごく分かるなぁ」と感じてしまう自分もいる。 BUMP CF CHICKENとは比べられるハズもないちっぽけなものではあるんだけれど。 自分

      • 探究・キャリア教育って「葬送のフリーレンだよね!」って話。

        探究について喋っていて、ふと「これってフリーレンじゃん!」と思って書いた記事。マイプロジェクトアワード全国Summitを聞きながらあらためてシェアしたくなったのでnoteに。 旅に出るためには理由が必要だ。 だけど、フリーレンがヒンメルたちとの旅を、あれだけ大事なものとして思い出すのは「魔王を倒したから」じゃなくて「旅が楽しかったから」なんだよな。 第1話 冒険の終わり/第2話 僧侶の嘘 / 葬送のフリーレン - 山田鐘人/アベツカサ | サンデーうぇぶり キャリア教

        • 【感想】willdoorFES2024〜参加者みんなと創ったミライに繋ガル時間

          いつも裏方で、実はちゃんと観られたのは初めてだったんですが…。willdoorFES、めっちゃ良かったーーーー!   willdoorCompassの運営メンバーが地道につくってきてくれたあったかい空気感。その大ファン(!)になってくれた高校生たちが、ボランティアメンバーとして参加者を支えてくれて。 彼らがつくってくれた安心感が参加者みんなの個性を、またドンドン引き出し、未来に向けて繋がっていっててくれる。   きっとこれは「大人が創り、高校生に届ける」形じゃ成り立

        【感想】Nスペ:山口一郎 “うつ”と生きる〜サカナクション 復活への日々〜

        • BUMPが、藤くんが「自分の楽曲はゴミのような、踏み潰されたビラのようなものだ」と話したことについて

        • 探究・キャリア教育って「葬送のフリーレンだよね!」って話。

        • 【感想】willdoorFES2024〜参加者みんなと創ったミライに繋ガル時間

          BUMP OF CHICKENの28周年に寄せて(非ライブ感想)

          twitterに書き起こしたけれど、自分で遡りづらそうなのでちょっと再編集してnoteにも残しておく。 ※ ライブ感想ではなく、当時から今にかけてのorbital periodの感想です(当たらなかったので泣 BUMP OF CHICKENの28年目の誕生日、一緒に祝いたかったーーーー!(ホームシック衛星Kアリーナは地元なのに両日とも外れてしまった…)ので、BUMPの5thアルバムorbital periodの思い出&曲紹介を書いて気持ちを浄化させたい。 orbital

          BUMP OF CHICKENの28周年に寄せて(非ライブ感想)

          【willdoor FES2022】「探究」の枠にとらわれず、一人ひとりの"わたし"がつくる彩りを

          9月24日開催予定のwilldoor FES2022。 掲げるコンセプトは、かなりキラキラしているように見えて、もしかすると「自分なんかじゃ‥」と一歩引いてしまう人もいるかも知れない。 (高校時代の自分が見つけたら、間違いなく遠くから「あそこに出られる人はいいなぁ、スゴいなぁ」と遠目に眺めていたと思う。) ウィルドアの暗い方代表として、責任をもってそんな過去の自分のような誰かに「大丈夫。あなたも来ていい/あなたにこそ来て欲しいイベントだよ」と伝える文章を書いておきたいと思

          【willdoor FES2022】「探究」の枠にとらわれず、一人ひとりの"わたし"がつくる彩りを

          「語れる何か」を持てなかった自分へ。

          実は今年の3〜5月くらい、ひさしぶりに抑鬱傾向が強く出る時期があった。 前回は10年前くらい。 当時よりは大分マシだったけれど、それでも今回もまわりの人たちに沢山助けられて、救われて。 ありがたいことに、今は大きな症状も出ずに暮らせている。 以下の文章は当時くらいに、ウィルドアの社内メンバーに向けて共有したテキストになる。30代も半ばになって、ただただ恥ずかしい吐露だけど「誰かの役に立つかもな」と思ってシェアしたもの。 その後「実はあの文章に救われました」と報告をもらっ

          「語れる何か」を持てなかった自分へ。

          BUMP OF CHICKEN 25周年ライブSilver Jubilee0702感想① 〜 ファンとバンドの再会と、チャマのアレコレに寄せた戯れ言

          本当に大事で、特別な友人とひさしぶりに再会できた。 大切だった居場所に、ようやく帰ってこられた。 そんな時間だった。 先に留保しておくと、ぼくがBUMP以外でこういう感情を知らないだけだから、きっと世の中のいろんな分野のいろんな場所で同じようなことが起きているんだろうけれど。 ぼくにとってのBUMPの楽曲は 小さな勇気でも、何かを照らせることがあるとを示してもらい(ランプ) 間違った人生に対して「生きていい」と言ってもらい(ロストマン) やさしさが何かを教えてもらい(

          BUMP OF CHICKEN 25周年ライブSilver Jubilee0702感想① 〜 ファンとバンドの再会と、チャマのアレコレに寄せた戯れ言

          ぼくが創りたい「学びが生まれる場」

          偶然の出会いや、ちょっとした経験‥。 ほんの一瞬の気まぐれからも人生は変わっていく。 だれにとっても効く特効薬はない、万能薬もない。 「"わたし"をつくる学び」がもっとたくさん生まれていくには、一人ひとりにとっての「特別」な出会いが必要だ。 それを増やすには、少しずつでも「"わたし"をつくる学び」の届け手や機会が増えていくしかないんだと思う。 そしてそれは、必ずしも「教育」である必要もない。 --- 「教育」界隈に関わって8年の中で、一番心を動かされたのは場づくりの

          ぼくが創りたい「学びが生まれる場」

          応援ありがとうございました!&今さらだけど、ぼくがウィルドアを続ける理由

          1ヶ月走ってきたクラファン、現時点で4時間を残しておりますが目標金額を達成することができ、ご支援いただいた人数は139人を超えました。 いつもこんな感じのこと書いてばっかですが、周りに居てくれる人たちが本当に温かくて救われる思いです。本当にありがとうございます。 19:00現在はネクストゴールとして支援者200名、300万円を目指しております。 さて、こんなタイミングになってしまいましたが、結局イマイチ語りきれていなかった 「武口は、なんで、こんなことをしているのか」

          応援ありがとうございました!&今さらだけど、ぼくがウィルドアを続ける理由

          親の熟年離婚について

          本来表に出して書くような話じゃないうえに、この期間に投稿する理由もない身内の恥の話と、この数年の感情をザラザラと書きました。 お目汚しとなるかもしれませんが、自分自身がこの件についての心の整理を終えるための楔として書き残したいと思います。 これを書かないとマトモに他の文章書けそうにないので。 — 今年の1月、父母の離婚が成立した。今はもう別にそう珍しくもないごく普通の熟年離婚の話だ。 3年の別居生活と、2年の調停、1年の裁判を経ての結末だったけれど、もっとずっと前から家族

          親の熟年離婚について

          誰でもできるオンラインの使い方を伝えよう

          今日は、オンライン慣れしていない方々を対象にzoomの使い方の基本を伝えてくる。 オンラインの良さは ① 最先端の技術を体感できること と同時に ② だれでも・楽に今までやっていたことを代替できることが、実は大きい。 ①を見聞きする中で、なんとなく「難しそう」や「大変そう」が先行してしまうことが、技術の移行を難しくする。 最先端を行っている人にとっては②は何とももどかしく、遅々とした歩みに感じられるかもしれない。 それでも、最初の一歩は小さく。そして楽しく。 すごい・

          誰でもできるオンラインの使い方を伝えよう

          大したことないからこそ「在りたい自分」を考えることに意味はあるんだよなぁと思った話

          〜高校生だった自分を思い返して〜 テレビの向こう側にいる人を羨ましくは思わなかった。 華々しく活躍する誰かのことも、別に妬ましくはなかった。 今も、そう。 けど、当時の感覚とは全然違っている。 --- あの頃、「あっち側」にいる人達は、選ばれた人だと感じていた。 もちろん「あっち」にもシンドいことが嫌ってほどあるのは分かってたけど 「選ばれているから」努力する価値がある/ガンバルことができるんだと思っていた。 だから はじめから「羨ましい」なんて感情は湧かなかった。

          大したことないからこそ「在りたい自分」を考えることに意味はあるんだよなぁと思った話