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進行するぼくらの日々

同い年の妻が乳がんになった。ステージゼロで命に別状は現在のところない。でもそれは、何でもなく暮らしていた日々の中に、何かがすでに進行していたことを伝えていた。だから何でもない日々なんてなくて、全ての生活の時間は良いことも悪いことも、その萌芽を含んで進行している断片であること。それを痛切に感じた。この間にもぼくの中の何かが進行し、彼女の中でも進行している。それが目に見えないまま、ぼくらの日々は更新され続く。むしろ当たり前だったのは、ある日それがぱったりと形を変えてしまうかもしれない、ということだけくらいで、それに気づいたのが10月の暮らしだった。

※これは有料noteで公開済みの、妻の手術前後の日記をまとめたものです。ガンに関連のない日々の出来事もそのままにして公開します。

追記|妻・じゅんこは、ぼくとは違って分析的でイラストつきの素晴らしいテキストをアップしています。合わせてお読みいただくと、何か家族というもののぼんやりとしたひとつの輪郭のパターンが見えてくる気がします。

10月5日(月)

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土日の疲労がまったく抜けなく、午後まで部屋でくたばっていた。
夕方、重い腰を上げて代官山まで。ブロンプトンジャンクションへ。予約注文していたブロンプトンM6R RAWが入荷されたと連絡がきたのは9月の3週目くらいで、やっと取りに行けた。毎年経費扱いのできる大きめな買い物をしていて、去年は今乗っているSURLYで今年はブロンプトン。自転車を買うのはここで留めて、これからは少しずつカスタムしたり周辺の道具を揃えていきたい。

ほんとうは雄太郎とジャンクションで落ち合う予定だったけど、ぼくが出遅れたので仕方ない。そう思っていたら撮影の仕事の終わりが17時すぎで三茶、という連絡がきて、じゃあこの新車に乗って会いに行こうと思ったら、心が底から軽くなるような楽しい気持ちが訪れた。

旧山手通り経由で三茶を目指す。試乗していた時にも思っていたけど、この16ミリタイヤを履いた小さく折り畳むことのできる自転車は、思っていたのよりもずいぶんと走る。急な登坂が一ヶ所あるルートだったけど、よほどギア比が重いのだろうか、ヒイヒイ漕いでいたフルサイズのピストバイクをちぎるように追い抜かしてしまった。

時間が早かったからひとりで世田谷公園に行ってみる。SCCの試合で何度も野球場にはきているが、公園としてのエリアに踏み入れるのはたぶん初めてだった。まだ慣れない折り畳みの機構、その構造とたたむ手順を体に染み込ませるようにゆっくりとたたみ、ベンチに腰掛けて夕方の噴水広場を眺める。まだ広場には人がたくさんいて、年齢も様々。子どもたちのあげる嬌声と母親たちの会話が溶け合って、そこに沈みかけの夕日が差し込んでいる。生活が溶けあっていく感じを眺めている。もうずいぶんとこんな時間を過ごしてこなかったような気がする。

日がとうとうと落ちていって、空に星が上りはじめた。そろそろ移動しようかという時、3歳くらいの男の子を連れた若い母親が、まだ遊びたくて帰りたくないとぐずる子どもにしゃがみこんで話しかけ始めた。

「お空を見てごらん? さっきまで見えなかったお星さまがたくさん見えるね」
そういうとかれははじめてその存在を知ったかのような大きな声で「ほんとだ!」と叫んだ。
「お星さまにはね、全部お話があるんだよ。ほらあれがカシオペア、あれはおうし座。うしさんだよ」
「うし! うしさんのお話があるの?」
「そうなんだよ。だからね、これからはお星さまが出てきたらおうちに帰って、その日みたお星さまのお話をしよっか」
「そうする!」

そこで泣きそうになる。母親と子どもの間での物語を介した会話だからだろうか。すごく懐かしく穏やかな時間に包まれたような感じ。その時間の中で永遠にまどろんでいたい気分。昔、世界のすべてが自分を優しく包摂してくれていて、その中心には母親と物語から知る世界のさまざまがあった。むしろ世界にはそれしかなかった。広いとか狭いとかもしらない。ただお母さんと物語だけがあったんだなあと思いながら、ブロンプトンを走るモードに変形させて地面を蹴った。泣きそうだったのが、普通に泣いてた。

雄太郎の撮影現場が油そば屋さんで、アウトドア好きで意気投合したというご主人からサービスでもらった一品をごちそうになるという。ぼくは関係のない人なので普通に払って食べる。

そのあとBONUS TRACKまで行ってお互いのブロンプトンをどんなふうにしたいか、どんな場所にこの自転車と行きたいかなんてことを話す。土日の夜とかわってとっても静かで、静かなBONUS TRACKはとてもいいなと思う。20時過ぎまで。戻ってそのままブロンプトンでオンプラのため半蔵門の東京FMスタジオまで。


10月6日(火)

昨日の親子の風景、その会話を思い出して全身を貫かれたような感動にちかいもの包まれる。それで、あ、今自分はちょっと状態がおかしいなということに気づいた。世界とのきょりかんがずれこんでいて、自分と他者の差分が消失している時には、こんな小さな出来事で世界そのものが揺り動かされてしまったような感動を受け取ることがある。

それが感動なのだったらギフトのようなものだが、それが絶望であることもめずらしくないわけで、つまり先週からのオーバーワークがバグをもたらしたということのようだった。そして知恵熱。おとなしくする。

10月7日(水)

調子なお悪くなる。終日仰臥。土日フルで動いていたんだから、2日寝たきりだって構わないということにする。阿波野巧也『ビギナーズラック』を買ったまま積んでいたので、いい機会と思ってひらく。表紙はスケラッコさん。じんわりといい歌集。でも自分でつくるエネルギーなんてぜんぜんなかった。世界のありとあらゆることに興味がなくなっていく。

10月8日(木)

さらに調子悪い。カメラロールに写真が残ってない日は、だいたい調子が悪い日だ。世界のすべてに関心を失って、がんばっている人すべてをアスリートのように感じる。そして翻って自分のだらしなさに絶望するという、毎度同じ絶望のルーティンに陥る。毎度同じだってわかっているのに、絶望は毎回個別具体的だからやっかいだ。慣れない。慣れないから何度だって涙が出る。

10月9日(金)

この日だけ未来からさかのぼって書いている。まもなく本人がカムアウトというか告知というかのテキストをアップするというので、ぼくのパートからも記述しておきたいと思った。というのも、この出来事が今年の中でもっとも自分にとって大きな影響を与えまた変化を促すものだとすでに強く感じているからだ。

じゅんこのガンについて、ぼくはつとめて明るく振る舞ってきていた。それは相手のためでもあるが、そのまま翻って自分自身のためでもあった。生活の中で気分の波長はどうしても互いに同期されるものだから、それがマイナーコードに陥らないよう調整するのは当然のことだった。

問題があるとすればつとめて明るく振る舞ったあとの、どうしようもないわびしさのようなものに、どうやって自分自身が決着をつければいいのかわからないことだった。誰かに話を聞いてもらえばいいのかもしれない。ただ、自分自身のものではない病というのはとてもプライベートな領域のもので、たとえ家族といえどもぼく自身の判断の上で情報を開示するべきではないと思っていた。

親しい人には話したってかまわない。そういうことになってから、阿久津さんと優くんに「聞いてもらいたい話があって飲もう〜」とメッセをしたら阿久津さんから「今晩?」とまさかの返答があって、ならばもう今晩にしようと思って、こないだカナメさんたちと行った新宿の千草がいいやと思って予約をした。リモートでの講義を終えて出かけるとき、少し緊張していた。

ついておさしみやら何やら頼んで、ぼくはホッピーのセットをお願いした。アイスブレイク、そう思ってこの会半年も空いてたのびっくりするよねーとか、最近お店はそれぞれどんな感じ?なんて聞いていると、阿久津さんだったか優くんだったかどちらだろうか「武田くん(さん)の話を先に聞こうよ」ってことになった。

今日みんなに会うまでに、ぼくはどんな風にこれを人に話すんだろう、と思って頭の中で何パターンもシミュレートしてきたけど、そのどれよりもあっさりと普段話す調子、なんなら楽しい話をするような調子で話し終えた。もちろん二人にいらぬ心配をさせないように、ステージゼロであること、現状命にまったく別状はないらしいことは伝えた。「むしろそれはよかったよ」と言ってくれて、それはありがたいことだったけれど、ぼくがほんとうに話したかったのは「パートナーが大変なことになってしまって辛いんだ」っていうことではないから、そこから話を続けた。

「それでね、これはどういう風に話したらいいのか自分でも難しいんだけどさ……」

そう頭につけてから、ぼくはゆっくりと話し始めた。乳がんという病気について、リスクを完全に排除するなら全摘という手法もテーブルの上に乗っかったこと、何よりも命が大切だから必要に応じてその選択もあり得たということ、全摘でなく今回は幸運にも部分摘出ですみそうなこと、しかしビジュアルシンカーであるところの彼女がどんな形でも自身の胸を部分的に失うことは、きっと僕では想像ができないくらいの喪失感にさいなまれるだろうということ、それを想像するだけであまりに苦しい気持ちになるから、ぼくはずっと「こんな早期発見できてじゅんこは天才だよ!」とか「左のほうが少し大きいから、むしろバランスとれるんじゃない?」なんてふざけながら話すしかできないこと。

そういう風に順番に話していった上で、一番ぼくが話したかったことをようやく伝え始める。つまり、部分でも摘出する、となった時に恐ろしい気持ちと同時に、さびしさを感じたことだった。これはなかなか人に言えることじゃない気がした。部位が部位だから、男性パートナーであるぼくが安易に語る乳房喪失に関するさびしさは、翻って、相手の性的な魅力が減退すると感じるような一方的な欲望ベースのさびしさに類型化され捉えられてしまうんじゃないか、という恐れを感じていたのだった。

ぼくの認知特性──それはもともとの個性でもあり非定型精神病という後天的な病がさらにそれを強化したものであるが──のひとつに「強く感受性が反応した際に、自他の差が曖昧になる」というものがある。それがひとつ今回のさびしさにつながっている気がする。

人間は自分の身体を意識せずともある程度コントロールできるから、不調や痛みがない限り、まじまじとそのその実態や有り様を感じたり考えたりすることは少ない。だから自分の身体の形を一番知っているのは、おそらくパートナーになる。ぼくはたぶんじゅんこの身体をこの数年の中で、もっとも見て、触れて、愛した他者である。

出会って、恋愛をして、ともに暮らして、結婚していく中で、身体のふれあいとそこから得られる情感は形を変えていく。未来についてすごく不安定で不確定だからこそ甘美だった最初のフェーズから、それが徐々に暮らしの中にある身体に近づいていくこと。それがひとつ恋愛のすてきな部分なのだけど、そうやって変化していく関係性と情緒の多くは、互いの身体やそれが及ぼすアクションやそこから伝わる熱でもって伝達される。そんな風に書くと、手を触れたりセックスをしたり、みたいなことばかりを身体的なコミュニケーションだって思ってしまうけど、ぼくたちは身体がなければ会話だってできない。

見た目が変化してしまうこと、という単純な形態としての変化は視覚的なレベルでのものでしかなく大したことはないのかもしれない。いやそんなことない、ただ見た目の変化だけでもぼくはビビっているのかもしれなかった。なんせ、自分のそれ以上に見て触れて親しんだ身体なのだから。その感覚をさらにぼくの認知特性が強化する。見て触れて慣れ親しんだ身体は、そのまま自分の身体と身体性に直結で接続される。だからもうぼくは、ほとんど自分の「乳房」を失うような感覚に支配されていく。

慣れ親しんだ他者の身体の欠損から感じ取られてしまうのは、それをあまりに自然な、まるで自分の身体のように自然に愛おしく感じられるようになったという実感と、その実感が形成されるまでに共に過ごした時間、その連なりのようなものがふいに脱臼させられてしまったという驚きとかなしみな気がする。そしてあらゆる病は不可逆なものだから、もう二度とこれまでのような安心で怠惰な感覚で暮らすことができなくなったという事実が、心もとなさやさびしさを呼んだのだろう。

ぼくはこの色々な感情と認識が折り重なってうまれたさびしさを、簡単にすませたくなかったのだった。「失って初めてわかるありがたさ」とか「なにげない日常の尊さ」みたいなものですませたくなかったのだった。それですませればたぶん、ほんとうは楽なのだった。だけど、自分自身のオリジナルな認知から得た情緒を、他人と共有しやすく流通しやすい言葉の枠組みの中で落ち着けて、それでもとの生活に戻るなんてことはしたくなかった。

そうではなく、そのさびしさがどう成り立っているのかを今の手札の中でなんとか考えて、それを話したり書いたりすることが、文学なんだ。ネガティブでもポジティブでも自分にとってまったく新しいできごとや、そこから生まれてしまった情緒があるのだとしたら、それを自分自身の技術で受け取って言葉にしてやれる器をこしらえることが文学のはずで、だからぼくはそれを考え続けたいのだった。

そこまで二人には話せなかったけれど、入り口までは伝えられた感じがした。阿久津さんも優くんもうなずいていた。それは大切な感情のはずだよ、持っていていいものだよと言ってくれて、ぼくは調子にのってもう早くも楽しい気分に入り始めていた。ホッピーを重ねた。途中から鍵を忘れたという遊ちゃんが合流して、彼女の放つポジティブな空気がなおこの会を楽しいものにさせてくれた。途中から赤霧島の水割りにした。お酒は5個まで。ここにいないじゅんこが、何度かぼくにそういっていた。帰り際、遊ちゃんが写真を撮った。ふいに向けられたカメラなのに、ぼくら3人は全員きれいに笑っていた。

10月10日(土)

どんな事件がない日でも、すれちがったすこし不細工なトイプードル、電車で眠りかけていた頭の平たい4歳くらいのおとこのこ、ガスのかかった夕日、安かった白菜から思いついた不意のレシピ、通り過ぎる風景の全部、おきた出来事、かわした会話のすべてに瞬間渾身の感情が入り込んじゃうから、それがぐるんぐるんと跳ね回るから、それを記憶することができないから、ぼくにはほんとうに書きたい日記なんて書けない!

スカパープロ野球パックに入っているからおまけのように見られる、『吉田類の酒場放浪記』見る。再放送で京都の回。今度たかくらん家に行った時に一緒に行こうと思って熱心にスクショを撮っておくるも、あとで調べたら大半がすでに閉店していた。

10月11日(日)

ずっとやりたくて、でも手に入らなかった『リングフィットアドベンチャー』が届いた。ゲームはそれを買い手にする時点が一番快楽が高いので、今日が一番うれしい日なんだと思う。さっそくプレイする。エクササイズ系のゲームとしてこれほどまで売れている理由がよくわかる、緻密なUXの設計にびっくりして、すぐにじゅんこにもプレイしてもらう。

10月12日(月)

夜、ブロンプトンでオンプラ。2回目にしてだいたいストラグラーとの違いがわかってくる。もちろん最高速度はフルサイズのロードであるストラグラーに優がある。けれどブロンプトンも20キロそこそこで走ることができるから、信号間隔はあまり変わらないのだろう、到達までの時間は同じくらい。9キロほどの東京FMスタジオまで、だいたい40分弱。ストラグラーの場合、調子いいと30分切れるのかもしれない。

一番違うのは当然ギア比で、16インチのタイヤを同じような速度に持っていくためにペダリングに必要とするエネルギーはもっと高い。結構負荷が来ているので、ポジショニングを変えなきゃなーって思いながら、最近発見した御苑の横を通るルートで行くのが楽しい。途中の門のあたりで毎回、めっちゃくさいところがある。下水なのか銀杏なのか。そのめっちゃくさいあたりに、すごくすてきな劇場のような吹き抜けの2階をそなえたレストランがあって、行きはちょうど閉店して片付けをしているのだろう。リッチな空間に光だけが灯っていて、その風景を毎日見てみたいと思う。

10月13日(火)

明日がオペなので、全身麻酔のためじゅんこは今日から入院。起きたらもういなくって、それは知っていたはずの予定だけど心細くなる。オンプラ明けは昼過ぎまで寝ていたいのに、寝ていたっていいのにやっぱり10時とか11時とかには起きちゃう。起きてそのまま寝室にいるとよくウツに陥るので、リビングまで行ってカウチでごろんとしてテレビをつけると内沼さんが映っていた。知り合いを偶然テレビで見るのは、いつだって楽しい。

午後、BONUS TRACKへ。ダルマの作品たちを見る。自分たちが呼びかけた企画に、作家がこういうふうに応えてくれたのかあっていうのが感慨深い。どれもほしい。たかくらの作品いいなと思うけど、飾りにくそうと思って本人に推奨する飾り方を聞いてみようと思った。生活の中に、すきな友人の作家たちの作品がたくさんある家にしたい。お昼どきだったから、やっと大浪漫の魯肉飯を食べてみれた。おいしかった。台北で過ごした日々が思い出された。夜市で食べたそれはたぶん80元くらいで、もっと毒々しくあぶらっこかった。次は麻辣フレイバーというのを食べたい。

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一人きりの夕食なんて久しぶりってほどのことでもないけど、それが入院・手術となると気落ちのしかたがハンパなくって、少しでも楽しくしようといつもの魚屋さんへ。このあいだ二郎さんにもらった大分のかぼすを全力で使ってやろうと思ったのだけど、焼きにふさわしい魚が不漁なのか見当たらない。カマスあたりいいだろうなと思ったので残念だったけど、かわりにあるものの中でもっとも脂強そうな魚種として(かぼすにまけない脂がほしかった)カンパチをセレクトして帰る。ブロンプトン、長時間駐車するのはこわいけど、こうやって商店街で買いものをするのには適した乗りもの。あとでよった八百屋さんでは、かばんにダイレクトに買ったものを入れてもらった。

お皿にならべかえて、かぼすを切って、さらに別の切ったかぼすと焼酎でかぼすサワーをつくる。あとはヒラタケと卵とトマトのオイスター炒め。うまくできた。ほんのちょっとの手間で食卓はよそ行きのすてきな風景に変わるから好きだ。そのまま野球みながら一人で飲む。かぼすとすだちを間違えないように改めて名前を調べてから、食卓の写真といっしょに二郎さんにお礼の連絡をする。

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夜、まくらもとに3冊持ち込む。切実に記された言葉を求めていて、それは自分が、自分の暮らしがいますごく不安なものだからのよだった。『ゲンロン11』、佐伯一麦『ノルゲ』、ブラッドベリ『10月はたそがれの国』が選ばれた。で、『ノルゲ』を読む。新たな言語にふれる不安と、それを暫時理解したときのよろこびのことが記されていて、それは自分の旅先での感覚ととても似ていたから、すきな箇所を写真にとった。

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10月14日(水)

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手術に立ち会うのは全然いいんだけど、その理由が「万一のことがあった際に最終的な意思決定者として決断をしなくちゃいけないから」というのが最悪だと思った。でもこれ、あとから思ったことだけど、出産立ち会いだって同じなんだろうな。ともかく、せめて新しく楽しいことを、と思ってブロンプトンで病院まで行く。これならさくっと行けていい。

じゅんこからの指示で、デイルームというところで待つべしとあったけど、あまりいい気になれる場所じゃない気がしたから1階のカフェで待っていた。カフェはタリーズだった。一緒に診察に行ったときにも思ったけれど、ドラマでみるようなかっこいい大病院っていうのはこういう風にあるのがわかった。タリーズには、診察を終えてひといきという感じの人が多く、緊張のあとに訪れる弛緩した空気がただよってた。だから緊張状態の自分にとってはありがたかった。厚切りハムカツサンドというのと、あたたかいコーヒーをお願いする。隣りに座ったおじいちゃんが、クラブハウスサンドをめちゃくちゃゆっくり食べている。

時間になって14階まで上がってデイルームに行くと、青い手術着を着たじゅんこがすでにいて、診察室の貴重品とかを入れる引き出しの鍵を預かった。まだこのあとオペ室に行く直前に会えるから、というのでとりあえず預かるだけ預かるとすぐにいなくなった。手術着の青がきれいな濃紺で、写真を撮って家族に送る。デイルームには50代くらいの痩せたおじさんが、ひとり窓辺の席でずっと外を眺めている。

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すぐにオペ室に行く時間になって、緊張感が高まった。こういうときどんな風に声をかければいいのかずっと考えてきていて、たぶん「がんばってね」は違う気がした。本人ががんばる隙も必要もなく、ただ一瞬で眠りに落ちて目覚めるだけだから、「すぐ終わっちゃうから心配ないよ」が正しい気がしてそう声をかけた。じゅんこはなぜか「そうだよね、じゃあおつかれさまです!」と言って、看護師さんが笑っていた。彼女は自分の足でオペ室に向かっていった。

14階からの景色は北向きで、だから大久保方面を見下ろすまど越しに、せめて雑務でも進めようと思ってPCをひらいたけど、全然進まない。このことを伝えている阿久津さん、優くん、たかくらに現状報告をしてLINEとメッセンジャーで会話していたら落ち着いてきたから『ノルゲ』を進めた。佐伯一麦懐かしい。大学のころ、いろいろ読んでいたなあって感慨深い。しかし自分の手術はまだ全然いいけど、他人の手術を待つ時間ってほんとうに最悪な時間だと思う。時間史上もっともさいあく。

じゅんこいわく2時間もあれば終わるという手術が、2時間半経っても戻ってこない。だんだん身体が緊張してくる。ぼくに課されているのは「万一のことがあった際に最終的な意思決定者として決断すること」であるから、気分としては万一を前提とした設定になってきた。何か予期しないアクシデントがあった、麻酔が効きすぎてしまい覚めなかった、開いてみたら他の臓器やリンパ節に多くの転移が見受けられた。そういうことを全部フラットに受け入れられるような設定に切り替えた。それを前提に心構えしなければ、万一そうなった場合、ぼくは彼女の命と自分と家族たちのこのあとの人生を引き受けた優秀な最終的意思決定者の責務をまっとうできないきがした。それじゃあまずい。だから、じゅんこはもう戻ってこられない、もう二度と会えない、あるいは会えてももう時間に限りがある、それはもう決まってしまった、ということを心に染みわたらせた。さまざまな種類の最悪の可能性ぜんぶそれを引き受けて、ぼくはクールに判断する意思決定者になる。

そう思ったらもうPCも本もひらけなかった。目を閉じたらともに過ごした風景が流れていきそうで、そうなれば取り乱すから目をしっかりと見開いていた。ずっと一人でいた窓辺のおじさんのもとに看護師さんがやってきて、何かを説明していると、じきに担架に乗せられた奥さんとおぼしき人がやってきた。心配そうな表情が一瞬ほころんで、そのあと笑顔になった。

3時間半ほどになって、看護師さんがぼくに声をかける。無事手術が終わったと聞くと、最悪の状態に設定していたから「ほんとに?」という気持ちになった。しばらくして覚醒しきってないじゅんこがやってきた。病室に行って着替えが終わったじゅんこと少しだけしゃべれた。ここでも写真とっておく。意識が戻ってきてちゃんとしゃべれるようになる。あまり長居するのはお互いにとってよくないと思って早めに帰ろうとすると、少しだけ泣きそうな顔になって「わたしのおもしろラジオが帰っちゃう」と言った。

飲みにでも行こうと思っていたけど、全然そんな感じにならない。疲労困憊。とんくるでラーメン食べて帰る。

10月15日(木)

朝、SCC試合。世田谷公園でにゃんにゃんタイガースさんと。ヤスくんがメルカリで買ったというバットがえげつなくて笑う。極端なヘッドバランスで形が横から見ると三角形みたい。軽くてヘッドが走りまくるけど、芯がせまそう。そこにぼくのギガキング、海北さんのレボルタイガー、とんかつさんのハイパーマッハなどが並んでたくさんのバットがベンチにあるのはいい風景だと思って写真を撮る。定価で計算したら総額でいくらになるだろう?

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ぼくは最初DHで6番、途中からセカンドというオーダー。ずっとイメージしてた落合的神主打法だとまるでこの日のゆるいサイドスロー投手とはタイミングが合わなくて、2打席目に足を上げてみると合わせられた。芯を食ったけど打球あがらず遊ゴロ、無念。それよりも守備で、途中からセカンドについたのだけど、腕の骨折以降はじめて守り始めたポジションで定位置すら自分ではよくわからなかったりする。

それでこのへんかな、というところにいるとちょうどそこからギリギリ届くんじゃないか、という二遊間にゴロが2本来て、逆シングル立膝スライディングみたいなかっこうでさばくことができた。ベンチがうおおおと言って盛り上がっていて、それがうれしい。自分の活躍というより、この体がどきどきしながら行った動作がチームの士気を上げている、ということがやっぱりぼくの好きな野球の歓びだ。セカンドの位置から、投球を見るのはコースが知れて楽しいし、声をかけられるのも楽しい。安打を打たれたあとの投手に戻ってきたボールを渡すとき、近づいていって下手投げで声をかけながら渡す。自分が現役時、投手をしていたときにありがたかったしかたで、15年後の今、ぼくは二塁手として投手にボールを渡す。

終わったあと、どうせひとりだしそんなに仕事がんばりたくないしで「飯どうします?」って遠回りにとんかつさんを誘った。で、じゅんやさん、會田さんと4人で三茶まで行くことに。路地裏の會田さんが知っている寿司屋は休みで、けっきょく王将に行った。人数分ぎょうざをたのんで、ホルモン焼きとか炒めものを雑に。ハイボールがぐらばー亭並に濃くって、しびれた。そのあと瓶ビール。ひとりで昼から飲むきはしないけど、みんなだとお休みの日みたいで楽しい。今日の試合の感想とか印象的だったプレイとかを話しながら、ワシワシ食べる。こういうの久しぶり。チームができたばかりのころは、みんな野球とそれを語りあえる仲間の存在が久しぶりすぎて、毎回こういうことやっていた。

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夜、安東さんとふたりで下北沢。戦国大名の名前の串が出てくる焼き鳥やさんに行ったら、盛り合わせを頼んだので大名じゃあなくなっちゃってた。じゅんこのガンのこと話す。たくさん聞いてもらう。安東さんは最初瞬間的にとまどいを見せただけで、そのあとじっくりと耳を傾けてくれた。それがありがたくってぼくも緊張もせず、わざとちょけたりもせずただ思いのままを話せた。次第にぼくらのまわりをあたたかな、それはなんだか家庭的あたたかさ、を纏ったベールのようなものが包んでいた。

そのあとぐらばー。早い時間なのに桃子さんがいた。『風雲児たち』のこととか、歴史のことをなぜかたくさん話す。ぼくは最上徳内が好き。安東さんが帰ったあともひとりの部屋に帰りたくなくなっていて、サキさんや桃子さんらと話す。オンプラ聞いてくれててうれしい。2015年から5年通ってきたけど、初めてだったのはお店を閉めたあとおかあさんと飲みに出かけたこと。すぐそばのどこかの2階。佐賀か長崎のひとがやっている、小さなバーだった。棚に並んでたからHendrixのジン・トニックをつくってもらったらサキさんに「そんなしゃれたもの飲みよって!」と冗談めかして怒られる。九州のひとたちが、東京で肩を寄せ合って方言で話しているのが昔から好きだ。そういう場にいると、キムちゃんのことを思い出す。

10月17日(土)

じゅんこの退院が早まって、明日になったのがうれしい。うれしいけどそのことで頭がいっぱいになってしまったので、ずっと楽しみにしてた奥多摩の方で行われるROTH BART BARONのライブはやめにさしてもらう。申し訳ない気分。

10月18日(日)

じゅんこ退院。朝10時に病院へ。一緒に1階のタリーズで朝ごはん食べられるかな、と思ったけどじゅんこはもう食べ終わっている時間だし、病院ついたら日曜だからそもそも1階は電気すらついてないから妄想は全部白紙になった。14階まで上がってデイルームに行こうとすると、もうそこに荷物をまとめたじゅんこがいて手を振ってる。じんわりとうれしい。病院の敷地を出てから手をつないだ。

ブロンプトンを転がしながら、二人で中央公園に行く。手術の日に前を通ってみたら、北側がずいぶんときれいになっていてカフェなどもあり、退院日に一緒に行こうと思ったんだった。たくさんの犬、たくさんの子ども。じゅんこ、久しぶりの下界がめずらしそう。目の不自由なひとがついている白い杖を普通の杖のように使いながら歩いている、あきらかに物が見えていそうなおじさんがいて見ていた。犬に手を振ったりしていて、あの杖のつくための資格?みたいなものは設定されているのか気になる。

帰りセブンイレブンのスイーツコーナーに、ぶたの顔をしたケーキがあったから買う。トイ・ストーリーのぶただった。食べたらすかすかで全然よくないものだった。顔がついてるからって買うもんじゃない。でも顔がついてかるから買っちゃう自分のことは存外わるくないような気がする。日常が、ふいに顔をのぞかせている。でもまだ戻れたような気はしない。戻るということはないのだと言い聞かす。新しい形としかたに、もう暮らしは変化しはじめている。

最後までありがとうございます。また読んでね。