見出し画像

変わらないものとの向き合い方

変えたい、変わりたい、変えていく、そんな言葉はよく耳に入る世の中ですが、実際に良い方向へ変わったという実感を持っている人が多くないのでは?と自分の周囲を見渡すとそう思ってしまいます。

自分はまだ30歳前半ですが、大企業〜地方中小企業での勤務やベンチャー勤務でのプロボノ活動をしています。(東証第一部の大手企業5年勤務〜50人弱の中小企業約4年勤務〜今は140人位の中小企業勤務、その他、プロボノでNPO、ベンチャー企業の複業中です。)

その中で、本当に個人単位で変わった人から組織含めて変わっていったのを間近に見てきました。その経験から、今日は少し変わらないものとの向き合い方について、書けたらな〜と思っています。

人を変える!という幻想

人を変える!とかってたまに息巻いている人がいますが、正直な話、人って変えようとしても変わらないです。そんなに、自分の都合のいいように、人は変わりません。

人を変えようとしても、変わらないので、変えよう!と息巻いて、どれだけ何かを伝えようとしても、変わらず、その結果にがっかりするだけなので、そこに労力を使うと、かえって、自滅します。

でも、実際に人が変わったということはあったりするのは、なぜなんだろう?と考えてみると、自分の中で変わるためには、本人が相当な強い気持ちで、変わりたい!と願わない限りは、変わらないんだと思っています。

結局、人が変わるためには、自分自身が変わりたい!と強く願わない限りは、変わらない。なので、人が変わるのは、その本人が変わりたいと願ったとき。

小学生時代、付き合い方を変えたかった友人との関係。自分がどう感じているか、その友人の周囲がどう感じているか、今のままの関係が続くのであれば、どうなるか、実際にその後、距離を取って一定期間を期間をおいたら、変わった友人のように。

大学生時代、自らを変えたい!と願っていながらも、結果何もしないで変わらなかった友人がいたように。

変わらなければならない!と幾度となく組織では言っているにもかかわらず、新しいアイデアについては常に否定的で、何を言っても結果的に現状維持に留まる組織があるように。

一方で、会社の危機や何かの極端な変化でそうせざるを得なかった時に覚悟を決めて、従来とは違う方法を採用し、成功して、振り返ってみると、その人や組織の考え方が変わっている組織があるように。

自分自身が変わりたい!と願うのは、何かしらの環境の変化だったり、誰かからの何気ない一言だったり、その変わりたいと願うきっかけを、人は与えることができるとは思ってます。

環境を変えることならできる

よく組織や人が変わったストーリーを見ていると、変わるきっかけとなったのが「危機」だったりします。会社だったら、倒産の危機、個人だったら離婚や破産の危機など。でも、実際に危機に陥ってからでないと、変わらないというのであれば、変わるって本当にリスキーなことです。

その手のサクセスストーリーってあくまでその危機を乗り越えたからこそ、語られるストーリーであって、実際にそういった危機を味わった人や組織の中でどれほどが危機を乗り越えて、どれほどが危機を乗り越えられなかったのか、という話です。

そもそも、危機なんて来ない方がよくて、危機が来て始めて変わるのは、それまで危機感を持っていなかったり、変わろうとしていなかったり、の結果がそうなので、そこを称賛するのもなんだかおかしな話です。

少し話が逸れましたが、そういう危機はひとつの環境の変化だということを言いたくて、自分の周りの環境が変わったから、自分達も変わらないと本当にいけないと思って、変わるパターン。

実際に危機を乗り越えた組織や人は、その環境の変化がきっかけで、変わる必要性を感じ、変わったから乗り越えられた。その環境の変化は、誰かのせいで、自分ではなく、誰かが変えるべき、という他責になった瞬間、変わる機会を失うと思う。

なので、別に危機に陥ってから変わるというよりも、今の環境から違う環境を意図的に作り出すことで、変わりたい!と思うきっかけづくりのため、環境を変えることなら必然的にできる。

そして、できるのであれば、その変わった環境の中でどううまくいくかも一緒に考えられるような環境であれば、成功体験も生まれて、変わったからうまくいった、という形で変化に対して肯定的になったりします。

自分が関わってきた中小企業でも、長年の歴史を持っていると、過去のやり方に執着して、新しいことに対しては、現状維持バイアスが強すぎて、新しいことをやるデメリットにしか、考えがいかず、新しいことができなかったりしていました。

なので、その場合は、社内でそういう新しいことをやるチームを作り、そこには元々いた人たちの中で、変わりたい!と願う人を意図的に入れることで、社内の中で成功体験を感じられるチームを作ったりするのが効果的だったりします。(大事なのは、新しくきた人たちばかりで、そのチームを作らないこと、それすると、あいつらは違うからな、という形で、見事に社内で対立構造が生まれてしまったりします。)

自分は、まずどんな組織であっても、今までのやり方の中で一旦やってみる、その中で元々いた人たちの考えなどを極力聞くようにする、どんな意見を持っているか、自分自身についても知ってもらう。

よく知らない人が、自分達のやり方を否定するのってやっぱり嫌ですよね。自分が大事にしてきたモノをある種否定されるのってやっぱりしんどい。

環境が人を作るきっかけになるからこそ、今の環境をしっかりと知ることが大事。

その上で、どう環境を変えていくか、考えるのが必要だなと思っています。だから、もしも何かを変えたいと願うのであれば、自分の環境を変える、その人がいる環境を変える、そういったことが一番の近道。

自己肯定と自己否定の繰り返し

前述しましたが、危機に陥ってから変化しようとしていたら、時すでに遅しだったりするケースが多いです。常日頃から、やっぱり思うのは、日々、自己肯定と自己否定の繰り返し、そして、否定した部分(ダメな部分)が進んでいったその先の末路は何か?という未来推測力が問われていると感じています。

日々の自分のいいことを肯定し、それを磨き続ける、
一方で自分のダメな部分、時には、上記のいいことも一旦否定して、自己否定をして、新しいやり方を模索する、もしも、否定した部分をつづけていったらどうなるか、を想像する。

それが一番なのかなと思います。人を変えようとするのではなく、その環境を変えようとする、そういった中で自分自身の自己肯定と自己否定を繰り返し、人が変わる、何かが変わる環境をどう作れるか、それを追求することが、変わらないものに対する向き合い方かなと思っている次第です。

つまりは、変わらないものに対する向き合うということは、その変わらないものが変わるまで、自分自身も変える必要があるってことです。

ちなみに、未来推測力を養うのに非常に良いのが、本や映画だったり、人のストーリーが体現されたものに触れることです。自分と主人公が重なれば重なるほど、なおよしです。

最後に、この文章を書こうと思ったのは、強烈な現状維持バイアスを持った組織や人に出会うことが多いので、自戒の念も込めて。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?