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エペソ人への手紙2章17~21節「私たちを組み合わせる力」 2024.4.7 守谷キリスト教会説教要約

私たちにとって、教会はどのような場所でしょうか。

奉仕や人間関係に疲れてしまうことや、
大切な人との時間を天秤にかけなければならなくなったこと、
それまで来ていた人や子どもたちが来なくなるのを見るなど
痛みを経験することがあります。

パウロはエペソの人々に対して、
教会は「主にある聖なる宮、神の御住まい」であると語ります。

罪やさまざまな痛みによって、私たちは教会に失望することがあります。

しかし神は確かな目的をもって、地上に教会を置き続けておられます。


パウロによれば、
教会は「組み合わされて成長する」生きた共同体です。

この表現を使って、
パウロは2:21では「建物」、4:16では「からだ」というイメージで
人々の集まりを比喩で表します。


福音が広がって間もない頃、
組み合わされたのはユダヤ人と異邦人でした。

ユダヤ人にとっては、
自分たちが異邦人と一緒に組み合わされるということは考えられないことでした。

彼らには「約束の契約(2:12)」とそのしるしとしての割礼があり、
異邦人は「無割礼」の者であり、
希望もなく神もない者たちと見なされていたからです。


現代にあっても教会には様々な人々が集まります。

同じ日本語を話していても、それぞれの異なる経験や背景が、
互いの理解にすれ違いが生じさせることもあります。

また、スマートフォンの普及と共に、
私たちの好みの細分化と多様化は加速しました。

使用するコミュニケーション手段やSNSは多様です。

また普段視聴する映像や音楽の好みはより「自分らしく」カスタマイズされ、
好みを追求しやすくなり、細分化は加速しています。


これらの影響から無関係ではいられない私たちは、
どのようにして同じ「建物」として、また「からだ」として
組み合わされるのでしょうか。


教会には当初から、バラバラにする力が働いていました。

しかし正反対の、ピッタリと組み合わせる力も同時に働いています。

キリストは建物においては「礎石」、からだにおいては「かしら」です。

どちらも、それを構成するものをつなぎ合わせる最重要な部位です。

それはイエスが十字架の死に従い、
父なる神は彼をよみがえらせてくださったからです。

キリストは平和を告げ知らせてくださいました。

このことによって異邦人とユダヤ人は
共に約束にあずかる者となったのです(3:6)。

この年度、あなたが平和を求める関係はどれですか?

「主にある聖なる宮」は旧約の時代にあっては至聖所と呼ばれていました。

そこはキリストによる平和な交わりと賛美、そして感謝の溢れるところです。

神の栄光が、教会から満ち溢れ、
私たちを通して人々が神を見ることができますように。


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