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「我慢」の観念から解放されることが理想への近道

私たちは我慢するために、この地球に魂を降ろしてきたのだろうか?
否、それは断じて違う。

「我慢」が必要な仕事に対して、選択肢が迫られた時
「ノー」と選択することもできたはず。

しかし、いざ選択を迫られた時
その選択肢に対して「イエス」と言った自分もいるんだろう。

人は自ら「我慢」の道のりを歩んでいる。

しかし、人は過ちを認め、反省し、あらためることができる。

時間を巻き戻して今更「ノー」とはいえないが
過去に「イエス」と言ったことに対して
「あれはミステイクだった」と認め
過去に「ノー」と言ったこととは、まったく別の流れにすることはできる。

「我慢」は新たな「我慢」を呼ぶ

私は、毎月の給料のために
毎日歯を食いしばって満員電車に乗って
毎朝毎晩1日の半分以上を会社に捧げ続ける生活と縁を切るために

「自分ビジネス」を立ち上げて、自立することこそが
自分の人生を追い求めることだし正しいことだと信じてやってきました。

「やりたいことだけして食っていく、生きていく」
それが正義だと信じていた、いや今でも信じている。

自分ビジネスを立ち上げるにあたって
普段仕事で疲弊している自分をまったく見せず

SNSではきらびやかに飾って成功者然とふるまって
他人を欺くために自分を欺きました。

そうして自分や他人に嘘をつき続けることで
自分の首を締め続けてきたのだがそれでもそれをよしとした。

それは、たとえ自分じゃない
嘘をついた自分を演じるのが辛いことだとしても、「我慢」は慣れていたから。

「お金持ちになる」という成功にすがって
とにかく成功者然とふるまって
その間に自分の腕を磨き、知識を得て本物になる手筈だったのです。

そうして思い描いていた手筈を当時働いていたモンスター案件で一気に崩された。

IT企業のモンスター案件に所属しつつなおかつ起業活動が泣かず飛ばずという
自分と同じ立場の人間が誰一人としていないので、誰にも相談できなかった。

それはメンターと呼ばれる起業家師匠や起業の先輩や
あるいは同期の人たちにも相談できなかった。

誰一人として悩みが共有できる相手がいないことが分かりきっていたから。

そうした辛みすら抑えて、とにかく「我慢」し
きらびやかな自分を見せることに余念がなかった。

そのモンスター案件を抜けたいがために
私はメンターの言うことにひたすら耳を傾けました。

その結果自分にも他人にも嘘をつくという「我慢」を続けることになった。

いくら私が成功者然と嘘をついて振舞っても
いくら私が会社を辞めると言っても

あのきつい残業やきつい人間関係を突きつけてくる会社は
私を辞めさせてくれなかった。

しんどいと思うことを「我慢」をすればするほど
「我慢」をし続けるはめになった。

嘘を信じて本当のことをスルーすると、ひどい目に遭う

誰がこんな酷い目に合わせた?
それは全部自分のせい。

なにが根っこにあったのか?
それは本当なのか?嘘なのか?

嘘だとしたらば、どんな嘘を信じたか?

「我慢すれば必ず報われる」
「我慢することが正義」ということをだ!

人は真実を求めているようで、実は求めていない。

真実だと思いたい何かを真実だと思って納得したいだけ。
だから、実は嘘であることも、疑いようがなく

「自分にとっては真実」と納得してしまうのです。

人生で「何か」が同じことの繰り返しになるなら「因子」を取り除く必要がある

人生で詰まってるとしたら「因子」を取り除く必要がある。

「因子」が残っている限り、転校しても、転職しても、
どこかで同じことを繰り返す。

普段から「我慢」をしていると
シャンバラ(理想郷)を歩んでないので表情が険しくなります。

辛いことの原因となる「因子」を除き続けると
シャンバラ(理想郷)を肯定できる自分に巡り会えます。

笑顔なきその道は、自身のシャンバラ(理想郷)はありません。

仕事で関わった人で、今まで見てきた人たちは
ことごとく表情が引きつってたが
やっぱりそれを見てもシャンバラを感じない。

まず第一に「笑顔」を取り戻すべきだと思うし
「自身のシャンバラ」を見出して欲しいと思う。

「因子」を取り除き「我慢」の観念から解放されることが
シャンバラへの近道なんです。

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