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日々の茶番劇、ラットレースを終わらせるには

会社での仕事が大変大変と追われる一方。
そんな茶番劇にひーこら言ってるのが現状であるけれども
会社を辞めるのが怖いし

本来ならば会社の茶番劇で満足することなく先に進んでいたいのだけど
「お金が安定して稼げない」ということが足枷になっている。

もしこの茶番劇を終わらせるとしたら、どのような行動を取るのが良いだろう?

休息と過労のラットレース

ある日の休日のこと。
この日は先日のセミナーにおける疲労の癒しで起きるのが遅かった日。

寝てる際にインターホンが入ったので阻害されたくらいで
それ以外は概ね満足かもしれない1日。

1日1日、早く起きすぎだからたまにはこういう日があってもいいのだろうと思い
この1日を位置付けとしては「久々に安心させてもらえる」そんな1日と定義づける。

茶番劇が終わってないことを「勝利」と言わないと思いつつも
いつまでも茶番を演じてるわけにはいかないが

茶番劇を終わらせるために、一旦休んで仕切り直すのはアリだと思い。

生き方において「腹を括る」ということができるのが美しい。

そんな美しい生き方が誰もができれば良いけれど、
この地球上で何十奥いる人の中で、ごく一握りの人しかできてなさそうなのも事実。

多くのサラリーマンは平日は長い闘いでうんざりしながら働き、
束の間の休日に安心して休み、また朝も夜も満員電車に乗り込んで
うんざりする平日との戦いを繰り返します。

いわゆる「ラットレース」と呼ばれる事象。

しかし貨幣社会においては、これを乗り越えないと
生活に必要な資金が手に入らないのは確かです。

一緒に仕事やりたくないような関わる人間との関係性とか
やりたくない仕事とか実にうんざりすることばかりなのは知りつつも、

生活に必要なお金のためにただ黙って心を押し殺して唾を飲む。

そういった「大変大変」のオンパレードな茶番劇が、
高層ビルが並ぶ都心で日々繰り返されているのです。

茶番劇を招いたのは誰だ?

私も何度も会社を辞めるために起業やらコーチングやら学び闘ってきましたが
茶番劇を脱することは叶いませんでした。

その戦いを繰り返すたびに思うのが。。

結局、長々と茶番劇を演じなきゃならない事態を招いたのは
誰のせいでもなく、自分のせいであるということ。

会社の人間が無茶振りの仕事を投げるからでなく、全て自分のせい。
いつまでも本来の目的に時間をお金を割かなかったからこうなったのだと。

会社の仕事ぶりとかでも、責められて当然のことばかりしてきたのは事実。

会社での業務中居眠りなんて一度や二度じゃない。
責められて当然のことばかりしてきたのだから
ブラック企業に放り込まれて当然の結末で、
ブラックを抜けた今でも茶番劇を演じ続けている。

なんでこんな悲惨な現状が巻き起こるのか?
こんな現状を作り出したのは自分だから。

責められて当然のことをしてるんだから、その贖罪を茶番劇という形でしなきゃならない。

その茶番劇からさっさと解放されたいか?
誰だってそう思うし、いつまでも
毎日ラットレースを味わされるなんて、こんな責め苦を味わってなどいられない、
そう思うのは至極当然のこと。

自分の人生の目的を見つけるまでのアプローチがあまりにもまずかったのも事実、
事実だとしても、ここまで無駄に茶番劇を演じることもなかった。

現実に悲惨な茶番劇を、ラットレースを招いているのは他ならぬ自分自身です。

終わりに

人が悩みを持ってくるにあたって、大きな障壁になってるのはやはり会社の存在。
会社であり、仕事であり、そこにまつわる人間関係であり。

会社の存在に頭を悩ませない人は、いないと言ってもいいかもしれません。
よほどその会社の仕事が好きで好きでしようがないのであれば
それはその仕事が「天職」なのだとしか言いようがありませんがね。

なんにせよそれだけ「お金の問題」が目の上のたんこぶということ。

ラットレースを抜け出すには?
茶番を終わらすには??

勉強みたいに目の前のことをコツコツとやる、
今の仕事にしがみつくのも大事だけど、
時に「何か」をリリース(手放し)せねばならないという、いつもの原理。

「死と再生」の冥王星的な破壊的変更が不可欠。

手放さなければいけないものが「何か」に「気づいた人」は、
自分が本当にやらなくてはならないことが「何か」に「気づいた人」は、

会社とかでの出世だとか昇進、地位や名誉だとかは、皆眼中にないのでしょう。

「本当にやらなければいけないこと」と地位や名誉、年収は関係がないのだから。


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