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風車の純愛。(クロアジ二次創作)





その一枚の水彩画を見た瞬間、クロウリーは魂が握り潰されるような、聖なる水で蒸発させられたような衝撃を受けた。

時に深く時に淡い真摯な色合いと、絶妙な筆遣いから生み出される滲み。全て計算し尽くされているに感じる構成なのだが、長い和紙の隅々に迷い線が立ち竦んでいるのだが。そこから勇気と共に一気に力強く引かれた主線が、描き手の卓越したセンスのフィーリングと、豊富な経験値と、それから天才故の未知なる可能性を指し示している。

震える指と背中に流れる冷たい汗を抑えられずに、「これが、これこそが描写の神に愛された者の創作だ」とクロウリーは敗北感に打ちのめされ、それ以上の憧憬に跪く他はなかった。

「こいつは、考えて描いてるんじゃない。感情のままに筆を回して、言語にならない自分の世界を紙の上で踊らせている。天上からの歌声が聞こえてくるような、恐ろしい才能だ」

アニメーターの仕事と実業家のしてのビジネス、かつメカニックデザイナーとしてのクリエイティブワークに対して、クロウリーはそれぞれ二分、五分、三分と割り当てを課して生きている。

絵やコミック、映画、デザイン、文筆と畑違いのプロで飯を食えて名声を得ても、自らの実力の無さや情熱の枯渇で自滅していく知人を飽きる程に見てきた。

クロウリーは創作においてロマンチズムを生み出してはいたが、それを真っ向から進行しているわけではなく、非情なリアリストとして自分の人生を思考想像する力を持ち得ていた。

おそらく彼の幼年期の貧困が根底に根深くあり、そこから今の冷淡とも感じられるビジネスマン、アンソニー・クロウリーを形作っているのだろう。そしてその自画像を本人も嫌ってはおらず、そこそこ気に入って社会に投影して生き続けている。

だが、アジラフェルは違った。神に愛され生まれてきた「真なる天才」だから。

芸術にただひたむきに魂を捧げ、見返りを求めずに黙々と創作の神々に仕える献身と愛。あれだけは、クロウリーが喉から手が出るまでに求めても天から与えられなかったものだ。

嫉妬をまるで覚えなかったと言えば嘘になる。しかし、このスコットランドの貧しい労働者階級に育った青年は、余りにも桁違いの才能を眼前に張り出されて
癇癪を起こしたり自己憐憫に浸ったりする愚か者では無い。

確かに、アジラフェルは絵画のセンスや卓越した描写力、芳醇な感受性に満ち溢れている。それだけに厳しい現実社会では、一人で生き抜けていけない繊細さが目立ち過ぎるのだ。

あのマスクも大きなサングラスも、自分が生み出してしまった「偽の醜さ」を
隠す為だけではなく、アジラフェルの世慣れない臆病な心を残酷な他者の視線から守る荊の壁だと、誰よりもクロウリーは知っていた。

だからこそ、彼女のあの優しさと不器用で真っ直ぐな情熱と、天にも届く才能を
どれだけ手を汚してでも護りぬく漆黒の鉄壁になってやりたい。多分この気持ちを、無償の愛と呼ぶのだろう。

「俺はきっとその為に生まれて、あいつに出会ったんだ」

お互いの立場やそれに伴う世間からの不必要な干渉にショックを受けたのは、
クロウリーも同じだ。まさかアジラフェルが、初めて深く愛した相手が生涯唯一尊敬し畏怖し、永遠の好敵手として誇りに掲げていた存在と同一人物だなどと
誰が想像しただろう。

電話にもメールにも出ないアジラフェルの元へ、強引に押し上げていくのは悪手だと、この半年で学んでいるクロウリーは急がなかった。
ここで急いては仕損じる。頑固だが「ただ一人の友人」からの押しに弱いアジラフェルの情深さに訴えるのが一番効力があるはず。

『顔を合わせて、話したい。12日の金曜日、午後2時にあのテラスカフェで待っている。C』

それだけ丁寧に綴った羊皮紙を洒落た封筒に入れて、アジラフェルの自室ポストに祈りと共に落とすと、確かに軽い音が鳴った。



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こちら、未完成な「GoodOments」(Amazonプライム・ビデオオリジナルBBCドラマ)の二次小説になります。去年の夏に汗だくになりながら、毎日毎日漫画と小説を描き続けていました。

こういう未完成な作品のかけらが結構あるんだけど、もう気力的にも体力的にも続きが書けない〜。















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