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女神 1[オリジナル短編小説]


全部で12章あります


1

外見だけで言うと、圭太は素晴らしい男だった。

純日本人なのに顔の彫りが深く、目鼻立ちもハッキリとしていて外国人のハーフと言っても信じられるくらいだ。
そして彼は幼い頃から人懐っこくて明るく、とにかく周りから愛される性分だった。


私と夏美は、幼なじみとしてそんな彼の半生を身近で見てきた。三人とも同い年で、幼稚園からずっと一緒。


子供の頃はよく、「どっちをお嫁さんにするの?」と女二人で圭太に迫り、圭太はあっさりと

「どっちも好きだから、2人ともお嫁さんにするよ」

などと答えていた。
大人になって思い返してみると、なんだか恥ずかしいし馬鹿げてる。まぁ、所詮子供の戯れに過ぎないが。


私達三人は同じ小学校、中学校に上がり、高校大学は別々になったが、変わらず三人でよくつるんでいた。そして大人になった今でも、だ。



私達は今年で30歳になる。
私は独身を謳歌している。幸運にも好きな仕事に就くことが出来、経済的にも潤っている。
夏美と圭太5年前に結婚して、1人の子供が居る。
5年前のあの時、ようやく私達3人の関係の落ちどころが見えたように思える。



さて、5年前の話をするまでに、他にも色々と書かないといけないことが沢山ある。
圭太は子供の頃、私と夏美が戯れに言った「どちらをお嫁さんにするのか」の質問に「2人ともお嫁さんにする」と答えた。しかし厳密には、彼がお嫁さんにしたかったのは2人だけではなかった。


圭太の実家はお金持ちで、広い庭の池には鯉が泳いでいた。よく3人でその庭を走り回ったものだ。親同士が友人で生まれた時からほとんど毎日遊んでいたので、圭太の家は自分の家と同じように出入りしていた。私と夏美が無断で中に入って遊んでいても、圭太の家の人達は怒ることはなかった。それどころか、お腹は空いていないかなどと気を配ってくれたものだ。


あの時も、私は一人で勝手に圭太の家の庭に入って鯉を眺めていた。家の鍵は開いていたが、玄関から呼びかけても誰も応えなかった。留守だと思った私は、いつも勝手に庭に入り込んでおきながら遠慮するのもおかしいが、招かれてもいないのに家の中に入ることはいねないと思った。


池の鯉に向かって小石を投げてみたり、水面を指で弾いてみたりしながら、私はぼんやりと空を眺めていた。もう少しすれば夏美も来るだろう。圭太も帰宅したら、一緒に隠れんぼでもして遊ぼう。


当時の私の家は波乱万丈で、年の離れた姉が突然家出をして1週間も帰ってきて居なかった。その上父は気に入らないことがあると、母に暴力を振るう。姉の家出以降、それは更に酷くなっており、私は毎晩怯えて布団に潜り込んでいた。
姉は美人だった。芸能人にスカウトされたり、他校にまでファンが居るほどの人気者でもあった。そんな姉がなんの前触れも無く、急に姿をくらましたのだ。
まぁ、とはいっても、2日前に電話がかかってきていた。本人の声で「しばらくしたら戻るから、放っておいて」と言っていたらしいので、事件に巻き込まれたりしたわけではなさそうだ。


お姉ちゃん、どこに行ったのかな........。


大きなため息が漏れた。顔にかかった髪の毛が、唇から漏れた吐息に揺れる。



ふと、物音がした気がして顔を上げた。
振り返ると、圭太の家の縁側のガラス戸の一つが開いていた。ついさっきまでは全て閉まっていたのに。

私は池から離れ、何となく、足音を忍ばせてそのガラス戸に近付いた。所々にある植木に身を隠しながら、忍者になった気分で忍び寄った。

やがて、庭の中央にある大きな桜の木の下まで来た。幹に体を寄せるようにしてもたれかかり、背伸びをして開け放たれたガラス戸の方を見た。


「........ーーーーあっ!」


思わず息を飲んだ。慌てて口を手で押さえる。どうやら聞こえてはいなかったらしい。




2



圭太が立っていた。見てはいけないものを見ているのに、目が離せなかった。自分でも驚くほどいっぱいに目を見開き、呼吸が上手くできなかった。無意識に握りしめた手が、桜の幹に押し付けられて痛んだ。


開いたガラス戸から縁側に腰掛け、ぼんやりと虚空を見詰めている圭太は、全裸だった。放心状態だ。ポカンと口を開き、よく見れば口の端からヨダレが垂れている。

やがて圭太はゆっくりと体を丸め、両手で股間の辺りを押さえつけた。震えているように見えた。


「圭ちゃーん」


家の中から、女性の弾んだ声が呼びかける。圭太の体はビクリと反応すると、再び顔を上げた。

その表情は、なんとも奇妙なものだった。上唇を噛み、口角が上がっている。目元は戸惑いと恐怖のような色が見える。とても歪な笑顔だった。

そしてもう一つ、私は女性の声に聞き覚えがあった。


縁側に面した障子が僅かに開いていて、その隙間から髪の長い裸の女性が佇んでいるのが見えた。黒い髪を豊かな胸に零し、白い腰をくねらせながら、もう一度「圭ちゃん」と呼ぶ。
愛おしそうな声で呼びながら、華奢な白い手首を誘うように動かすその女性は他でもない私の姉なのだ。

相変わらず奇妙な笑みを浮かべながら、圭太は静かに立ち上がると、ガラス戸を閉めて姉と共に障子の向こうに消えた。







気持ち悪さと恐怖とが、自分に襲いかかる。思わず走り出した。
家まで全速力で帰ると、私は自分の布団を引っ張り出して潜り込んだ。




それから数年、私は圭太を避けた。同じ小学校に入学して、同じクラスにもなったが、私は彼のことを知らない人として扱った。彼も私に話しかけることはなかった。しかし時折、待っているかのように私を静かに見ていることがある。
夏美は私の変化に戸惑っていたが、子供ながらに私の様子がおかしいことを察したらしい。なるべく私といる時は、圭太の話をしなかった。


あれから数日して、姉は帰ってきた。いつもと変わらない様子だった。
彼女の顔を見る度に、あの光景が蘇って辛かった。なので、あまり姉と顔を合わせないように家の中ではほとんど部屋に引きこもっていた。
姉が大好きなのに、すごく気持ち悪い。そんなことを考えてしまう自分に嫌悪感を抱きつつも、元はと言えば姉のせいなんじゃないかと、心のどこかで小さな苛立ちがあった。



私が姉を避けていることを察してか、姉は私が小学校二年生になる前に家を出て一人暮らしを始めた。
それをキッカケに、急に肩の荷が下りたように、気が軽くなった。
同時に、圭太に対するドロドロした感情も徐々に薄れて行ったが、再び声を掛けるまでにはかなりの時間を要した。急に無視して避けてたのに、また急に親しげに話しかけるなんて、気まずかったのだ。


さて、夏美はそんな私と圭太を心配しつつも、深くは追求しなかった。というか、私が何故彼を避けるのかの理由を、どう説明すべきか解らなかったのだ。
とても難しいことだった。だって、姉と圭太が何をしていたのかを理解出来ていなかった。大人になった今とは訳が違う、あの頃は子供だったのだ。

私が圭太を避けている間も、夏美は圭太とよく遊んでいた。時々私も一緒に遊ぼうと誘ってきていたが、毎回何かしら理由を付けて断っていた。そうやって誘いを断り続けていたら、大抵は徐々に関係が薄れていく。最終的には縁が切れるわけだが、どうしてか私と夏美の縁は切れなかった。


私が遊びの誘いを断ってばかりいると、それならと交換日記を渡してきた。最初は私と夏美だけでやっていたが、気付いたらいつの間にか圭太もメンバーに入っていた。私達は直接会話はしないのに、交換日記ではたくさん会話をしていたのだ。
「近所の野良猫が子供を産んだ」「じいちゃんがぎっくり腰になった」とか、他愛のない事を多い時には毎日、少なくても毎週やりとりしていた。


そんな奇妙な関係は中学に上がるまで続いた。しかし、ある日夏美が私に質問をしたのだ。

「そろそろ、なんで圭太を避けるのか教えてくれない?
また一緒に遊びたい。あかりちゃんが居ないと寂しいよ」

そこまで読んで、交換日記をパタンと閉じた。

その頃には、姉と圭太のしていたことをある程度察していた。考えただけで気分が悪くなる


3


3


悩んだ結果、私は交換日記を見なかったことにした。
存在すら忘れてしまおうとした。三人とも同じ中学に進み、三人とも同じクラスになったが、私は全力で夏美と圭太を知らない人として扱うことに決めた。

正直、圭太が気持ち悪いのはもちろんだったし、どれだけ私が避けても絶対に諦めない夏美にも少々面倒臭さを感じていた。
幸い他にも友達が居たので、孤独になることはなかった。
圭太も相変わらずの人たらしで、同級生にも教師にも好かれる人気者だった。


夏美は........夏美は可哀想なことに、中学に入ってしばらくしたら不登校になり、二学期には転校してしまっていた。彼女は一部の女子からいじめにあっていたのだ。
しかもタチの悪いことに、いじめていた奴らは絶対に周りに誰も居ない事を確かめた上で、こっそりと夏美をいじめていた。

なので当時は何故彼女が不登校になり、転校したのか解らなかった。大人になって再会して、初めて知ったことだ。ちなみに理由は圭太絡みだった。


さて、圭太は男子とつるむことも多かったが、女子生徒と親しげに話していることもかなり多かった。
他のクラスの女子と二人で中庭のベンチに座って話していたり、またクラスメイトの女子と教室のベランダで並んで肩をくっ付けて楽しそうに笑いあっていたりと、なんとも見事な女たらしっぷりであった。それがより一層、私の中の嫌悪感を強めた。


もうこのまま、二度と圭太とは話すこともないし、目も合わせることは無いだろう........そう思っていた。





あれは冬だった。冬休みに入って数日。
親が出掛けている間、私は自室で音楽を聴きながら冬休みの宿題と戦っていた。

集中している私の肩を、急に誰かが叩いた。体を弾ませて振り返ると、圭太だった。気まずそうに微笑んでいる。

母が言うには、圭太の家の事情でしばらく彼の親が留守にするので、その間うちで預かることになったという。
忘れていた、親同士が友達なんだった。今まで家族ぐるみの付き合いも上手いこと回避してきていたのに、ここに来て避けられない事態が訪れてしまった。


「話すの久しぶりだね」


いつの間にか低くなった声でそう言いながら、圭太はポリポリと頭をかいている。

母は夕飯作りに台所に行ってしまい、部屋には私と圭太の二人きりだ。腹の底がざわつくような感じがする。その時初めて感じたものなのだが、胸のムカムカする不快感と共に、妙に体の下側のほうが熱くなった。


「そうだね」

「急に僕のこと無視しだすんだもん」


圭太は、恐る恐るといった様子でベッド前の床に腰を下ろし、眉を八の字にして気の弱そうな笑顔を見せてくる。
それを見てると、今までの自分の行動がとても酷いものだったように思えた。私の気持ちはどうであれ、圭太からすればなんの理由も分からないまま突然避けられだしたのだ。理不尽と感じても仕方ない。

ごめん、という言葉が口から出かかった。


「お姉さんは元気?」


しかし、圭太の発言のせいで謝罪は飲み込んでしまった。よりにもよって、何故そのタイミングで姉のことを持ち出すのだ。また思い出してしまったじゃないか。

「私のお姉ちゃんが元気かどうか、何で気になるの?」声が震えた。喉の奥に変な力が入って、それ以上声が出なかった。ただただ、圭太を睨みつけることしか出来ない。


「どうして怒ってるの?」


目を丸くして、不思議そうに聞いてくる。どうして解らないんだろう。

部屋の外から、母が料理しながら歌を口ずさんでいるのがうっすらと聞こえた。少し大きな換気扇の音。

机から立ち上がって、圭太に歩み寄った。座ったまま私を見上げる彼の瞳は、好奇心に満ちているようにキラキラしていた。「座って」と囁いて私の手を握る。引っ張られるままに私は床に膝をついた。


「知ってるんだからね。あんた、お姉ちゃんとエッチなことしてたでしょ」

「あれは........」


やっぱり本当なんだ。もしかしたら私がいつか寝てる時に夢見たことを、現実だと思い込んでいるんじゃないかと、そうであって欲しいと思っていたのに。目の前の圭太の顔を睨みつけずには居られなかった。

何故かとてつもなく腹が立った。腹が立つのに、気持ち悪いのに、彼の手を振りほどけなかった。


気付いたら私と圭太はキスをしていた。いつか観た映画のキスシーンの真似をして、僅かに首を傾げて彼の唇に自分のそれを押し当てた。突き飛ばされるかと思ったのに、圭太はそれを受け入れてくれた。背中に手を回し、私の体をグッと引き寄せると、慣れた様子で私を床に押し倒した。


「何してんのさ」

「ごめん。だってあかりちゃんのことずっと好きだったから」


申し訳なさそうに、それでいてもどかしそうにそう言うと、彼は私の上から退こうとした。思わずそれを引き止め、彼の腕を引っ張って再びキスした。圭太は私に覆いかぶさって、貪るように何度もキスをしてきた。正直彼のことが好きかわからなかったし、それどころか初恋なんてものもイマイチぴんときてなかったのだけれど、ただとにかく彼を己の腕の中に閉じ込めておきたかった。

腕の中に閉じ込めて、一生出したくないと思った。彼がもし泣き叫んでも、意地でも逃がしたくないと。自分だけのものにしたくて仕方なかった。

夕食を作り終えた母が、台所から大声で呼びかけるまで私達は床に転がって抱き合っていた。圭太は何度もキスをしてきた。唇だけじゃなく、首筋や、耳や、鎖骨の辺りまで僅かに音を立てながら優しく吸い付いてきた。彼の右手が私の膨らみかけていた胸に触っていることに気付いていたが、私は止めずにいた。

圭太は姉とこんなことをしていたのだ。........と、そんなことを考えていたら、急に思い当たった。私は姉に嫉妬していたのかもしれない。
あの頃は圭太は私のものだと思っていた。しかし私の知らない圭太の一面を、姉が知っていたのだ。むかついて仕方がなかった。
ついさっきまで「初恋なんてイマイチぴんとこない」と思っていたのに、急に私の中で洪水のように愛おしい気持ちが溢れ出した。それはこの胸を破裂させんばかりに激しくのたうち回って、気が狂ってしまいそうだった。


続く

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