好きだけじゃ、全然足りないね。
好きこそものの上手なれ
という言葉がある。
知ってる人も多いだろうし、あえて説明する必要もないかもしれないけれど、好きなものには、とことん熱中するし努力もするから上達も早い。という意味を込めたことわざだ。
努力か。
自分の作品を見つめて、時々考える。
好きなものへの熱量は、ものすごく高いと思う。でも、私はとことん自分のこだわりのままに突き進んでしまう。
カッコよくいうならば、「好き」に従順。
学ぶことは真似ぶ。なんて、散々過去記事に書いてきたし、わからない分野こそ、先人の好きなところを真似をして、自分のオリジナルを育てた方がいい。と、ずっと頭では思っている。
でも本当は、誰かの真似をするのは、あんまり好きじゃない。
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わかりやすい例えをするなら、写真だろうか。
「撮ったものが似てた。」と「真似して撮った」は、私の中で何か違う。
撮ったものが、好きな人や憧れている人の写真に似ているのは嬉しいし、少し成長したのかなと感じることができる。
だけれど、真似して撮ったものは、何にも心惹かれなくて、ただただ、「パクリじゃん。」という感情しか湧いてこないのだ。
それが、とても辛くなる。
こんなもの撮りたいな。こういう風に撮れたらな。のままにシャッターを何千回と切った方が、私にとっては良いのかもしれない。
私には師匠や憧れている人は居ないし、ましてやデジタルカメラだ。趣味の延長だから、作品としての未熟さはわかっている。それでも、カメラのせいにしたくないし、1枚1枚を大切にしたいし、色んなものをこめていきたい。
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レタッチ中の写真を眺めて、深いため息を吐いた。
先日、親友に頼んで、ポートレートをしたのだ。夜の撮影なんて初めてで、さらには七色のライトが毎秒その景色を変えていく難しい場所だった。カメラの設定も何もわからないまま無我夢中で撮った。とても良く撮れたと思うし、多重露光という新しい撮影方法にも目覚めた。
ただ、レタッチが死ぬほど難しい。私の中で、もう完成してしまっているのを、どう修正したらいいのかが、全くわからないのだ。
親友には悪いけれど、たくさんレタッチをして、たくさん送りつけるという迷惑行為を承知で、「好き」のままに編集していきたいと思う。
それでも、ある程度な知識がないと「好き」だけじゃ補正できないものもあるなと感じる今日この頃だ。
お仕事中のドリンク代にさせていただきます。ちょっといい紅茶を買いたいです。