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ドブヶ丘風土記・プロローグ

ブルーシートで作られた掘っ立て小屋の通り。
バラックの家々、錆び、汚泥。
空は煤煙で曇り、水は全てドブ。
ここは日本のスモーキーマウンテン、ドブヶ丘。
東京から全ての汚濁が流れ込む、捨てられたものたちの街。

イチノセは東京からやってきた流れ者だ。
彼は舗装されていない通りを歩きながらつらつらと自分の人生を思い出す。

「人生、人生か……」

父親はクソみたいな黒魔術師。
母親はイチノセが六つの時に親父に喰われた。
生け贄だそうである。
修行と称して虐待めいたものを受けたこと数知れず。
一八の夜に家から逃げて、怪しい退魔師のおっさんに格闘術を習った。
免許皆伝のその晩に親父を金槌で殴り殺し、しばらくは東京で用心棒とも拝み屋ともつかないものをやっていた。

「ここはいいなぁ……好き勝手で、薄汚れててよ」

いつからか、「密入国」で観光に来たドブヶ丘にイチノセは住み着いた。
東京に疲れたのだ。
効率、めまぐるしく移り変わる流行、重税に増え続ける規制と禁止事項。
あそこではタバコも吸えない。いずれ酒だって飲めなくなるだろう。
年々小綺麗になっていく東京は、何か得体の知れないヒステリックさを孕んでいくようで。
そうして、イチノセはドブヶ丘に流れ着いた。

「ニ、ニイチャン、おれ、チンコなめる。カネ、カネ」
「そっか」

イチノセのトレンチコートを引っ張る手がひとつ。
小柄な体、顔だけは整っている。薄汚れて、ねばつき、褐色のように見える肌。
ドブエルフだ。
ドブエルフは悪食で、手癖が悪くて、下水道に住むので薄汚れている。
ドブが丘には、異界からもこのようなものが流れ着くのだ。
イチノセはポケットを探る。
あめ玉があった。ドブヶ丘銘菓「にごりあめ」だ。
ドブエルフの少年に渡す。

「チンコはいいや、アメやるよ。なんかいい話ないか?
そうだな…わるいやつをぶっ飛ばして金になるような」
「カネ、ないない」
「じゃあ、ぶっ殺しても問題なさそうなやつは?」
「ンー……いっぱい」
「そりゃそうか」
「ゴメンネ?」
「いいよ、飴でも食ってろ」

イチノセはドブエルフの少年の頭を撫でて、また歩き出す。
どうせ、ドブヶ丘アパートでもぶらつけば盗人の一人や二人飛びかかってくるだろう。
あとはそいつの頭にドブ鉈をたたき込んで身ぐるみはがしてやればいい。
だが、イチノセの足は別の所に向かっていた。

「団地で追いはぎでも殺して……いや、やっぱ『マリオ』の所に行くか……」

茸売りのマリオ。髭と顔つきからマリオと呼ばれている国籍不明の外国人。
ドブヶ丘の異常な品と、外のまともな品を『密輸』して儲けている商人だ。
元・外の住民でそこそこ腕も立つとあってイチノセは彼からの仕事を何度か受けていた。

タバコに火をつけ、首縊川の河川敷を上流に上っていく。
そこに外人街があるのだ。
タバコの煙は首縊り側のドブの匂いを消し去ってくれることはない。
だが、ニコチンとドブヶ丘のケミカルな成分が嗅覚を鈍らせてはくれる。
濁った水は音を立てることもなく淀み、オイルの虹を見せる。
足下のがらくたの埋まり、草がぼうぼうに生えた土。

ふと、トロピカルな音が聞こえる。
金管楽器に加工した釜を叩く音はバリの古楽ガムランだ。

「ビザ無し芳一か……近くなってきたな」

ドブヶ丘に似合わぬ美しい音を奏でる者。
本名はホー・ウィッツという東南アジア人らしい。
夜ごと奏でられる古楽は怨霊を鎮めるためか。
それとも入管をごまかすためか。
ドブの香りにガラムマサラの匂いが混じる。
やがて、イチノセはマリオの店にたどり着いた。

「マリオ、いるか?イチノセだ」
「イェア、イチノセさん。お元気か?ハッピーケーキ買うか?」
「いらねえよ……絶好調だ。絶好調だから仕事あるか?」

マリオの店は原色のペンキがぎとぎとに塗られ、目に染みるような赤い絨毯が敷かれた雑貨屋だ。
カミソリや石けん、お菓子など外の世界では他愛のないものがけっこうな値段で売っている。
だが、文化の真空地帯ドブヶ丘では良心的な商売といえるだろう。

「オウ……イチノセさん。今トラブルない。バット、イチノセさん日本語書けるか?」
「作文くらいできるよ、一応外の学校には行ってたからな」
「イエス!ならアナタ、風俗レポート書く。一記事500から2000字、一文字2円出す。どうね?」
「ドブ札で?日本円で?」
「もちろん、日本円。やるか?」
「風俗代経費で出る?」
「イエス!撮影可能ならそれも買うね。どうか?」
「やるよ。どうせ暇だし」

ニタリとマリオが笑う。どことなくマリオよりも絵本で出てくるランプの魔神か、その悪役に似ていた。
陽気で、邪悪で、ひたすらに怪しい。

「ハッハッハ-!イチノセさん、あなたグッドパートナーね」
「提出形式は?」
「パソコンのぞましい。でも紙に書いてもオーケーね。どうせ外の編集に渡すね」
「わかった」

かくして、イチノセは即席風俗ライターとなった。
彼の頭は計算を始めていた。
いかに投資を少なく早くカネを手に入れるか……
思い浮かんだのは、ドブエルフの顔だった。

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