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冬の来たれば

本格的に寒くなった月曜日。
今日は1年ぶりの旗当番だった。
7時半から8時まで、交通安全の旗を持って、決められた交差点に立つ。
一年に一度(か二度)しかまわってこないけど、今年はとても寒い時期。

そして7時半から8時って、朝のけっこう忙しい時間帯でもあるわけで…(洗濯とか用意とか)
みんな色々あるなかでやっているんだろうな…


その交差点は大きな道路に面していて、車がビュンビュン通り過ぎていく。
7時半からほどなくして、黄色い帽子を被った小学生がわらわらやってくる。
挨拶してくれる子もいるけれど、たいてい雑談しながら通り過ぎていく。
長男なんて、せっかく見つけたのに目も合わせてくれない。
(まあ来年、小6になるものね…)
低学年の頃は嬉しそうにしてくれたのになぁ、なんて思いだす。
(参観日も同じようなことを思ったっけ)


今日は久しぶりにひとりの休日で、隣の県まで車を走らせて色んなものを買った。
まずは下着。
(採寸もしてもらう)

下着って、みんなどれくらいのペースで買っているんだろう。私は半年〜1年に一度くらい。
それくらいの頻度だから、おすすめされるまま色々買ってしまった。
下着で思いだすのは、『ランジェリー・ブルース』という漫画。



これが、とても面白い漫画だった。
ボディポジティブという言葉があるけれど、自分の身体を受け容れられるようになる話。
(出てくるお店の人も素敵)
年齢を重ねるほど格好良さが増すというか。
(最近読んだ漫画だと『爪を破る』も良かった)


1時間だけ執筆の時間もとる。
(これも久しぶり)
少し前から書きはじめた小説。

以前「書く理由」が欲しいな、なんて考えた。
厳密に言えば、書く時間を正当化できる理由。


だって、日々やることは満載で、執筆の時間を確保するのも大変なことだから。
(その時間を他のことに充てることもできるのにって)


けれど小説を少しでも書けた日は、やっぱり自分の何かが満たされる。なかなか言語化できないけれど、それは確か。
日記もnoteも書くのは好きだけど、書いて苦しくはならない。小説だけが、楽しさと苦しさがセットになっている。その分、きっと喜びも深いのだろう。

だから小説を書く意味とか書く理由とか考える前に書ける時に書けたら、その喜びを味わえたら、それだけで多分に意味はあるのだと思う。私がそう感じるのが何よりの答えで意味だ。

書く理由とか意味とか、そんなことに拘らなくても大丈夫なんだと。
誰かにとって意味のないことも、私にとってはそうではなくて、書くときの高揚を体で味わえたら、もうそれだけでいいんだ。
それは「書くこと」でしか体験できないことだから。
その一瞬を味わうために、体で掴みとるために、またひとりの休みの日、1時間でもいいから書いていく。

そのときのデジタル日記より


ひとりの休みに1時間、が今の目標。

冬が来ると毎年、
永瀬清子さんの詩の言葉を思いだす。


冬の来たれば
我にきことあらん
冬は美しく
かなたに懸れり

『述懐』永瀬清子



毎日を過ごしながら、冬の美しい瞬間を見逃さないでいたいと思う。



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