「服装が年齢と不相応な人はヤバい」とひろゆき
が言っていて、ビクリとした。
タイに来て1年半、持っている服はもうほとんど現地で買ったものに変わった。
しかし例外もある。
世界のどこかで手に入れた、薄手のなんていうか透ける生地の薄い上着。これはエアコンがきついときに重宝する、何年一緒か分からない。
あとこれも地球のどこで買ったか分からないブラウンの長袖のシャツ、なんという耐久性。世界旅行してたのなんて四半世紀まえだ。
一応ワイシャツネクタイ、これは日本、最近のもの、といっても10年以内が最近である。
最後にこれも耐久性ではすさまじい私が20代のころこれは覚えていてバンコクの百貨店で買ったイギリス製の開襟シャツ。細かい模様は良く見るとすべてサイコロで、洒落ている。この細かい模様が25年洗濯しても滲まないのだ。一番下に写真を貼るのでご興味のあるかたはご覧になられては。
ロンドンの職人の意地を見る思いがする。
25年まえの私はこのシャツでバンコクの夜を我が物顔で歩いていたのだ。金離れは良かった。数々のクラブ。スパソ、ベッド、Qバー、シェラトンに入っていたリバース。どこでも誰かがいた。
クローゼットの中身を思う。若い服ばかり。46歳。ハゲは隠さない派。もっと目立たない服を着るべきだったのだ。
私は17歳から34歳まで海外を渡り歩き、その後11年を日本で過ごし、タイに戻ってきたのだ。
その興奮が私の実年齢と行動を乖離させてしまったのではないか。
じっさい私が着ておかしくないのは官庁に行く用に買ったポロシャツやどこでも着ていける開襟シャツなど2、3点で、ほかはすべて部屋着にでもするしかない。派手な部屋着だ。
10年強日本にいたのは私も当初は帰りたかったし、子どもの教育のためだった。タイで育てると、タイ人、もしくは日本語がしゃべれるタイ人になる。また転勤族の子どもですら日本の基礎知識を知らなかったりする。
私は子どもを日本人として日本の四季のなかで育てたかった。お正月、豆まき、おはぎとぼたもちはどっちがどっち、バレンタインにクリスマス、最近はハロウィーンも。
日本での後半、私はきつかった。毎日、「きつい、きつい」と言っていた。私はついぞ日本の社会に戻れなかった。肝臓をこわすまで酒を飲んでもその「きつさ」は消えてくれなかった。頭もハゲた。
母が亡くなった。事情がいろいろ変わった。
私はタイに一人で行くことにした。
確かに、ここでひろゆき氏の言う「服装と年齢が不相応な人はヤバい」が証明されましたね。
あのときの私はやはり常軌を逸していた。
だからその後の服装選びも、自分が17歳か、34歳くらいの気分で選んでしまったんだ。
これから新しい服選びという楽しみができた。
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