龍神 (小説)

 都会は鼻の先だが、ここは郊外。そう高くはない山の頂上だ。小さな谷底を流れる大きな河川に沿って聳え立つ某女子高校がある。その川底には、ある日『龍神様』と言う者が住み着いた。
十月一日と言う秋の真っ只中だった。確かに、あれは龍の姿をした偉い神様だった。如何程偉大なのかは分からないが、巨大な龍の神様だった。一瞬しか姿を現さなかったが、龍神様は「月に一度は、若き女子(おなご)を一人この私に捧げよ。」と言うのだ。さもなくば、学校が丸ごと呑み込まれて皆食べられてしまうとの事だ。そして世界が果てるまで、龍神様はあちらこちらをまた転々とする事になるのだ。更に、「皆(みな)して他所(よそ)へ逃げるような真似はするでないぞ。もしそのような事をしたら、間(ま)も無く日本列島を丸ごと、富士山さえも全て陥没させて皆喰ってやるからな。」と龍神様は言った。
 毎日、生徒も教師も、龍神様を恐れビクビクと学校生活を送っていたのだった。いつ、自分が龍神様の捧げ物、そう、餌食になるかと言う事を思えば四六時中青褪(あおざ)めたままの子が少なくない。明朗快活だった子でも、元気が、ほぼ空(から)元気に変わっているようなものだ。
初回の‘生けにえ’となったのは、とても病弱で白痴だった不登校の小柄な少女が、十月三日頃、龍神様に眠るその谷川の河の傍(はた)にて、睡眠薬を二十粒も飲み、数秒後には谷底の河目掛けて思い切り飛び込んだ。背筋は伸ばして両手の皺を揃え、祈るような体勢だった。本人は、あれで救われた、空さえ自由に飛べるか、と思ったに違いないだろうと、教師や友達が何人かでそのように話し合っていた。
 小さな革靴とヘアピンだけが、崖の渕(ふち)には置かれてあった…………。
次の十一月の犠牲者は、この夏に一人娘を白血病で亡くして落ち込んでいた、二十代後半の、世界史を担当していた美人女教師だった。セミロングヘアにはいつも、ベージュ色のスーツが似合っていた。とても温和で誰にでも優しい先生で生徒の間でも人気だった。これ程までに悲しい事は無い、と思ったのだ。彼女も、精神安定剤を八十粒飲んだ数秒後に河へ飛び込んだ。
 裏門前の、河を跨ぐ渕には、白いパンプスと、空になったショルダーバッグが綺麗に揃えられていた…。中身は抱えたまま飛び込んでいるところを見た生徒が数人いたのだそうだ………。

十二月。この最後の年は、極端に言えば龍にとっても当校の生徒達にとっても、御祝いとは言えるのだろうか?だが、大きな御祝いにはならないのだ。龍神様は毎月、誰か一人の人間を食料としている。なのでそれだけでは全ての解決にはならない。ちっぽけなものだったのだ。
 十二月一日に、龍神様の生けにえこと、捧げ物となったのは、確かに、麻田(あさだ)財閥の社長令嬢だ。二年A組だがクラスや学年ばかりでなく、この学校のボス的な存在と言っても可笑しくはならない。海外に支社が出来る程の大企業の社長の娘であり、彼女には教師さえ逆らえないぐらいの有力者だったのだ。麻田エリカ御嬢様と言う。エリカは、いつもターゲットを見付けては二人の子分率いるグループでそのターゲットを苛めていたのだった。給食の中にチョークを入れたりトイレに置かれたバケツの水を被せるなど、苛め方は半端無かった。ただ、大金持ちの娘なので、御金を揺するような事だけはしなかったのだが、それ以外の素行は限り無く酷いものだった。
 エリカは二人の子分に言う。

***
「ねえ、今日は十一月三十日でしょ。うちのクラスのいるあの子、落とさない?ほら、小柄で眼鏡掛けてる、いつも静かに本ばかり読んでて陰気臭そうなターゲットにしようとは思ったけど、やめてさ、捧げる事にしようかと考えたのよ。そう、龍神様にね。」
とエリカ。
「え?あ、はい。あいつですね。通称が文学少女の、あの子ね。」
「そうですね。」
ともう一人。
「そう。明日から、早速よ。いいわね?」
「「はい!かしこまりました。エリカ様!」」
と二人は口を揃えて言う。
「ふふ。いいわ。あの子、何か前から生意気な感じね。両親ともそこそこ有名な作家で、親のコネであの子も、作家になりかねないしね。親戚に出版社社長もいるって言うし。私以外に、あんなぬくぬくと暮らそうなんて許せないな。人と御話もろくに出来ないようなあんな子が、ね。それにあいつ、前からさ、体育で着替える時とか腋臭(わきが)がプンプンして来るし、情報実習室は絨毯だから、靴脱いで入る時、何か、あの子の近く寄ると何だか酸(す)っぱ臭(くさ)いニオイがして来るのよ。多分、あの子は脂足ね。多分みんなより汗を搔き易いんだわ。ただでさえ臭うのに、わざわざいつもあいつは紺のハイソックスを穿いて来てるのよ。小柄でぽっちゃりで、ただでさえ汗を搔き易い癖にあんなのを穿いて来てさ。やっぱり生意気ね。いつも臭いったらありゃしない。薄汚い空気を私に浴びせてるようなものね。ふんだ。」
と麻田エリカはグチグチと悪口を言う。エリカはヨーロッパ製の、高級な黒いストッキングを穿いた足の右足をじれったそうに廊下の床をトントンと踏んでいる。
 いつも逆らえば、何をされるか二人共分かったものではなかったが、今回ばかりは、よく分かっている。二人して谷底に突き落とされるだろうと、エリカ様ならやり兼ねないと思ったのだった。
***

「ねえ、あなた。水野さんよね。ちょっといいかしら?」
とエリカは座ってじっと文庫本を読んでいる女子生徒に話し掛けた。
「え?あ、あ、あの…………はい。」
と水野は振り向いて答える。身体が地味に振動していた。
「こっち来て貰って良いかしら?うふふ。」
とエリカは冷笑を浮かべて誘った。
「あ…あの………きゃっ。」
エリカは、水野の手を強引に引っ張ったそして廊下に連れ出したのだ。二人の子分も一緒に引っ張って水野を連れて行く。
「二人共、水野さん。さあこっちよ。」
「あの、何処行くんですか?」
と水野が問うと、
「すぐそこよ。うふふん。」
とエリカ。
「えっ!?」
 水野が連れて来られたのは、谷川の見える崖の目の前だった。
「さあ、水野さん。神様がこの下で御待ちなのよ。イイ?男前の龍神様が貴女を待ってるの!さあ!」
「え!?あの、そ、そんな、私…………。きゃ!嫌ああ!助けて!嫌!」
「御黙りっっ!この!」
水野は、子分の二人によって目隠しをされ、両手をロープで縛られた。
「許して下さい!ごめんなさい、嫌です!」
「うるさいわね!河へ飛び込むのよ!この饅頭娘めっ!アンタなんか!アンタなんか!もう、早く飛び込みなさいよ!」
「死ぬのは嫌です!……やめて下さい!……あ!」
 水野は軽く突き飛ばされて、その場へ仰向けに倒れ込んだ。
「ここでアンタを窒息させる訳にはいかないけど、これどう?アンタの次に、私のが臭いと思うわ!さあ、さっさと河へ飛び込んで貰うわよ!なかなか肉付きの良いアンタが美味しいと思うわ!ジューシーでね!オホホホホホホホ!」
エリカは、靴を脱いでそのまま右足で水野の顔面を踏み付けた。
「う…う………。」
「エリカ様、この子しぶといですね!」
「感心だわ、強い子!」
と二人の子分は言う。
「そうね!さあ、起き上がりなさい!立つのよ!あ、キャアアアァァッ!!」
「エリカ様ああぁぁ!!」
「エリカ様が…………。」
 エリカは、谷底へ真っ逆様だった。麻田エリカが今年最後の、龍神様の捧げ物となってしまった。しかも今回は丸呑みではなく、エリカの身体は龍神の牙や爪でゆっくりとズタズタに引き裂かれ、食い千切られてしまったのだった。今年最後の御馳走となる為か、ゆっくりと味わわれたのだろうか。寧ろ、一番良い物を毎日食べているエリカが最も美味だったのかも知れない。
 エリカが喰われた翌日、もう苛めをする者はいなくなった。子分だった二人は水野に謝り、三人仲良くなった。二人共少しずつ、二人の趣味や柔軟な感受性、素直さ等に感化されて文学の世界に溶け込んで行ったのだった。二人共、本当はエリカの事は全然好きではなかったのだ等と水野に話した。二人が暫く愛読したのは、吉本ばななや赤川次郎、山田詠美等の、比較的読み易いものが多かった。他は、大体が漫画だった。
 水野は、芥川龍之介や樋口一葉、シェイクスピア等を愛読していた。時ぶりの映画や少年漫画、少女漫画もよく読んでいた。理数系科目やIT関係は弱いが、文学、ストーリーやコメディの漫画、他、心理学などには造詣が深かった。

そして年が明けた。この元旦から三日までは、水野は神社へ行き、私達をどうか、龍神様から御救い下さいと一日三十回も心の中で唱え、日参したのだった。冬休みが終わる七日までは、龍神様のいる自分の通う高校へ向けて足を向けて眠るような事はしなかったのだと言う。
三学期。麻田エリカももういない。今月の犠牲者は、果たして誰になるのか?まだ生けにえになった者はいないようだった。新年早々なので、龍神様はまだゆっくりと眠っているのか、と水野も思った。教師達も何人かの生徒もそう話していたのだった。
 この学校は、私立高校だった。龍神様は「私がいればこの学校は先ず潰れる心配も無く、限りなく巨万の富を得る事が出来よう。甲子園連続出場ばかりでなく、学業にせよ、武道にせよ、芸術にせよ、他全ての部活動においても全国一位となる日はそう遠くはない。私がいる限りはな。私がいる間にこの学校を卒業した者は、何らかの形で必ず幸福になれるのだ。毎月どなたかが私の餌食になるがな。来年卒業する者は、更に格段と幸福になれるぞ。私はこれでも守り神だからな。」
 一月十日に、麻田一家が学校前の谷川にて心中した。可愛がっていた一人娘の後を追うかのように…………。会社は優秀な専務や常務に任せたままだった。麻田家の血筋は途絶えたのだ。
 流石の水野達も、他の教師や生徒も、これはショックを受けた。
 もう一月が終わろうとしている。水野は、家へ帰ると、自分の小部屋でベッドに座り、紺のハイソックスを脱いで床に置くと、「はあぁぁ。」と溜息を付いた。今日も嫌な汗だった。温めのシャワーで足だけを洗うと、制服を上下とも脱いで白いブラウスと黒のベストと黒のロングスカートに着替えて、白タイツを穿いた。同窓会へ出掛けた母からの書き置き通り、水野は買い物に出掛けた。玄関で黒いストラップシューズを穿くと、再び表へ出た。
 スーパーの中にて、友達と会った。あの二人だ。制服姿のままだった。
「あ、水野さんだ。」
「あら、どうも。」
「水野さんも御買い物ですか?」
「うん。今日が久し振りだから。」
「そうなんだ。私達もなの。うわあ、やっぱり水野さんは、清楚ねえ。」
「そう?有難う。」
「それにしても、麻田家の一家心中事件、幾ら何でもあれは悲し過ぎですね。嫌な奴だった麻田エリカも気の毒だけど…………。」
「ホント、ホント。私だって涙出ちゃった。」
「私も。」
「そうね。私も部屋で泣いたわ。」
と水野。
 御蔭で、この二月ばかりは龍神様はゆっくりと冬眠したのだった。麻田家の御夫妻、御祖父母、そして若いメイドこと御手伝いさんも二人発狂して望みを吸い取られたかのように無気力になり、一緒に谷側へと飛び込んだのだった。骨も灰も残らないので勿論葬式も出来る筈も無い。
 麻田家の墓は麻田邸の裏庭にある。最後の慰霊の儀式として、残った執事とボディガードと家政婦長とで神主さんを十人も集めて屋敷や御墓を取り囲むようにして行なった。
 遺言(ゆいごん)書には、こう記されてあった。

「財産権の七割(二兆一千億五百六十万円)は会社に託し、二割(六千億百四十万円)はユニセフへ募金して置きます。一割(三千億七十万円)は、皆様で御自由にどうぞ。均等に山分けでも何でもして下さいね。地下二階奥の小部屋の金庫に仕舞って置きました。ではさようなら。また御逢(おあ)いする日まで。  麻田一郎」

「何と言う事でしょうか。」
と若い男性ボディガードは言う。
「そんなに私達だけで頂いて良いものかどうか………。確かに、私には孫が五人もおりますが…。」
と老執事。
「あら。私も孫が三人いますわ。でも…………金額が半端御座いませんね。庭に埋めておいて埋蔵金にでもしちゃいたいかしら。それとも会社建てようかな。世界一周旅行も良いわね。宇宙旅行も夢じゃないわ。」
と五十歳ぐらいの家政婦長。

 この三月に、特進クラスのS組は、全員が初の東大合格者となった。昨年の卒業生のうち、一人が芥川賞を、もう一人が直木賞を大学一年目にして受賞したのだった。この分では、ノーベル文学賞や物理や化学、電子工学などの名誉博士号、ノーベル賞を取る者が現れるのではないか、宇宙船や人造人間、タイムマシンが開発されないかと校長も喜んだものだった。龍神様の御力ではあるかも知れないが、でもやっぱり毎月の犠牲者を考えると、気が気ではなく、心の底から喜べる者は誰一人いなかった。
 この三月、龍神の生けにえとなったのは、今年二年生に上がる少女だった。重い病気で一年弱も入院していた為、彼女一人皆と一緒には進級出来ず、学業もそこそこだったのに病気の為にもう一度二年生から出発だった。辛くて、何度も泣いていた。明るい良い子で、仲が良かった子も沢山いたのだ。でも幼少の頃から身体が弱かった。昨年は、これまでで一番重い病だった。
 清水寺が好きでよく行っていた彼女は、今こそ清水寺から飛び降りる思いになれるとふと思った。「ここは自分が参るべき。」と思い詰めた挙句の果てに、彼女は谷底へ飛び込んだ。彼女は、弱い子ではなかった。龍神様への捧げ物となりたかったのだろう。自分を、小さな幸福の女神であると確信を抱き、龍神様に我が身を捧ぐとしたのだ、と決心したのだ。そう皆が口々に話し合っていた。
でも龍神様さえいなければ、彼女はあんな所で死ななかった。彼女自身は無念の筈。でも無念ではないかも知れない。でもずっと一緒に遊んだり笑い合っていた仲だった私達としては、やっぱり永遠に無念だな、と皆言っていたのだ。でも彼女は自らあの道を選んだ。ここは思い切って身を張って玉砕したのだったと…………。
 この四月の犠牲者は、五代目のスケバンだった。ピンククロコダイル隊と言う、隣町まで仕切るスケバン連合の札付きの女番長だった。ライバルだったブラウンアリゲーター隊の番長に負けてしまった為、子分と別れた後は、目を虚ろにしたまま、「無念の敗北。北は、向こうか。(自分の通っている女子校の方角だ。)風が私を呼んでいる。」と呟きつつも歩いていると、いつの間にか龍神様の谷沿いまで辿り着いていた。この一カ月、風呂にも入らずに、筋トレをするなり、歴史や兵法の本を読み漁るなりしていた。シャワーは週に三度ぐらいは昼間浴びていたのだが、後は生の風と雨で洗うのみだったので、相当臭かったのだろう。下着は洗えども、愛用している白のルーズソックスは、一か月洗っていなかった。靴は、スニーカーも洗った事が無かったし、ローファーも、滅多にはアルコールで拭いたりはしていなかった。靴と靴下もとてつもなく臭かったのだろう。ただでさえ脂足であったのに、だ。それでも、ライバルの番長にはもう一歩のところで負けてしまったのだった。
「爬虫類の中でも、神なりし者は矢張り、龍。龍の存在を知らなかった頃は、鰐が爬虫類の中では一番偉いと思っていた…………。龍神と言う者が現れてからは、矢張り、鰐は龍より一段と下になりまする。龍神様、聞こえておりますでしょうか?」

「汝の身を、我に差し出せると言うのだな?」

「はい?ええ、何?あ、うわ、きゃああああああ!!い、嫌ああ…………!!」
 その時、突風が吹いた。
 『これが神風なの??』と女番長は尋ねるように囁いた。しかし、もうそこに彼女の姿は無い……彼女は、龍神様の餌食となったのだ。
 彼女は、不良の中ではまだそこそこ理知的な方であった。授業を受けるのが面倒臭かっただけで、いつもブラブラしていたのだろう。だが、結構読書好きで空想家だったのだ。歴史や兵法、戦争、料理などに関する本は、よく読んでいた。歴史と体育と家庭科の成績はなかなか良かった。それ以外はイマイチで、物理や英語などはカラッキシであったのだが。他の、顔ばかりが綺麗なチンピラの不良娘やコギャルとは違って、不良グループの中では一番頭はまだ良い方だった。弱い者苛めだって、するような子ではなかった。他のチンピラがしていたら、いつも「こら!やめろ!」と止めていた。性格は男勝りで、あれで不良なんかじゃなければ、などと思われたりもしていた。
 五月は、前科三十犯の、二年生の唯一筋金入りの万引き少女が龍神様の許へと飛び込んだ。初めて万引きで捕まって全速力で駆けて逃げ出し、行き着いたここが自由な世界だと思ったのだろう。
六月には、虫歯と歯周病と肥満に悩まされていたぐうたら女子高生が、「自分はこのままではもうすぐ、歯肉炎か激太りによる睡眠時無呼吸症候群か乳癌か何かの病気で、死ぬかも。今更、運動も勉強も、努力なんてしたくないし、望みは何も無いわね。敢えて龍神様を喜ばせちゃおうかな。うふふ。んもう!龍神様萌ええぇぇぇぇ~~!よね。ヤダァ!キャハ!」と独り言ではしゃいで、ルンルンとスキップしながら校舎を出た。すぐに渕の所の石ころに躓き、谷底へと真っ逆様だった。「ああ~れええ~~~~~~~っっ。」

「もう、マジ泣きそう。間違って特急に乗っちゃったからなあ。どうしよう、もう駅降りてこんな所まで来ちゃった……。」
 スーツを着た若い女が、坂道を上って来る。今年、都内のボーリング場に社員として勤め始めてから3ヶ月目になる。電車を間違えたせいで、初めて完全な遅刻になった為、今日はそのまま仕事を休もうかと考えていたところだった。
「龍神様がいるって本当かしら?そろそろ携帯からでも会社に休みますと連絡しようかな、と。でもどうしよう……あ、もう上り切るなぁ。谷川が見えるわ。そこは女子校なのね。…わあ凄い眺めね。」
坂を上り切ると、女は目を大きくした。パンプスではなくヒール付きサンダルを履いていた。
「何だか呑み込まれそうね。本当に食べられるんだったら、こうやって、このサンダルのヒールの一つぐらい自分で壊しちゃっても良いんじゃないかなと!えい!えい!なんて………。あ!」
崖っぷちで右足の踵(かかと)を地面に強く叩き付けていると、ヒールの踵が壊れてしまった。上流なので、下は硬い石になっていたのだ。
「壊れちゃった。やっぱり安物ね。……きゃっ!!」
その時だった。女は河に滑り落ちて、龍神の餌食となった。今回は外部の者だった。

「む、新たな味が出ておるな。外の者か。まあ良い。」

 八月。老婆が学校にやって来た。前の学校の校長先生だったとの事だった。癌が苦しいから私が犠牲になりましょうかと言う話をしに来たと言う事だった。
「本当に大丈夫なのですか?」
と今の校長は尋ねる。
「はい。」
「うう……む。」
「では……いざ参ります。」
老婆は杖を突きながらゆっくりと校長室を出て行った。裏門から出て崖へと向かった。両手を広げて老婆は言った。
「さあ、龍神様!この私をどうぞ今ここへ、捧げましょう!」
そのまま倒れ込むように河へ飛び込む。
 強い風の音だけが後に残った。

 九月には、この学校のある女性教師の妹が、ずっと鬱病で引き籠りだったと言う事で龍神の事を教えて貰い、ここへやって来た。彼女は死を覚悟して、「姉さん、皆さん、元気でね。」と呟いたまま、思い切ってここへ飛び込んだ。
 十月には、統合失調症(躁鬱病の改称)で毎日がしんどいと言っていた、内向的な女子生徒が、自ら龍神の元へと飛び込んだ。
 十一月には、伊集院と言う良家の娘が、「十八歳で初めて、ピアノの発表会で準優勝になってしまった。ずっと優勝で、二位以下になんかなった事ないのに。」と悔し涙を流してそのまま龍神の元へと向かったのだった。プロのピアニストを目指す伊集院家ではずっと「ナンバーツーとか準優勝はビリだ。ナンバーワンを目指せ。」と父親から教えられて来たのだった。龍神の生けにえとなる事は、彼女自身が決めたのだった。何も死ぬ事はないのではと家族はさぞショックを受けた事だろう。
 十二月には、見知らぬ少女が飛び込んで亡くなった。

 年が明けてからは、龍神は、「今年からは二人差し出せ。」と言って来た。
 学校側は、困ってチラシを貼り出すようになった。銀行強盗をしたギャング姉妹が、警察に追われつつ、学校へ向かってやって来た。追い詰められた二人は、そのまま飛び込み、龍神の餌食となった。
 二月には、交通事故で足が不自由になった少女と母親が尋ねて来た。悲しみのあまり、ここを訪ねて来たのだった。車椅子から降ろすように娘を抱(だ)き抱(かか)えると、崖から飛び降りたのだった。
三月、四月、五月と、色々な人がここを訪ねて来た。重病に悩まされていたこの学校の生徒が年末ジャンボを当てたり、プロ作家やミュージシャンとしてデビューしたり、卒業生ではプロテニスプレイヤーとなって活躍する者や、ノーベル化学賞を取る者まで出て来た。

 十二月に、暴走族が夜中に飛び込んだ。警察に追われていたのだ。
 次の四月には、龍神が眠りに就(つ)く事になった。
 次は何処に現れるか分からない。次は、貴方の町に現れるかも知れない……………………。


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