「吾輩は“蚊”である」(小説)


一日目

 吾輩は、蚊である。名前?そのようなものは、無い。まだ無い、と言うよりも。それは永遠に付けられる事は恐らくないであろう。いや、きっと、絶対と言って良い程にないのではないだろうか。飼われてもいない虫や動物には、基本、名前などと言うものは付けられない。名前の無いまま、一生を終える者が殆どではないか。しかし、まあ動物好きな人間が、近所の野良猫や地域猫に名前を付けたりする事はあるそうだが。それ以外は基本は無い。猫は猫、雀は雀、野良犬であれば、犬はやはり、犬なのだ。しかし、どうだろう。姓名判断士とかが、職業病として野生の鳥や魚を見る度についつい名前を付けてしまったりと言うのはもしかしたらあるかも知れない。職業病は、その職を辞さない限り、治すのは困難なものであろう。誰しも職業病はある。
 さておき。私は、蚊であり、れっきとした虫である。性別は、雄だ。雌とは違い、生物の血は吸わない。代わりに、樹液や、野菜や果実や植物の汁、木の葉のエキスなどを食用とする。そして日中は、小さな羽根でぶんぶんと空中を飛び回ったり、木や石、アスファルト、そして室内なら木製の机や椅子、暖かな絨毯の上などに止まって一休みをする。飛んでいても心地は良いが、香しい机に捕まるのもまた気持ちが良いものだ。食事の時は、果物があれば人間が誰も見ていないうちにその果汁を啜るし、木があればその樹液を啜る。台所とか言う場所では、湿った雑巾や台拭きなら、ほのかな牛乳または御茶、野菜のような匂いがする物があるので、そこで少し水分摂取をさせて頂く事もある。
 私が迷い込んだ小部屋は、民家の二階にあった。その部屋にあった物で先ず目に止まったものとは、観葉植物だった。勿論、日当たりの良い、小窓の前に置かれている。植物には水分や栄養があるから、ここなら当分、食物に困る事はないようだと一つ悟った。広い窓から入ったのだが、お洒落な桃色のカーテンが掛けられている。桃色とはまた、少し食欲をそそる色だな。そして、壁には何やら大きな、美男子の写真のポスターが飾られている。俳優?いや、歌手か。それよりも、腹が減って来た。幸い、今は誰もいない。観葉植物とやらの葉っぱのエキスでも頂くとしようか。
……。……うむ。なかなかうまい。苦みと甘みが混じって、寧ろ苦みが勝っているが、体には良さそうだ。取り敢えず、もう満腹だ。少し眠るとしようか。心地良さそうな、私にとっては巨大な、木製の机がある。そこの天辺の端っこが、明るいな。やはり今は、真昼だな。よし。そこで休もう。
 おや。どれぐらい眠っていたのか、窓から赤い西日が射している。もう夕方なのか。眠れば時間が経つのは早いものだな。
 む?物音がしたぞ。部屋の主が戻って来たのか。取り敢えず、電灯の裏に隠れて見よう。
「ふう。疲れた。」
 声は、高らかな女声だった。あれは独り言と言うものか。足音が近付いて来た。そして、ドアがついに開いた。
 身長は百五十センチ位だろうか。女の子だ。黒いスカートに、紺の長い靴下に、半袖の白い服。そして髪型だが、一本にして結ってある。三つ編みだ、これは、高校生だな。今、学校から帰って来たのか。その時、私は、壁とくっ付いている背の高い本棚の天辺まで移動し、様子を伺っていた。そう言えば、本棚には、色々な本が沢山置いてあるなあ。
「夏は暑いからやだな。すぐ汗かいちゃう。そして金曜日は、ブラウスも汗臭くなっちゃうし。秋とか冬が早く来ないかしら。そしたら、お洒落な黒いブレザーとか着られるのに。でも明日は金曜日だけど、終業式だから御昼までね。」
 あの白い服は、ブラウスと言うのか。女性が着る物がブラウスか。後、ブレザーって何だ?暖かな上着か。どんなのか見てみたかったが、冬には私はもうきっとここにはいないだろう。
「さて。早く宿題を片付けて、小説の続き読もうっと。」
 また、独り言だ。独り言が多いとは、まさか、友達が少ないのではあるまいな。いや、外の事まではまだ分からないし、決め付けは良くないな。独り言は、一つの単なる癖に過ぎないのかも知れない。それにしてもやはり、この部屋の本棚には、小説と言うものが沢山ある。どれも分厚い文庫本、そして少しは漫画もある。単行本だ。大きな文学全集も何冊かはある。もしかしてこの子は、「文学少女」か。独り言も多ければ、空想好きでもあるのかも知れない。三つ編みの子は大人しい印象だが、実際はどうなのか。
 私は、今日と言うか、今朝生まれたばかりなのである。この部屋を出たベランダに幾つか植木鉢があり、花が咲いている。その植木鉢の下の水受けには黒くなった水が溜まっていた。そこで私は、飛び立つ前は、ボウフラと言う幼虫として毎日過ごしていた。甘苦い汚水も、これがまた格別、美味ではあった。可笑しな味覚だと思うであろう。虫や微生物は、そう言うものなのだ。暫く、植木鉢の水受けが掃除されていなかったおかげで、吾輩が生まれ、蚊と言う成虫にまでなれたのだ。庭も眺めて見ると綺麗で木は何本かあり花壇もある。だが、下手に外にはいたくなかった。トカゲやヤモリ、蛙と言う天敵に喰われてしまったら御仕舞いだから、部屋の中へ避難してみた。そしてここはなかなか居心地が良さそうだ。心優しい少女なら、吾輩が下手に近付かなければ、はたかれたりする事も多分ないだろう。でも、そそうのないようにしなければならない。私は雄だから、人間の血はいらない。血液までは吸わない。よく血を吸う雌の蚊は、人間に叩き殺されたり、殺虫剤で毒殺されるそうだが……気の毒なものだ……。
 少女は、宿題を終えたのか、ノートや本を仕舞って鞄の中に片付けた。そして立ち上がった。上の服を脱ぎ始めた。そしてスカートも脱ぎ始めた。箪笥を開けると、青いショートパンツを取り出し、履いた。靴下は、脱がないのか。そして、クリーム色の英語の入ったTシャツを着た。宿題を終えてから、着替えをするとは、まるで、宿題終わるまでが、学校と言う事か。
「ええと、村上春樹の『海辺のカフカ』上巻、百二十八ページの、十章から、と。」
 また、独り言だ。さっききよりは小声だな。
 少女は黙々と、本を呼んでいる。夕食の時間まで読むのか。夏でも靴下は穿いているのか。いや、その日によるのかも知れない。
 一時間経った。時計の針は、6時を指している。そしてまた足音だ。そして誰か入って来た。
「美奈子。そろそろ御使い行って来てくれる?今日は、美奈子が行ってくれる日だったよね。御願いね。」
「うん。分かったわ。じゃあ御母さん、私、今から行くね。」
「うん。そう、美奈子。スニーカー穿くのなら、靴下穿いた方が良いわよ。水虫になるといけないからね。」
「うん。穿いてるよ。今日は御使いあると分かってたから。」
「ハイソックス、暑くないの?踝ソックスも、買えば良いのに。今度、買ってあげようか?」
「ううん。好きじゃないから、私はいいわ。友達はよく穿くけど。それにそう言うママだって、家では時々、夏も夏用ストッキングを穿いてるじゃない。」
「これは、足の裏に埃が付くからよ。それに、出掛ける時はやっぱりスカートなら素足ではみっともないしね。私、ズボンはあまり好きじゃないから。あ、そうそう。明日は終業式だったわね。二学期からは、国語以外の教科も頑張るのよ。まだ一年生だから十分間に合うけれど。」
「う、うん。」
 あれ、違ったか。今日は御使いの日か。御手伝いとは、偉いな。その為に靴下を穿いていたのか。成る程。言葉には出せないが、車とかには気を付けてな。吾輩のような虫でも、取り敢えず祈るぐらいの事は出来る。それにしても、夏休みの前からもう二学期の話か。随分と先を見たがる母親なのだな。ある程度はしっかりしていると言う事か。

   二日目

 正午近くだった。今日は少女が早く帰って来た。そう言えば、終業式とか言っていたな。明日からは、夏季休暇か。しっかり満喫すれば良かろう。高校一年生の頃は、遊び時であろう。
「ふう……。やっぱり夏休みは、宿題が多いなあ。」
そう言うと、美奈子と言う少女は、制服のままベッドに仰向けになった。そして瞳を閉じた。明日から休みだから安心したのか。昼食の前に、昼寝でもしようと言うのか。まあ、食後する寝るよりはまだ良いか。
 少女は眠っている。そして私は、今から食事そして水分摂取の時間だ。さて、何を頂くか。観葉植物の樹液や葉っぱのエキスもうまかったが、今日は新しい物が欲しいと考えた吾輩であった。
私の食べる物には水分が必ずあるから、寧ろ飲み物、いや御吸い物だ。少女は私に気付かぬまま、眠ってしまった。無邪気な可愛らしい寝顔だ。そうだ。人間の汗は、どんな味だろうか。吾輩は、少女の足元に回った。下手に耳元で音を立てて飛び回ると、目を覚ましてはたかれるかも知れない。蚊とかの、小さな虫の雄と雌の区別は一目見るぐらいでは付け難いのだから。少女は、昨日と同じ、紺色の長い靴下を穿いている。紺とか黒とかの色は、見ていると落ち着く。食欲もそそられる感じがする。靴下を穿いた少女の足の裏は、ほんの少し湿り気があった。この暑い日に靴下の上に靴を履くから、汗を搔いたのだろう。酸っぱい匂いがする。きっと靴と汗と埃が混じった匂いだ。恥ずかしい気もするが、右足の裏に私は止まり、少しだけ水分を啜った。酸っぱい味とは、これが初めてだ。確かに、これは酸っぱい味、そして匂いだ。
ああ、なかなかおいしかった。どこで休もうか。ん?まずい。少女が目を覚ます。ほんの三十分の昼寝だったのか。まあ寝過ぎても逆にしんどいだろう。それは分かる。
「ふああ………あ…。ちょっと寝ちゃったな。さて、下へ降りて御昼の御飯を食べようかしら。あ、その前に着替えようかな。靴下も脱ごうっと。」
 少女は、靴下を立ったまま脱ぎ始めた。そして、脱いだ靴下は、洗濯籠行きか。ん?何をやっているのか。少女は、靴下の爪先部分を鼻にあてがった。
「やだ、酸っぱい匂い。ちょっと臭いかも。ううーん。靴がローファーで洗えないからなあ。ローファーのニオイも付いてるな。まあいいわ。洗えば済む事ね。」
 ほほう、成る程。清らかな少女でも、一人自分の部屋にいる時は、色々と好きな事をするのだな。これが、プライベート、そして秘密、内緒事と言うものか。吾輩のような奴が覗き見をして申し訳無い。虫ならではの特権なのだろう。しかし人間が人間の秘密を覗き見すれば、罪にはなる。
 少女は、着替えるとまた本の続きを読み始めた。今日はハーフパンツに素足だ。足からは、また酸っぱいような匂いがする。いや、酸っぱいだけではない。豆が腐ったような匂い、かな。
「そうだ。私って、足汗を搔くとすぐ納豆臭くなるんだわ。ううーん。やっぱり何だかちょっと臭うかなあ。やっぱり、御風呂場へ行って足を洗って来よう。」
わざわざ独り言で説明してくれるのがまた良い。納豆とは?豆を腐らせた食べ物が、納豆か?そりゃ臭そうだ。少女には失礼した。それにしても、豆には水分が無い。強い匂いを放つ納豆には、水分があるのか?そして御味の方は?おいしいのか?
 日捲りカレンダーが机の横の壁に掛けてある。数字で、二十一?そして小さく、七月、と。今日は七月二十一日か。そうか。いやあ、やはり夏だな。
「はい、美奈子。りんご剥いたわよ。そっちのテーブルに置こうか?」
「うん。ありがとう。」
「読書も良いけど、宿題とかも忘れずにね。」
「分かってるよ。」
「美奈子、靴下穿かないなら、スリッパ履いたら?床にはダニとかノミがいるし、足には埃も付くでしょう?」
「大丈夫。気にしてないから。」
「そう。」
りんご?果物か。何やら、甘い香りがして来たぞ。さぞかしおいしいのではないか?
少女は読書に夢中、と思いきや、御皿のりんごを乗せた小さな低いテーブルの所へ来た。吾輩は、急いでカーテンの裏に隠れた。
「うん。三富士のりんごはやっぱり、固くて甘くて美味しい。」
少女は、三切れ食べるとまた勉強机に戻って再び本を読み始めた。一度に全部は食べないのか。確かにその方が楽しみも募るであろうな。分かる、分かる。では、これは吾輩にとってのチャンスでもあるか。事はうまく出来ているな。許せ、少女よ、吾輩もその、りんごと言う果実を味わってみたい。吾輩も食べた事が分からなければ、知らぬが仏、だ。蚊は、蠅ほどは、汚なくはない。カーテンや天井に触った手だが、それぐらいでは滅多に食中毒にはならないから安心して貰いたい。しかしこの言葉は空しく、少女の耳には届かない。
 おお!美味だ!こんな甘い物は初めてだ。そして人間が羨ましく思えたのはこれが初めてだ。喉も潤ったし、御腹も満腹だ。ありがとう、少女よ。そして、少女のお母様、ありがとう。それから、りんごを育てて下さった農家の方々にも、礼を言う。ありがとう。
 カーテンの裏で眠るとしよう。夜は、時々ヤモリとかと対面して怖いから夜は流石にここには来ないが。ヤモリは、家の守り神とか言われているが、我々、虫にとっては、とても怖い存在なのだ。猫も、人間にとっては可愛いだろうが、ネズミや小鳥にとっては、怖いものだろう。

三日目

 朝だ。今日は雨が降っている。時計は十時を指している。九時半頃に起きた少女は、朝食を終えて戻って来ると、数枚のプリントを取り出した。夏休みの宿題を始めた。午前中に宿題をして、午後からはゆっくりするのか。でも雨だから読書日和になる。いや、この少女にとっては、ほぼ毎日が読書日和だろうか。でも勉強が好きな訳ではないようで、時々、合間で携帯をいじったり上を向いたり溜息をついたりしている。
正午になった。今日の分の宿題を終えたらしい少女は、一階まで昼食を食べに行く。台所で食べているのだろうか。まあ吾輩にとってはそんな事は別にどうでも良い事だ。ん?何か、ピンポーンと鳴ったぞ。誰か来たのか。
少女は、部屋に戻って来るついでに、白い小箱と、茶色い袋を持って来ていた。先程、宅配便でも来たのか。先ずは、箱を開けた。
履き物か?白いハイヒール?次は、袋を開けた。ストッキングか。
「やった。丁度良いタイミングだったわ。明日が皆で街まで出掛ける日だから。明日はこの、夏用のベージュ色のストッキングと、白いハイヒールで決まりね。三日で届いて良かった。」
 そうか。少女は背が余りにも低いから、時に背を高く見せてみたいと言う思いがあったか。そして、ストッキングは恐らく、靴ずれしないように穿くのだな。言っておくが、蚊とかはストッキングを突き通して血を吸うから、ストッキングは虫除けにはならぬぞ。少女よ。雌の蚊にはくれぐれも気を付けたまえ。この部屋には虫除けスプレーは見当たらない。流石にこの部屋で虫除けスプレーをされては臭くて吾輩は堪らんが、薬箱や棚に虫除けスプレーがあるのなら、まあ全身と言うか露出する部分には、スプレーをして出掛ける事をお勧めする。
 少女は、クローゼットを開けた。明日、着る服をもう選んでいるのか。試着するなら、夜、入浴後にする方が良いのでは?早速、服を脱い黄色いワンピースを試着し始めた。夏だけに眩しい色だな。
「ううーん。黄色も良いけど、やっぱりクリーム色かな。薄い桃色も着て見ようかな。あ、青も良いかも。」
どうやらワンピースに拘っているようだ。明日は、高確率でワンピースを着て行くと見える。色に悩んでいるのか。吾輩なら、涼やかな青か水色をお勧めするが、吾輩は蚊なので直接少女に伝える事は出来ない。それより、日中なら、汗を少し搔いているのだから、汗の匂いが服に映らないのか?もっと頭を使いたまえ、少女よ。感受性が豊かならやはり論理的思考は苦手な傾向にあるのだろうか。
「やっぱり、折角、足が綺麗に見えるストッキング穿くんなら、ブラウスと、下はショートパンツにしようかな。」
ほほう、そう来たか。暫く時掛けてワンピースを選んでいたのに、まさかそう来るとは。って、まるで吾輩は、勝負真っ最中の、棋士かよ…………。
 少女は、ラジオを聴き始めた。天気予報に寄れば、明日は晴れるらしい。晴れれば良いね。
 それにしても、先程頂いた、りんごは非常においしかったな。こう雨の日だと湿気があるから、りんごの匂いが微かに室内に広がっているようだ。まだ、りんごの甘い匂いがする。そして観葉植物に近付けばして来る、葉っぱや土の匂いもまた素敵だ。雨の日も、良いかも知れぬ。
 夕刻だ。まだ少しずつ雨は降っている。少女は、文学全集を広げている。確か、前に読んでいた本もまだ途中だったと思うが、一冊読み終えてから次のを読む訳でなく、並行して幾つかを読むのか。色々な考えや思惑を持った人間がいるものだな。
 何々?夏目漱石全集?
「吾輩は猫である…。名前はまだ無い…。(猫がこんな事を考える筈も無いけど、でもそれが何だか面白そう。)」
 少女は、初めの辺りの文だけ少し朗読し、後は黙読で読み始めた。
 猫、か。人間にとっては可愛いだろうが、我々、虫にとっては、ちょっと怖いかも知れぬ。動くものを見ると興味を持って捕まえようとするからな、猫は。

   四日目

 午前十一時頃だ。少女は、結局は、水色のワンピースを着ていた。そして、夏用の薄いベージュストッキングを穿いている。清涼感が感じられなくもない。もう出掛ける時間か。鏡の前ではもう一度、髪をといている。バッグを片手に、少女は部屋を出た。本日は快晴のようだ。昨日、あれだけ雨が降っただけの事はある。昼食は、今日は友達と外で食べるのだな。楽しんで来なさい、少女よ。
 いつも独り言を言う少女がいなくなってから、部屋中は静寂に包まれた。しかし、外からはセミの鳴き声が聞こえて来る。だから静かな訳では決してない。
 今朝、ペットボトルのオレンジジュースを飲みながら宿題をしていた少女は、絨毯の上に少しだけジュースを零してしまったのだった。それでもドライヤーは使わず、軽くティッシュで拭き取っただけだった。今もまだ少し湿っている。そのおかげで、吾輩は、今からオレンジジュースにありつけるのだ。乾く前に、吾輩が少しだけ頂くとしよう。
 うう、甘酸っぱいな。この間食べたりんごよりは、オレンジだからやはり酸っぱい。でも甘い。これもとてもおいしいではないか。御馳走様。
 少女が帰るのは、多分、夕方か夜だ。それまでの間、オレンジの香りがする絨毯の上で休ませて貰うとしよう。では、今から早速、吾輩は御昼寝をする。御休み。
 昼過ぎの事。ふと、物音で目が覚めた。入って来たのはやはり、少女の母親だった。
「偶には、美奈子の御部屋の埃でも払おうかしら。ついでに掃除機もかけようかな。」
何?掃除?成る程。掃除機で吸い込まれたら吾輩は一巻の終わりだ。それに、埃も払うと?なら、本棚の上も机の天辺も、窓際もきっと危険だ。天井に避難しよう。
 早く、掃除、終わらないかな。
「やだ。私のストッキング、伝線してる。」
 すると少女の母親は、ベージュのストッキングを脱いでゴミ箱に入れると、大きなビニール袋の中へ、そのゴミ箱の中のゴミを回収し始めた。
 早く、掃除終わってくれないかな。……ふう。やっと、母親は部屋を出て行ってくれたか。安心した。もう一度、あのジュースが零れた絨毯の所へ行こう。夕方まではまだ時間はある。
 見ると母親は、セミロングの髪型だった。少女とは顔立ちはまあまあ似ているようだが髪型は違う。結構、美人の部類に入る奥さんなのかも知れない。少女は、学校ではそんなに目立ってそうなイメージはしないが、果たしてどれぐらいモテているのだろうか?
 夕方六時半頃だった。少女が帰って来た。そしてストッキングを脱いで床に置く。ハイヒールもストッキングも新品だったから、この間の靴下みたいに、そんなに臭くなってはいなかった。でも今度は、フルーツが少し傷んだような酸っぱい匂いが少しだけする。
「ううーん、やっぱりハイヒールはちょっと足が痛いなあ。ストッキングって、思ったより蒸れるのね。ああ言うのを毎日穿いたりしてるOLさんって、結構大変なのかも。OLになるのはやっぱり考え直そうかなあ。(でも、作家デビュー出来るまではやっぱり何処かで働かないとね。)」
 少女はベッドに座ると汗ばんだ足の指をグーパー、グーパーと開いたり閉じたりして動かしている。
 その夜だった。パジャマ姿の少女は、今度はノートパソコンで何かを書いている。小説と言う物を書いているようだ。その横には、「文学○○賞募集!」とか、宛先が記されたプリントがあった。印刷機があるから、インターネットで調べてその応要項のページを印刷していたのだろう。成る程。どうやら、少女は小説家デビューを目指しているようだ。少女よ、大志を抱け!そして、夢に向かって頑張るが良い。
 すると、途端に少女の携帯電話が鳴った。少女は電話に出る。
「はい。もしもし。……あ、洋子。久し振り。」
久し振りと言う事は、学校の友達からの電話ではないようだ。
「中学以来ね。で、そっちの高校はどう?…え?うち?うん。まあまあかな。」
中学時代の友達か。
「そう。私は自転車で三十分ぐらいの所よ。……電車通学かあ、それも楽しそうね。」
「…あ、そうなんだ。吉本ばななさんが好きなんだぁ。私は、村上春樹さんが好きで、もう半分は読んだな。その内、全部読むかも。吉本ばななさんは、『キッチン』と『ツグミ』なら読んだよ。うん。面白かった。」
ほう。本の話か。もしや、文学少女同士だったりするのか?いや、そこまでは分からない。理系の人間で小説が好きな者も中にはいるので決め付けは出来ない。
「最近、気に入った漫画?読んでる漫画では、『よつばと!』かな。『苺ましまろ』は大好きで、アニメもコミックも全部見てるよ。でもあれ、作者さんが遅筆で、休載が多いのが少し残念かな。うん。…ああ、昔の漫画?『妖怪人間べム』なら、アニメをレンタルして全部観たよ。あれも面白かった。少し前の漫画なら『地獄少女』が嵌まったかなあ。うん。うん。」
 おいおい。長電話になりはしないか?パソコンの電源は入れっぱなしだね。パソコンは結構、沢山電気代がかかるそうだが大丈夫だろうか?まあ吾輩にはどうでも良い事だが……。
「私が好きな映画は、そうねえ。クロコダイルとか、ジュラシックパークかな。映画は、モンスターパニック系を、前からよく観るよ。あ、アニメ映画なら、宮崎駿さんのジブリが好きかな。『猫の恩返し』が一番好き。次に『千と千尋の神隠し』とか『耳をすませば』かな。洋子は?…成る程。『ハウルの動く城』ね。あれもなかなか好きだったよ。『魔女の宅急便』とか『天空の城ラピュタ』も良かったよね。私は好き。……あ、洋子も好き?そうなんだ。ふんふん。」
本、漫画、次が映画の話か。まあ、普通はそう来そうだな。
「うん。うちの学校は、靴下は紺と決まってるよ。え?そっちは、白ハイソか、白のルーズソックスなの?今時ルーズソックスがOKの高校あるんだ。そりゃ日本だって広いから、やっぱりあるよね?でも、ルーズソックスって、蒸れない?……えっ!?洋子、脂足なの!?それでも試しに穿いてみたの?ルーズソックス。あらあ、それは、足も臭くなるよね。私でも、夏場に紺のハイソックス一日履けば蒸れるぐらいだもの。水虫とかにならないように、気を付けてね。」
夏場に分厚い靴下は、確かに水虫が出来る恐れがある。水虫の菌は、しぶといそうだから注意した方が良いぞ。
「へえ。学校の指定靴が、女子のローファーはストラップ付いてるんだ。お洒落ね。私の所は、普通のローファーまたはスニーカーだよ。偶にスニーカーも穿くけど、どつらかと言うと、私も学校行く時はローファー派かな。スニーカーより蒸れないし。」
「洋子は、歴史とか得意なんだね。いいなあ。私は、歴史、根が手。年号とか覚えるのが、大変だもの。私の御父さんは、国語の先生だから。そう。古典じゃなくて、現代文の先生よ。私が小さい頃から私にもよく本を読んでくれてたの。良い本も沢山教えてくれたあ。それで私、本を好きになっちゃって。……え?ううん。御父さんは、私が行く高校とはまた別の、市外の高校に勤めてるの。」
ほほう。少女の父親は、国語教師なのか。それは文学少女に育つ訳だ。それよりも、電気代は大丈夫か?長電話なら、一度パソコンの電源を切っては如何かと。
「あ、御免ね。ちょっと長電話になってしまったね。そう。元気でね。またいつか会おうね。じゃあね、洋子。うん。御休み。じゃ。」
 通話は、終わったか。友達は少ない訳では無さそうだ。吾輩自身も少し安心したような。

   五日目

 この日、正午を過ぎても、少女は蒲団から出て来なかった。無理も無い。真夜中過ぎまでパソコンで小説を書いていたのだから。
「美奈子。もう御昼よ。起きて御飯食べなさい。夏休みだからってだらだらしてたら、癖になると、二学期に学校行くのがしんどくなるわよ。」
「ふわぁい。」
あくびと同時に返事をしているな。
「昨日、夜更かし、したんでしょう。」
「ごめんなさい。」
「レトルトのカレーとかがあるから、自分で温めて食べてね。それからおやつは、昨日買った苺のショートケーキがあるから。」
「はぁい。」
 母親が出て行くと、少女は着替え始める。今日は、桃色のTシャツに、水色のショートパンツ、そして紺色の膝までのハイソックスか。それはいつも学校に穿いて行く靴下ではないのか。勿体無くはないのだろうか。まあ色々な雰囲気を味わってみたくなるものだろうな。それに、よく見ると色褪せている。一番古い靴下なのか?それなら、穿き古してしまおうと、そして二学期までに新しいのを買おうと言う考えなのだろうか。
 そして少女は、部屋を出た。食事に行ったのだろう。それにしても、吾輩のような、体の小さい生き物にとって、人間はやはり、巨体である。しかし巨人ではない。が、吾輩のような虫にとってはやはり、巨人なのだ。そして、動きが何だかスローに見えてしまう。早歩きしていても、遅く見えるな。何故なのか?また、ヤモリやトカゲや蛙なども、吾輩よるは何倍も大きいから、巨人みたいなものだ。いや、恐怖の巨大生物だ。
ではそろそろ、吾輩も食事の時間だ。観葉植物は、まだ元気のようだな。葉っぱのエキスをまた頂くとしよう。……うん、うまい!この間食べた、りんごは絶品であったが、これも悪くないな。吾輩の満腹は、人間にとってはほんの僅かな、雀の涙ぐらいの足しなのだろう。だからちょっとやそっとの事で、植物は枯れたりはしない。そして植物も、毎日水や肥料と言う物を与えられている。そして吾輩は、その植物から少し栄養を貰う。これは食物連鎖と言う。ヤモリやトカゲや蛙は、吾輩のような蚊とかを狙う。吾輩は下手に外出すると危険だ。やはり、ここが良い。今の吾輩にとっては、最高の居場所だと思う。
少女は、戻って来ると、宿題を始めた。ボサボサだった髪は、綺麗に三つ編みに整っている。今日は、少女は出掛けるのか?出掛けない日でも髪型はわざわざ三つ編みか?やはり三つ編みが好きなのだろうか?
「ううーん、やっぱり難しいなあ…。」
 少女が広げているのは、数学の問題集だ。文学少女だから、やはり数学とかは苦手そうだな。普通は情緒的だと、論理的思考が苦手な傾向にあるものだ。
 頭脳と情緒は、両立が困難らしい。脳で、論理を司る箇所は、情緒や感受性を排除し、そして情緒は、論理を排除する。だから料率はしないのだ。親や学校の先生が「賢い人になりなさい。」と「強い心を持ちましょう。」は、やはり矛盾しているが、これは無理だから言わないのでなく、無理を承知で言っているのだ。
 しかし、論理的思考が出来るからと言って賢いとか言うのとはまた違うと吾輩は思う。頭脳が良いからそればかりが賢いと言うのではない。他に、理性や人間性、素直な気持ちや優しい心なども、人間には必要なのだから、きちんとそれらを持ち合わせて世間や人間関係の荒波を乗り越えて行けるのが本当の賢さになりはしまいか。
 しかし凡人の集まりなら、何でも取り揃えている者は少ないだろうか。そして、賢いからと言って、必ず得するとも限らない。天運などもあるのだから。人間には生まれつき、九十パーセントの運命は決められているそうだ。それで、残りの十パーセントをどうして行くかが重要なのである。
 少女が次に広げたのは、国語の問題集だった。スラスラと解いて行く。さすがは文学少女だ。漢字も得意なようで、初めの辺りは教科書も辞書も見ずに書いている。
 次は、英語だ。さすがに英語では、辞書も使っているな。外国語の勉強は、母国語でない言葉の学習なので、また一から単語を覚えて、日本語とは違う文体を覚えなくてはならない。大変だろう。小説家をしながら、翻訳家もしている者はかなりの努力家であろう。しかしそこまで行ける人間は、ほんの一握り、いや、一握りの中の、一つまみであろう。
 さて。宿題はもう今日の分は終わりか。二時間、御疲れ様だったな。少女よ。そして少女はまた部屋を出た。時計は三時を回っている。そして戻って来ると、何かを御皿に乗せて持って来た。おやつか。白くて、三角の形をしている。上に乗っている赤いのは何だ?そう言えば確か、今日はおやつが苺のショートケーキと言っていたな。苺と言うのか?瑞々しそうだ。苺と言う、果物だな。苺は、どんな味がするのだろうか?吾輩も食べてみたいが、今回は難しそうだ。少女が全部食べるだろう。少女は少し笑顔だ。やはりおやつのケーキがさぞ楽しみだったのだろう。
「甘い。おいしい。」
 少女はケーキを平らげ後、苺に付いていた緑のヘタを取り、それをごみ箱に捨てた。少女は空になった御皿とフォークを片付けに、また部屋を出た。
 その時、吾輩は、しめたと思った!苺のヘタが、この部屋のごみ箱に捨てられた?では、吾輩は、そのヘタぐらいなら頂けると言う事ではないか。これはまたも感謝するぞ、少女よ。吾輩は、早速、ごみ箱の中へ潜った。確かに、ぽつんとヘタが捨てられている。これもなかなか新鮮であるだけ瑞々しそうではないか。では頂こう。あの観葉植物の葉っぱや草だけでは飽きてしまうから、他の草はどんな味か気になっていたのだ。
 うむ。観葉植物とはまた違う味あな、苺のヘタは。お!またも吾輩は、しめたと思ったのが、ヘタに少々、苺の欠片がくっくいているお、この吾輩もあの苺の実が、ついに頂けると言うのか!嬉しいぞ。僅かながらも、吾輩いとっては大そうな量になる。では頂こう。ゆっくり味わうとしよう。……おお、甘い!そして酸っぱくもある!まるで、少女の味だ。いや、それは何ぞや?可愛い少女の味は、甘いばかりではなく酸っぱくもある。可愛くて素直かと思いきや、やはり人間だから愚痴も零すし、毒舌の一つや二つは吐く。少女だけではなく人間の甘酸っぱさ、また甘苦さがそれであろう。後、辛い味とは?吾輩はまだ味わった事がない。しかし下手に何でも味わうと、吾輩の場合は命に関わるかも知れない。殺虫剤は、極悪の苦さ、または辛さではないのか。幸い、この部屋には殺虫剤が見当たらない。それにしても、苺はうまかったな。あれぐらいの甘酸っぱさが、良かったよ。うん。
そして少女は、ストレッチを少し行なった後、ごろんとベッドに横になった。御昼寝の時間か。しっかり眠って体調を整えるが良い。少女よ。しかし眠り過ぎには注意、注意だ。今日は、苺も貰ったから、甘酸っぱい少女の汗は、別にいらない。そもそも、今日は足の裏がそう湿っている様子はない。そして部屋は軽く冷房を入れられており、涼しい。いやしかしこの冷房の風は、吾輩には少しきついかも知れない。カーテンの裏で、少し温まるとしようか。おお、日差しが強い。寒さに震えている者ほど、太陽の温かさを知るのだな。そして今日もうまい物を御賞味するチャンスを得られたのだ。やはり、チャンスは誰にでもやって来る。ただそれを、掴めるかどうかなのだ。少女も、作家を目指しているのなら、頑張るばかりでなく、要領良くチャンスも掴むと良い。

   六日目

 昨日は、御馳走様でした。今日も何か出るのか?いや、期待はしないでおこう。下手に期待すると、期待通りにならなかった時のショックと言うかダメージは、大きくなる。
 そう言えば昨日、少女は電話で何か友達と話していたな。うちへ来る?とか何とか言っていた。高校の同級生らしかったな。家へ呼ぶのか?
 今日は、少女は十時過ぎに起きて昼まで宿題をしていた。最低でも一日二時間はしているが、夏休みの宿題とやらは、一体どれぐらいの量なのだ?夏休みは長いからその分、やはり宿題や課題などは多いのか?
今は、午後一時だ。これは玄関のインターホンの音か。誰か来たな。少女は小走りで部屋を出た。
案の定だ。若い少女同士の話声がする。やはり、少女の友達だった。少女は友達連れて部屋へ戻って来た。友達は少女より身長が、十センチは高い。それでも、高校の同級生のようだ。そして、セミロングだ。黒いTシャツに、青いショートパンツに、黒い踝ソックスだ。
「祥子、ここが私の部屋よ。」
「わあ、美奈子の部屋って、初めてだわ。なかなかお洒落ね。」
「ありがとう。何か飲み物持って来るね。何がいい?フルーツジュースあるけど、他には紅茶やコーヒーがあるわ。」
「あ、そしたら、私、紅茶でいいわ。ありがと。」
「うん。じゃあ、今から用意して、持って来るね。紅茶にお砂糖は?角砂糖があるんだけど。」
「じゃあ、角砂糖は一個でいいわ。」
「分かった。」
そして少女は紅茶を用意しに、再び部屋を出た。この家の少女は女の子らしいが、今日呼ばれた友達は、如何なものか?女の子らしいと言うよりは、“女性らしい”印象だ。いや、どうだろう?サバサバしてしっかりしているなら、“男性らしい”とも言うかも知れない。趣味とか特技とかはまだ聞いてはいないから分からない。男性的な性格でも、料理や裁縫が得意な女性もいない事はないであろうから。
「御待たせ。」
「あ、ありがとう。あれ?美奈子は何も飲まないの?」
「あ、私、さっき、飲んだから。御昼御飯の後、買い置きしていた、午後の紅茶をね。」
「そう。」
「正午過ぎてすぐだから、まあギリギリ午後に、御五の紅茶飲んだの。ふふ。」
「あら、学校では大人しい美奈子なのに、面白い事言うのね。」
「午後の紅茶って、あれはやっぱりジュースの部類に入るのかな?」
「さあ、どうかな。甘いから、まあジュースなんじゃない?でもコーヒー牛乳とか缶コーヒーは、あまりジュースとは言わないけどね。」
「だよね。ふふ。」
「それにしても本がいっぱいね。やっぱり美奈子は文学少女ね。前に学校で読んでた本もそこにあるね。売ったりはしないの?」
「うん。いつか読み返してみたいと思う物もあるから、あまり売らないかな。」
「そう。私は、この間、赤川次郎の小説二十冊、他、色々なコミック五十冊、ブックオフで売ったわよ。理科系やスポーツの本はあまり売らないんだけどね。」
「祥子って、凄いな。成績優秀でスポーツも出来るし。私は、理系の科目とかスポーツはまるで駄目だから……。」
「美奈子は、頑張って作家とか目指しなよ。あんまり色んな事をするとそれが寄り道になって大成しなくなるわよ。」
「祥子は、将来何かしたい事は?」
「私?親からは頑張って国立大学入れとか、一流企業また出来たら、公務員になれとか言うけど、まだ分からないな。でも大学は行きたいね。スチュワーデスや翻訳家、外交官にも興味あるし。私は私で迷ってるよ。あ、進路の話なんてこの時点ではまだ早いよね。高校に入ったばかりだし。」
「うん。そうね。」
「あ、美奈子、赤毛のアンも読むんだ。美奈子らしいね。面白かったでしょ。」
「うん。とても面白かった。大好きだった。」
「私は中学の時、読んだわ。小さい頃に、世界名作劇場のアニメで観てたけどね。少女アンが、キルバードに、赤い髪を掴まれて『にんじん、にんじん。』と言ってからかうと、アンがブチ切れてさ、アニメではあれがなかなか一番迫力あるシーンだったな。勉強に使う小さな黒板でキルバートの頭を叩いて、板が割れてさ。」
「うん。私もそれ観て、あれはびっくりしたな。私なんて、下半身がぽっちゃりしてるから、男子から『大根、大根。』ってからかわれた事があるの。でも、何も言い返さなかった。」
「美奈子らしいね。怒らなきゃいけない時は、怒った方がいいよ。で、そいつも赤毛のアン、知ってたのね。粗野なのに?」
「うん。その男子は、国語や社会や理科、スポーツは出来る男子で成績は良く、読書や将棋やスポーツ出来てまあ顔もハンサムだったけど、あんな事を言う男子を、私は好きになれなかったから。」
「そうなんだ。デリカシーがないのは駄目ね。勉強とスポーツが出来たらそれで良いなんて考えは間違いね。デリカシーも無くちゃ。中学の時は、大抵の学校では、白いソックスだよね。白いハイソックスや、白いタイツは、足をより太く見えてしまうそうだから、私、秋とか冬とかには、時々、サポート用の肌色ストッキングを穿く事があったのよ。足を細く見せる為にもなったから。でも、体育の後は蒸れて、足が臭くなっちゃった。あはは。美奈子も冬に穿いてみたら?」
「あ、私、足が少々太いのは気にしてないから。いつも座って本読むから下半身太りするんだと御母さんに言われた事あるけど。」
「成る程ね。それより、美奈子は、やっぱり髪は黒いね。私は夏休みに入ってから少しだけ茶色に染めたの。ほら。」
「ふうん。」
「それより美奈子が一番好きなテレビゲームって何?」
「キングダムハーツ。」
「ああ、あれね。私も好きだったよ。ディズニーとファイナルファンタジーのキャラクターが出て来る、アクションRPGよね。良かったよね、あれ。」
「うん。弾き込まれるような臨場感が良かった。」
「でしょう!あの世界観、私も好きだったなあ!私的には、最高の神ゲーだと思ったわよ。あれで、ディズニーやファイナルファンタジーを好きになる人もきっといるでしょうね。美奈子は、ディズニーとかファイナルファンタジーは、好き?」
「うん。ディズニー映画なら、シンデレラや白雪姫、ライオンキングの他に、不思議の国のアリスを観て気に入って、不思議の国のアリスは、原作も読んだわ。でも、ファイナルファンタジーはあまり知らなくて、まだした事ないな。」
「ライオンキングも感動したよね。ファイナルファンタジー8はやった事無い?私は、キングダムハーツの後に、中古を買ってプレイしたんだけど、スコール・レオンハートは、やっぱり格好良かったわね。美奈子もそう思わない?」
「うん。思う。」
「でもね、スコールって、格好良くて実力あるけど、非社交的で物静かでしょ。初めは何を考えているか分からなかったわ。でも、その人の性格や思惑は色々ね。」
「うん。そうだね。」
「スコールの考えでは、あれは一つの自己防衛ね、きっと。出会いがあれば別れもまたあるし、仲間が出来ても離れて孤独になるとまたその時のダメージが大きいから、ならずっと孤独で良い、だなんて考えてるとか、ネットの掲示板で話した事があったわ。でも、孤独って、寂しいよね。でもファイナルファンタジー8ではスコールは、最後にはその性格を何とか克服させる事が出来て良かったわ。でも……。」
「でも?」
「ファイナルファンタジーは、確かに、内容が深くて色々な事を学べたけど、私としては、やっぱり美奈子には御勧め出来ないかな。私も、キングダムハーツは大好きだけど、あんまりファイナルファンタジー8自体は、あまり面白くなかったのよ。」
「そう。でもどうして?」
「うん。あのね、その、主人公達は、兵士養成学校の生徒だったから。そのシチュエーションが、私も、まあちょっと嫌だったの。根暗と言うか、じめじめしてると言うか。」
「そう。私も、兵士とか、戦争とかはちょっと。」
「だよね。やっぱりそうでしょ。戦争とかは嫌よね。私も、社会科は、メディアや人間科学とか世界遺産とかは好きだけど、戦争や政治、外交とかがからむとやっぱり苦手なの。でも深くて難解な内容だったファイナルファンタジー8は、それなりに色々学べるとは思う。でも、美奈子は、ほのぼのとした小説書きそうだから、美奈子には御勧め出来ない。」
「うん。色々ありがとう。ほのぼのとしたものの他には、まあ、怪奇小説ぐらいなら書くよ。それはちょっと現実性が無いけど。」
「現実性のあるホラーは、苦手?私も、続けて見るのは苦手よ。でも、モンスターパニック映画なら、鮫とか鰐が出て来るものとかの現実性ある方がスリルや迫力があって好きなんだけどね。人間の心って、複雑なものね。」
「そうね。ごめん。祥子のトーク、私には何だか論理的でしっかりしてて、ついていけないところもあるかも。」
「そうなんだ。それはごめんね。」
「ううん。でもいいの。」
 ここで漸く、吾輩の出番だ。少し御無沙汰したな。友達の御蔭で、二人してなかなか知的なトークになっているではないか。少なくとも吾輩はそう考えるぞ。
「ねえ、美奈子、それより宿題は進んでる?」
「うん。後、半分ぐらい。祥子は終わったの?」
「半分も残ってるんだ。頑張ってね。私は、三日もあれば終わらせちゃった。」
「三日?やっぱり、美奈子、凄いな。」
 んん?何故、一見チャラチャラしたような、あのような者の頭が良くて、運動神経も良くて、性格もしっかり者なのか?天が与えるパラメータ配分とやらは随分と、適当なものではないのか?そして、不公平に思えるが……。
「美奈子、テレビゲームあるじゃない?プレイステーション2と、スーパーファミコンね。普通のファミリーコンピューターもあるんだ。古いけど、私は好きで、今でも偶にやるわ。何かしない?あ、ドクターマリオもマリオカートも、ぷよぷよもある。」
「うん。でもドクターマリオやぷよぷよは、ちょっと苦手だったから全部クリアは出来てないんだ。」
「そう。私は、スーファミのぷよぷよは全部クリアしたわ。ドクターマリオは、第二十五エリアまでは行けたけどね。」
「凄い。」
「じゃあマリオカートでもする?」
「うん。」
 二人の少女は、テレビゲームを始めたか。アクションゲームか。いや、レースゲームだな。吾輩には、あの映像そしてあの動きは、流石に目が痛過ぎる。失礼する。ちょっと、観葉植物の緑の葉っぱでも眺めさせて貰う。緑をみるのはやっぱり、目の薬にもなるからな。
「あら、もう五時ね。ごめん。美奈子。今日の夕食、私が材料を買って料理する事になってるから、今日は早く帰るね。」
「そうなんだ。分かった。」
「久し振りにするととてつもなく面白かったわ。マリオカート。」
「うん。私も。」
「今日はありがとうね。また遊びに来るね。今度はどこか行こうか。じゃあね、バイバイ、美奈子。」
「うん。バイバイ、祥子。気を付けて帰ってね。」
「うん。それじゃ。」
 少女の友達は、帰って行った。友人が帰ると、少女は部屋の片付けを始めた。紅茶のティーバックとレモンを、ごみ箱に捨てた。一応は生ごみなら、台所の流し台とかにある生ごみ入れに捨てたほうが良くないか?吾輩のような虫が来ても知らぬぞ。吾輩のような蚊よりもずっと不潔な、蠅とかが来たら、衛生上、悪いと思うが良いのだろうか。吾輩も、この家に入る前に、蠅は見た事あるが、近くに寄るととても臭かったな。
 さて、少女が紅茶のティーカップとかを片付けに行っている間にでも、吾輩は、ティーバックとレモンを頂くとしようか。
 ごみ箱の中は、内壁がそこそこ爽やかな匂いがするな。みかんの匂いもするが、以前はみかんの皮も捨てられていた事があると見た。オレンジと匂いが似ているなら、味もきっと似ているな。このごみ箱の中は、それ程、不潔ではないようだ。ティッシュや広告、雨の袋などが何枚か捨てられているぐらいだ。
 酸っぱ過ぎた!レモンの汁はやはり刺激が強過ぎる!こりゃあ人間も、あまり普通に食べる事はしない訳だ。吾輩でもあまり食えない。いや、飲めない。だが、紅茶のティーバッグは、砂糖が入っていただけに、少し甘い。そして、もう一つの味。ほろ苦い。いや、もう一つの味があった。レモンが入っていたから酸っぱい。いやいや、更にもう一つだ。渋い味か。それにしても、レモンの紅茶は、やっぱり爽やかな匂いと味だ。社会に出れば、紅茶みたいな味を出した、即ち、そんな性格の人間もいたりするだろう。殺虫剤みたいな人間だと、前にラジオで聞いた、刑務所とか言う所に捕えられるのだろう。この表現は、虫である吾輩ならではの表現だ。

   七日目

 今日、少女は、新しく買ったらしいレコードから流れている音楽を聴きながら宿題をしている。ケースには、モーツァルト、集中力アップとか書かれている。この音楽聴きながらだと集中力が上がるのか。それは成る程。誰から聞いたのか?パソコン?インターネット?本?雑誌?新聞?それとも、この間遊びに来ていた、あの友人か?まあ何でも良いが。
 その後、今度は、想像力アップと書かれたモーツァルトを聴きつつ、小説を読んでいる。そして曲は、約一時間で止まる。そして、また一から掛け直している。何度でも聴くとより効果がありそうだな。
次に、脳力アップと書かれたのを聴きながら、パソコンで小説を書き始めた。うまくやっているようだな。頑張るが良い。少女よ。青春を謳歌せよ。勉強も遊びも食事も同じぐらい大事なものだ。
 そしておやつの時間らしい。今は、午後の三時頃だな。またモーツァルトのCDのようだ。「RELAX」と書いた音楽を聴きながら、おやつのドーナツを食べながら紅茶を啜ったり、漫画を読んだり、絨毯の上に寝転がったりして、寛いでいる。絨毯にはダニやノミがあるから、ベッドの上が良いと思うぞ。ベッドの敷き布団の上でさえ、手入れをしないと多少はまあ、ノミやダニが湧くのだが。
 夕食の時間らしく、少女は部屋を出て行く。レコードが掛けっ放しだが、良いのか?電気代は勿体無くは無いか?そう思った矢先、吾輩はCDケースを眺めた?おや?今度は、モーツァルトではないようだ。アルファ波とか書かれているな。部屋を綺麗に掃除して、これを掛けましょう、すると場が浄化され、運やツキがやって来ます?と?成る程。ジンクスみたいなものにも思えるが、アルファ波は脳に良い影響を与えると?寝ながら聞いても、掃除した後に誰もいない部屋で掛けるのも良いとか、付録の広告らしい紙にそう書かれてはいるな。このチリーン、カラーン、コローン、とか言う音は、こんな吾輩には雑音にしか聞こえぬが、微妙に爽快感が出て来るような気もする。人間や動植物にはより良いのか?
 もう一つ、モーツァルトのCDがあった。これはまだ掛けていないようだが、「SLEEP」とか書かれている。
 案の定だ。少女は、この夜、寝る時、音量を低目にして、それを掛けながらベッドに横になった。確かに、何だか眠くなるなあ。それにしても、今日はほぼモーツァルト日和だったのではないか?吾輩も眠くなって来た。部屋はもう暗いし、吾輩も寝るとしよう。今日は今日でなかなか吾輩も楽しかったな。いつもより一日が短く感じたよ。では、御休み。

   八日目

 蝉の鳴き声だ。相変わらず、喧しいな。蝉も吾輩よりはずっと身体が大きく、鳴き声は煩い。そして元気だ。でも、成虫になってから寿命はそう長くはないらしい。そして起きた少女は、またも眠い目と眠そうな声で独り言を言う。
「朝?あ、モーツァルトが。とっくに終わってるよね。朝だし。一時間だけだから、あれから無駄にラジカセの電源は入れっ放し。あちゃあ。電気代が勿体無いな。御母さんに見付かったら叱られちゃうところだったな。それに、働いてる御父さんには申し訳無い。そうだ。四倍モードで、MDに撮ろう。なら速ぎっしりと六時間分、収録出来るわね。六時間分、撮っものを、今晩は掛けて寝ようかな。それにしても、何だかよく眠れたわ。」
 MDか。それが良いだろう。確かに、プレイヤーのデッキは掛けっ放しであったな。試そうとして、そのまま朝まで眠ってしまった訳か。まあ、小さな失態などは、長い人生の中でなら、誰にでもある。気にする事は無いさ。
「今日って、登校日よね。着替えなくちゃ。」
 登校日?今日が?長い夏休みだから、登校日と言うのがあるのか。そうだな。元気にしている顔を、学校で皆に見せた方が良いと吾輩もそう思う。
「あ、この靴下、踵の所が破れてる。でも、今日、登校日だからほんの少しの間だし、勿体無いから、今日ぐらいは穿こうっと。帰って来たら、捨てよう。」
 成る程。倹約ってやつだな。何でも新品をすぐに買う癖は、若い内からは付けない方が宜しいだろう。それにしても登校日は、学校が昼までには終わるのか?いや、昼までもかからないのではないか?
 踵が少し破れて穴が開いた、紺の長い靴下を右足に穿いた少女は、鞄を持って学校へと出掛けて行った。
 しかし、少女が帰って来たのは、午後の三時半頃だった。どうやら、少女曰く、友人や皆で昼食を食べに行き、カラオケへ行って来たそうだ。この少女も、カラオケ歌うのか。少し意外に思えたが、友達は少ない訳ではないイメージになって来た。友達がいた方が良い。交友の輪は広げて行った方が良い。一生、大切な事である。
「カラオケにも行っちゃったな。ああ、宿題はこれからだよう。靴下も穴、広がってる。捨てよう。踵だけ素足だったから、思ったより足に汗かいちゃったな。やだ。足が納豆臭いかも。……うう、やっぱり、ちょっと納豆みたいな臭いだわ。やだ。洗濯してから捨てようかな。いや、それは面倒臭いからいいわ。今、捨てよう。それと、ちょっと御風呂場で足を洗って来ようっと。」
 すると少女は、ごみ箱に脱いだ靴下を捨てた。そして制服を脱いで私服に着替えたのだった。少女は御風呂場へ足を洗いに行った。マメな事をするのだな。夏はやっぱり暑いから汗をしっかりかくのが自然だ。その隙に吾輩はごみ箱に入り、少女の靴下に染み込んだ、甘酸っぱい汁をすすった。これだけで半分は満腹だ。その後は、いつもの観葉植物の葉のエキスや樹液を啜った。それで腹八分目だ。そして、吾輩は寝るとする。少女は、今日はこれから宿題をするそうだ。宿題、頑張ってくれ。
 午後五時前だった。宿題の問題集を広げたまま、少女は眠っていた。やはりカラオケで疲れたのだろう。軽く冷房が入っている。風邪を引かなければ良いが。夏風邪は、引いてしまえばなかなか治らないやっかいなものと聞く。吾輩は蚊だから、布団を掛けてあげる事も出来ない。少女が風邪を引かないように祈るか、こうして見守るかぐらいしか出来ない。少女は上着は来ておらず、Tシャツとハーフパンツを着ているだけである。吾輩が人間であったなら、そして少女の父親であったなら尚更、薄い布団でもかけてあげるなり、あのモーツァルトの「SLEEP」を掛けてあげるなりするところだ。勝手に冷房を消したりすれば、それは怒られそうだ。いや、少女のCDを勝手に触ったりしても怒られそうだ。冷房を消せば、忽ちの内に部屋は暑くなるであろう。カーテンの裏の窓ガラスは、熱いまではいかなくとも、日が照っていて眩しく、まあまあ温かい。
 六時半頃だった。ノックの音が聞こえた。
「美奈子、入るわよ。」
少女は目を覚まして答える。
「うん。」
「美奈子。今日は御父さんが早く帰って来たし、外で食べない?」
「本当?嬉しいな。」
「行きたい御店はある?」
「ちょっと待って。えっとねえ……。」
 家族で外食か。久し振りなのか?少女はやけに嬉しそうである。少女は、母親が部屋を出た後、文庫本を小さなバッグに入れて、クリーム色の薄い半袖の上着を羽織ったり、フリルの付いた短い白靴下を穿いたりして、支度をしていた。そして部屋を出た。
 部屋の外からは、父親らしい男性の声がした。三人で楽しそうに話しているようだ。
 問題集は、広げたままになっている。年号や難しい漢字や、人物名がずらっと書かれている。これは社会科の、歴史の問題集か。字もなかなか綺麗ではないか。丸文字のイメージがしたが、どちらかと言うと綺麗なブロック体だ。これはまた一つ、見直した。鉛筆の芯からは、鉛の匂いがした。白い消しゴムは、ゴムの匂いだ。筆箱は、お洒落な桃色で、長四角をしている。
 そして、約二時間後に、少女は帰って来た。
「あそこのステーキハイスの御肉、絶品だったなあ。でも、後で減肥茶は飲んでおこうっと。ハイヒール履いたけど、やっぱり足、痛かったなあ。」
ステーキ?御肉か。脂っこそうだな。減肥茶を飲むと、痩せるのか?緑茶も食前に飲めば痩せると聞いてはいるが。それと、やはり、ハイヒールを履いていたか。皆で出掛けるのなら、そりゃあ御洒落はしなくてはならぬな。それに、ハイヒールは買った以上は、履かないと勿体無いであろう。
 少女は、靴下は脱がずに宿題の続きを始めた。やはり、埃がつくし、部屋でも靴下かスリッパは履いた方が良かろう。母親は、今日もストッキングを穿いていたな。そしてスーツみたいな服装だった。見てはいないが父親も、仕事着なら吾輩の予想ではスーツだろうから、母親は夫と御揃いと言う事で、スーツにしたのだろう。
ここで少女は考え始めた。(教科書で調べるのが面倒になって来たな。夏休みが終わる頃に答えをくれるし、それを見て書き写そうかな。高校一年の夏休みだし、もっと楽しまなくちゃ。よし。そうしよう。夏休み明けのテストが二学期の初めにあるのも面倒だけど、勉強はテストより少し前にするし、こんな早くからしても、忘れちゃいそうだしね。決めたわ。歴史は、もういいや。ただでさえ苦手分野だし。)
少女は、人差し指を暫く顎の下に当てて黙っていた。何か考えていたようだ。吾輩にも、人の心を読めはしないから分からないが、まあ、全部を知る必要は無いので構わない。そして少女は、問題集を閉じて学生鞄に仕舞った。そして、国語の問題集を取り出した。国語なら、少女の得意分野だから楽しく宿題出来そうだな。吾輩は、嫌なものから先に片付けた方が良いようにも思うが、考え方は人に寄りけりだろう。また、蚊の思う事も、何から始めるかも、蚊に寄りけり、である。同じ蚊でも、全く同じ場所で全く同じ動きをする等と言う事は有り得ないのだから。まあそれは当たり前だ。吾輩がここに迷い込んだのも、偶々である。他には、学校や会社、喫茶店、神社、寺、ドブや池、川原、アパートやマンション、公園、市役所や公民館や刑務所、国会議事堂等、色々な所で生まれる蚊や蠅がいる事だろう。刑務所は、蚊も多いが蠅が尚も多いように思える。監獄内ではトイレが剥き出しだとか何とか、少女がパソコンでネットサーフィン中に、そんな記事を読んでいるのを見た事があった。テレビでも、チラッと見た事がある。
 そして少女は、宿題を終えるとパソコンの電源を入れた。ネットサーフィンか。良いね。いや、何やら、また、買い物をしている。また、新しく本でも買うのか?本を色々見ているな。そして、マウスをクリックして、何か注文を確定したようだ。本当に、本が好きなのだな。良い事だ。知識や教養は、若い内に色々御本を読むなりして、身に着けておくと良いだろう。きっとどこかで役に立つだろうし、先ず損にはならないと思う。そして感性とか知性も磨かれる。時には、生物に関する本や、理系の本も読んだ方が、頭の体操にはなると吾輩も思うが。まあ個人の自由である。完璧に賢い人間なんてこの世にいないだろうし、本を沢山読んだからって、頭の体操をしっかりしたからと言って、いつでも要領の良い事ばかりが出来るようにはなりはしないのではないか。それは、どんな天才児であろうが、大哲学者や大科学者であろうが大評論家であろうが、それは言える事だ。百パーセントは有り得ないだろう。百パーセント健康な者も、百パーセント賢い者もいないさ。賢さと愚かさは、紙一重と言われる。確かにそうだ。天才児が咄嗟にとんでもない愚行をやらかしてしまう事も、時にはある。ネットサーフィンして記事を読んだりしているのを、吾輩は、時に背後から見させて頂いている。

   九日目

「美奈子、お早う。起きてたのね。今日はプールへ行くんでしょ?水着とか帽子はある?破れてない?」
「うん。今日は友達とプールだよ。スクール水着とかは、破れてないよ。ゴーグルもちゃんとあるから。」
「そう。じゃあ、気を付けて行って来てね。朝は宿題、忘れずにね。」
「うん。大丈夫。ちゃんとするから。」
「バスタオルも、忘れないうちに袋に入れておいたら?」
「うん、そうする。」
「じゃあ、朝御飯出来てるから、食べにいらっしゃい。」
 少女は、朝食及び、バスタオルを取りに部屋を出たようだ。
プール?水着?泳ぎに行くのか?泳ぎなど、吾輩には無縁だが、人間にとっては楽しいもののようだ。吾輩は、虫なので泳げない。アメンボのような水上を駆ける事が出来る虫もいるが、蚊は全く違う。特に、羽根が濡れてしまえば、もう終わりだ。忽ち身体が水分を吸い、もう空中に上がれなくなる。水分は摂るが、水そのものは、成虫となった今では、もう苦手だ。いや、寧ろ、水溜まりの水となれば、それも天敵である。水気を含んだ個体から食料として液を吸うのは必要なのだが、コップに入った水でも注意しなくては、吾輩は溺れてしまう。
少女は、宿題を終えると、部屋を出た。十時半頃だ。もう出掛ける支度を始めている。昼食前に泳ぐのか?成る程。食事前に運動するのは、良い事だ。そしてまた、ゆっくり休むと良い。
少女が出掛け後、吾輩は食事の時間だ。いつもの、観葉植物の樹液や葉っぱのエキスを頂くとしよう。電気は消えているが、カーテンは開いている。今日も日差しが眩しい。蝉の声も騒がしい。では、少し日光浴をしようか。日中はヤモリは窓に張り付いていないから、怖くはない。うむ。なかなか気持ちが良いな。やはり太陽が、自然の王様なのかも知れない。
しかし、窓が多少熱いな。もう昼が来ているのか。時間の流れも割と早いものだな。端のカーテンの隙間からも光は漏れて床まで届いているから、そちらの床の方が熱さはマシかも知れない。……ふむ。窓ほどは、熱くない。すぐ横に絨毯がある。絨毯には、ノミやダニがいそうだ。別にノミやダニと友達になりたいとは思わないから構わぬ。
午後二時頃だ。ドアの開く音がした。少女が帰って来たか。この分だと、昼飯も食べて帰って来たと見える。
「ふわあ、祥子と泳いで来て楽しかったな。昼はマクドナルドで久し振りに食べたハンバーガーやポテトがおいしかった。ふう。ちょっと疲れちゃった。」
 少女は、空の袋を持って帰って来た。バスタオルや水着、帽子などは、きっと洗濯籠の中だろう。ゴーグルも、洗って乾かしているのか?
 少女は袋を部屋の隅に置くと、ベッドに横になった。静かに目を閉じて、眠り始めた。そして吾輩は、少女の傍まで飛んで行き、シャツの襟の所、と言うか、首元で止まった。消毒したような匂いだ。塩素と言うらしい。プールは消毒の為に塩素水にしてあるとか、これもラジオで聞いた事がある。悪い匂いではないが、塩素そのものを摂取しては、身体には毒なのではないか。少女の髪の毛も、塩素の匂いだ。一階で乾かして来たにせよ、まだ多少は湿っている。少し、頂くか……。……う、ほろ苦い。やはり塩素臭い。蚊である吾輩にはきつい匂いだ。刺激が強い。もう遠慮する。
 フルーツや樹液のプールで泳げたらと思うが、それでもやはり溺れてしまえば終わりだ。人間には、泳ぐと言う楽しみもあって良いものだな。人間が少しずつ、羨ましくなって来る。
 でも人間には、他にはまた色々な事がありそうだな。勉強をしたり、読書をしたり、運動をしたり、と。テレビを見たり、ラジオを聞いたり、パソコンを使ったり、他には、ジグソーパズルとか何とか言うのも聞いた事がある。パズルとは?謎解きみたいなものか?虫には虫の社会もあるが、人間には人間の社会があり、人間の社会はずっと複雑そうである。社会に出る為に、勉強や運動をしているのだろう。しかしそれだけでは人間社会はまだ厳しそうだな。将来も頑張るのだ、少女よ。しかし吾輩のこの心の声は、少女の耳には届かず、吾輩の頭の中で空しくこだまする。
吾輩は、孤独である。少女には、家族も友達もいる。吾輩は、この家に住み着いてはいるが、家族の一員ではない。ペットでもない。
 人間の天敵は、この辺りにはいないのか?北海道の森の奥でヒグマが出て襲われそうになってどうこうとか言うのも、ラジオで聞いた事はある。熊とは、人間の天敵で、恐ろしいのか?そして、デカいのか?ヒグマは人間を見付けると、食べるのか?人間の肉は吾輩には食えぬが、どんな味がするのか?血の味か?樹液みたいに、甘苦いか?酸っぱいか?それとも辛いか?だが吾輩は雄の蚊だから、血は吸わないので血の味は分からない。
 夕方になった。少女の母親が入って来た。
「美奈子。今日の晩は、コロッケするわよ。」
「コロッケ?嬉しいな。」
「じゃ、今から支度するわね。」
 そして母親はすぐ部屋を出た。
 コロッケとは何だ?美味しいのか?
 そして少女は、本を読み始めた。
(そう言えばこれ、まだ読んでなかったな。二週間前に買った、村上春樹のデビュー作、「風の歌を聴け」だけど。今から読もうかな。)
 すると少女は、本を広げると冒頭だけ朗読した。
「完全な文章などと言ったものは存在しない。完全な絶望がないのと同じようにね。」
 そしてその後は黙々と読書を始めた。
 完全な文章はない?完全な絶望もない?そうだな。その通りだ。完全なんて、この世には有り得ないのではないか。完璧な者はいない。百パーセント完璧な善人も悪人もいないだろう。そう言えば、国語の問題集で何かを見たのを思い出したぞ。「我々が幸福と読んでいる状態には、必ずなにがしかの不幸の要素が混じっている。しかしそれは人間の不幸として認め、我慢する他にない。完全な幸福などと言うものは、所詮は有り得ない。」と。
 完全など、この世にはないのだろう。完全な安住の地も、理想郷もないのかも知れない。でも疲れた羽根を休める事が出来る場所なら、きちんとある。人間にとっても、そうであろう。幾ら、頭が良くて体力があって性格も良かろうが、それで完全かと言うと、そうではない。如何なる人間にも、良いところもあれば悪いところもある。きっちり平等なのかは分からないが、細かい事はまあさておく。そして少女にとっての安息の場とは?やはり、自宅や図書館などか?またはカラオケルームか?それとも某喫茶店か?
 人の命は、本当に平等か?でも蚊の命、いや虫の命は、決して平等ではないと思う。雌の蚊は、人間の血を吸うたら叩き殺され易いだろうし、夜の窓の外や外壁の近くを彷徨ううちに、ヤモリなどに捕食されてしまう蚊や蠅もいるだろう。殺虫剤を持っている人間に殺される蚊や蠅もいる。
 吾輩にとって幸福な時間とは、やはり、食事の時間が一番だ。人間なら、入浴の時間で会ったり友人と遊んでいる時であったりとそれぞれだろうが、吾輩のような蚊にとっては、やはり食事ではないだろうか。勉強やスポーツ、芸術と言った事は行なわないのだから、食事か寝るか飛ぶか、である。
 この夜、少女は、六時間ぎっしりとアルファ波の音を収録したMDを小音量で流したまま、眠りについた。付録の広告を読んだが、アルファ波は、脳に良いらしい。毎日続けて見ては如何だろうか?

 十日目

 今朝、少女は、バッグの中に問題集や筆箱を入れて出掛けて行った。今日は、宿題は外でするのか?そうか。偶にはそんな日もあるな。人間の気持ちは色々あるものだ。その日の気分によって、やりたい事も、言う事も、考えも動き方も違って来る。
 今日は、Tシャツにジャージのハーフパンツと、あの少女にしては珍しくカジュアルな服装であった。この間、家族で夕食に出掛けた時とは大違いである。
 まあ良い。吾輩は、そろそろ飯にしよう。いつもの観葉植物で良い。
 午後一時だった。玄関のドアが開く音がした。少女が帰って来たのか?ん?何やら、若い女子二人のような話し声が聞こえる。家に誰か呼んで来たのか?そして、少女は誰かと話しながら部屋に入って来た。
 やはり、連れがいた。吾輩は見た事の無い、ショートカットの、小柄な少女だった。この家の少女よりも小柄だ。そして眼鏡をかけている。百五十センチよりも低い。そして、服装は、黒いTシャツに、踝が見えるジーパンを履いている。そして、足には白い踝ソックスだ。
「ここが私の部屋よ。文子(ふみこ)。遠慮せずゆっくり寛いでね。」
「うん。ありがとう、美奈子。ここが美奈子の部屋なんだ。綺麗ね。」
「何か飲み物持って来るね。何がいい?」
「ありがと。何でもいいよ。」
「麦茶と、コーヒーと、紅茶もあるわ。紅茶なら、ミルクティーかレモンティーが出来るけど。」
「私は、ミルクティーが好きなんだけど。」
「そう。じゃあミルクティー用意して持って来るね。」
「うん待ってる。」
「ホットとアイスなら、どっちにする?」
「暑かったから、やっぱりアイスかな。」
「だよね。じゃあ氷入れて冷たくして持って来るね。ベッドにでも座っていいよ。」
「うん。」
 この少女は、文子と言うのか。少女とは雰囲気も口調も似ているな。この少女も、控え目な印象だ。この前来た活発な少女とは逆に、大人しそうだ。待っている少しの間でも、ベッドに座って文庫本を読んでいる。この少女も、本が好きなのか。
「御待たせ。冷たいミルクティーだよ。」
「あ、ありがとう。頂くね。……甘くておいしい。」
「それにしても、奇偶だったね。図書館で文子に会うなんて。本はよく図書館で借りるの?私は、本は借りるより買うんだけど。」
「うん。私は、図書館で借りるんだ。美奈子は買うんだね。」
「うん。」
「文子は、宿題はもう終わったの?」
「数学以外は、終わってる。」
「そう。それは偉いね。やっぱり、国語とか、好きな教科から先に片付けちゃった?」
「うん……。」
「私もよ。私は、後、数学と英語が少し残ってるの。」
「そうなんだ。」
「図書館の帰りに寄った、あの、ヒマワリと言う喫茶店のオムライス、なかなか美味しかったよね。」
「そうだね。」
 成る程。そうか。少女は、図書館で偶然、文子と言う少女とばったり出会い、一緒に過ごし、帰りには喫茶店でランチをして帰って来たと言う訳か。それで、高校の同級生なのか?
「文子って、文芸部だったよね?」
「うん。」
「私、二学期から入ろうと文芸部考えてるんだけど、いいかな?」
「いいよ。おいでよ。大歓迎だよ。」
「そう。やった。じゃあ入ろうかな?文子は、部長じゃなかったっけ?」
「ううん。平部員。私、引っ込み思案だから、皆を纏めるのはちょっと……。」
「そう。私もどちらかと言うと引っ込み思案だし、学校では何度か本の話をしたりして、私達、知り合ったしね。今日は何借りたの?」
「江国香織さんの小説だよ。」
「そうなんだ。私も、デビュー作なら読んだな。文子も、赤毛のアン隙って言ってたよね?」
「うん。モンゴメリの、アンシリーズだけは、気に入ってるから実は全部買い集めてるんだ。この前、続編の『アンの友達』を読んだよ。」
「それは凄いね。そう言えば確か、原作はシリーズが色々あったよね。」
「うん。最終巻が『アンの娘リラ』だよ。でも順番に家で少しずつ読んでる。」
「そうなんだ。私も何だか読みたくなって来ちゃったな。」
「私、すぐ読み終わると思うから、また貸してあげるよ。」
「そう。それはありがとう。でも今の私は、ちょっと読みかけの本があるの。村上春樹さんのデビュー作『風の歌を聴け』をこの前、読み始めたところなんだよ。他の作品は結構読んでるけどね。『海辺のカフカ』とか『ノルウェイの森』とか……。」
「村上春樹さん、文章が綺麗でセンスいいよね。美奈子。私も好きかも知れない。『アフターダーク』なら、図書館で半日かけて全部読んだんだ。最後は何か腑に落ちなかったけど、あの御話の雰囲気は、嫌いじゃなかったな。」
「そうなんだ。『アフターダーク』は、私はまだ読んだ事ないな。」
「御勧めだよ。」
「ところで、海外作家って、モンゴメリ以外に御勧めはあるかな?」
「ううーん……。私はモンゴメリ以外は読んだ事ないけど、御姉ちゃんが、ロシアのドストエフスキーとかトルストイとか、ドイツのゲーテを読んでて、御勧めとか言われたから、ドストエフスキーの『罪と罰』を少し借りて冒頭とか読んでみたりパラパラ捲ってほんの少し読んで見たけど、今の私には、何だか凄く難しいんだ……。」
「そう。御姉さんも文学とかに詳しいのね。」
「うん。市外にある国立文系の大学で文学部国文科にいるんだ。一年生なんだけど。私は、国語以外からっきしなんだけど、御姉ちゃんは凄いよ。センター試験受かって国立だからね。成績優秀で、部活は高校、大学と、陸上部と文芸サークルの掛け持ちで、運動も出来て、やっぱり、文学や哲学には特に造詣が深いんだ。大学院まで行きたいとかも行ってたの。」
「凄い。凄い。」
「うん。私なんかよりずっと凄いよ。」
「ドストエフスキーって、ロシア文学なんだね。そんなに難しいんだ。私もまだ読めないかも。あ、御父さんが国語の先生だから、御父さんなら分かるかも。御父さんは、有名な私立の大学で国文科だったんだ。」
「私のお父さんは、出版社の編集長だよ。御父さんも本には詳しいよ。でも毎日、残業、徹夜でとても忙しそうなの。帰るのは大体いつも夜中だよ。御父さんは県外の国立大学の法学部を卒業してるんだけど。」
 文学少女同士ではないか。これはまた、良い子に巡り合えたな。本の話ばかりでなく、色々な話をして親睦を深めるが良かろう。二学期からは美奈子も文芸部に入ると?それもまた良いではないか。吾輩も応援しているぞ。よく学び、よく遊べ。そして、夢に向かって頑張るが良い。更に、またまた凄い人物がいるのだな。文子の御姉様は、国立大学へ通う文武両道の文学少女か。いや、才女と言うべきか。如何にも頼れる姉御、なのではないか。ロシア文学とは、何ぞや?そんなに難解で深いものか?
「ドストエフスキーかあ、気になるなあ。」
「御姉ちゃんに言ったら、貸しては貰えるよ。『罪と罰』ならもう読んでるそうだけど。あのね、ドストエフスキーの作品を繰り返し読むと、人間の本質に迫る事が出来るんだって。だから、作家や漫画家を目指す人にとっては、ドストエフスキーの本は良いらしいよ。御姉ちゃんが言ってた。それは、評論家の青木雄二さんが本の中で言ってたんだって。」
「そう。貴重な情報をありがとうね。文子の御姉さんって、文武両道で博学才叡で凄いね。」
「うん。」
「で、文子も作家目指してるの?」
「うん。絵本作家になりたいんだけど、絵は描けないから、文章だけ描いて送ってる。デビューした後も、絵はそちらの専門の人に任せると思う。」
「絵本作家かあ。いいね。」
「でも、やっぱり本業にするのはなかなか難しいし、それだけで食べて行ける人は、ほんの一握りだから……。学生のうちにデビュー出来ないと、やっぱり会社勤めはしなくちゃと思ってる。」
「OLかあ。私も考えた事あるけど、勤めに出るならならまだ私は保育士とか、またはあ御爺さん御婆さんの世話をする介護の御仕事もどうかなと思ってるわ。」
「そう。私は、体力も頭も使わない仕事をしたいと思ってるから、一般事務職とか事務補助的な仕事を探すかな、と。」
「感受性を使う仕事ならいいんじゃないかな?絵本作家さんの他には、花屋さんとかさ。」
「花屋さんは、体力や暗記力がいるよ。それに不景気だと聞くし。」
「それもそうかな。」
 吾輩が思ったより、話に花が咲いているな。感心だ。その調子で参れ、将来について語り合うが良い、少女達よ。
「そうだ、美奈子。本の話に戻るけど、ガルシア・マルケスって言う作家は、もっと凄いそうなんだ。御姉ちゃんがこの間、『百年の孤独』を読んで、百年に一回現れるかどうかの、凄い作家って言ってたよ。」
「へえ。ガルシア・マルケスかあ。私、もっともっと読解力を付けてから、読んでみようかな。」
「うん。御姉ちゃんに言って借りて来てあげてもいいよ。」
 それにしても、ドストエフスキーとかガルシア・マルケスとか、世界の作家が如何に凄いか、を話している。話のスケールがどんどん大きくなっているな。いや、吾輩が思うにも、まだまだこれからではないか。高校一年でここまで知る事が出来たのは、素晴らしい事だと思うぞ。
「ミルクティー、おいしいな。」
「図書館で頭を使ったもんね。身体や頭が疲れた時にはやっぱり甘い物だよね。」
「私は別に頭は使ってないよ。まだ使ったのは目と感性だよ。」
 知性と感性と、やはり何事もバランスが大切ではないかと吾輩はここで思った。作家や、出版社の編集長も、国語教師も、受験生も、時には体力勝負でもあろう。また体もある程度は鍛えた方が良いな。人間には、頭脳と体力、そして感性や理性も必要なものであろう。
「美奈子、今日はありがとう。色々話せて楽しかったわ。」
「私もよ。文子。またいつでも遊びに来てね。そして二学期からは、文芸部でも宜しく。私、絶対入部するからね。」
「うん。待ってるよ。」

   十一日目

「朝ね。今日が三十日で、七月も明日で最後か。」
少女は、起きると早速、日捲りカレンダーを捲っている。今日は七月の三十日か。もうそんなになるのだな。明後日からは、八月と言う訳か。本格的な夏になるな。八月だから毎日が猛暑と言う訳ではないと思うが、一番暑いのは、やはり八月だろう。
少女は宿題を始めた。後、宿題はもう一息なのか?
「今日、一日かけて残りの宿題を終わらせちゃおうかな。七月中に終わらせる子達を見習おうかな。そしたら、後は読書感想文だけだし。読書感想文は何を書こうかな。」
 何と!そう来たか!それは偉いな。頑張って七月中に終わらせてはどうか。吾輩は、蚊だから宿題と言うものがなく、ずっと自由だ。天敵にさえ気を付ければ生活は安泰かも知れない。特に、木や草など、植物は、何処に行ってもある。そしてこのような恵まれた家?に住めば、部屋で果物などが出たりもする。吾輩が頂いたのは、残り粕だが、それだけでも十分美味であった。りんごも苺も、オレンジのジュースも甘くておいしかった。レモンはやはり酸味が強く刺激的であったが。
 すると少女は、モーツァルトの音楽をかけて宿題を始めた。残った苦手科目だからこそ、モーツァルトをかけるのか。それがまた良いとは思う。
 ところでパジャマ姿のままだが、今日は出掛けるつもりは、特にないのか?やはり今日は一日中、宿題詰めか?まさか、ホームウェアがパジャマになったのではあるまいな?ずっとパジャマだとだらしなくも思えるが、それも個人の自由だ。パジャマみたいな普通の服だってあるそうだし。パジャマのままでも、服を着ないよりはマシであろう。
「ふわああーあ。」
少女は、手伸びしながらあくびもしている。もう昼前になるが、くたびれたか?もう少し頑張れ、少女よ。あれからまだ二時間であろう。
正午頃、少女はやはり部屋を出て昼食を取りに行った。休憩がランチタイムか。
昼食後は、少女は部屋で私服に着替え、また別のモーツァルトをかけて、宿題を始めた。頑張っているな、感心だ。親なら、それぐらいの事は当然の事とか言う親もいるかも知れないが。褒める時には褒めないと、ならないだろう。叱られても褒められても伸びる子は伸びる。それでも伸びない子は、伸びない、と。少女は、伸びない子には見えない。
午後二時を過ぎると、少女はまた部屋から出て、おやつを持ってきた。あの、太い円形の物は何だ?それと、剥いたりんごだ。りんごの芯がないから、りんごの芯は下で捨てて来たのだろうな。すると吾輩は、今回はりんごの汁は貰えそうにないな。
「このドーナッツ、賞味期限が明日だったから、おかあさんが早く食べてって言ってたな。でもおいしそう。」
あの、円形の茶色い食べ物は、ドーナッツと言うのか。甘そうだが、どうも水分は含んでそうにはない。油の匂いがするから油は含んでいるようだが、油は水分ではない。
少女は、ドーナッツを食べ始めた。時々、りんごも食べている。おいしそうに食べている。くたびれた時は、やはり甘い物が良いようだな。
「さて。もう一息だわ。」
 少女は、何もなくなった御皿をテーブルに置いたまま、宿題を始めた。どんなに几帳面そうに見える子でも、多少はだらしない一面も持っている。やはり、それが人間なのだな。小さい方の御皿には、りんごの香りがするし、湿っている。今のうちなら、そのりんごの汁を貰えるかも知れない。少女は、宿題に夢中である。
 ああ、うまい。甘い。まろやかだ。さて、そして吾輩は、昼寝の時間だ。本棚の上へでも行って休むとしよう。
 夕方過ぎまで、吾輩は眠っていた。少女は、宿題はもう終わったのだろうか?問題集やプリント、筆記用具などは片付けたのか、勉強机の上は綺麗に何もない。そして、ベッド上で薄い布団をかけて眠っていた。頑張った後の寝顔も、無邪気で可愛いものだ。安らかな寝顔である。うなされていない。安心している証拠だろう。でも疲れてはいると思う。
 すると突然、少女の携帯電話が鳴り始めた。少女は、起きてすぐ電話に出た。
「はい。もしもし。あ、祥子?……どうしたの?……宿題?うん、読書感想文以外は終わったよ。…そうだね。まあ得意分野と言えば得意分野かな。結局、得意分野が残っちゃった。……え?パジャマパーティー?それ、私は初めてだけど、楽しそう。祥子はした事あるんだあ。中学校の時に?御菓子やジュースを用意してしたのね。…次の土曜日に私の家でパジャマパーティー?うん。うちは大丈夫だと思う。一応、御母さんには話してみるけど。…都合良かったら、文子も誘っていいかな?…うん、じゃあね。またね。ありがと。」
 少女は、電話を切った後も笑顔だった。少女の家で宴会みたいな事をするのか?それは良いな。やはり、長い休みはしっかり楽しんだ方が良い。
「真夏に、パジャマパーティーか。それもいいかも。ふふ。」
少女は、ベッドの上の、今朝脱いだパジャマを眺めながら言っている。それを着るのか。まあ、お洒落なピンク色のパジャマではあるな。
「美奈子、夕食出来たわよ。」
「うん。あ、そうだ。ねえ、御母さん…………。」
少女は、土曜日にパジャマパーティーをして良いか否かについて話しているようだ。
「パジャマパーティー?この部屋で?いいんじゃない?御菓子やジュースは割り勘なのね。じゃあ特別に御小遣いあげる。宿題頑張ったみたいだしね。」
「ありがとう。」
 良かったな、少女よ。あ、少女達よ、か。確か、人数は三人か?どんな御菓子やジュースが出るかな?出来れば吾輩も参加してみたいものだ。でも残り物が貰えればそれで嬉しい。

十二日目

 この日の朝、少女は、原稿用紙に何か書いている。読書感想文のようだ。それも、結構前に読んだ本の事を書いているようだ。皺が寄った文庫本を、時々開いて捲ったりしている。少し見ただけで内容は幾つか思い出したりも出来るようだな。人間の脳は、便利だ。ただ、それを悪用する者が何処かに居ようものなら、問題とかが色々起こってもいるだろう。
 それにしても、今日は七月三十一日だ。七月は今日で終わりだな。明日からは八月と言う訳か。
 午後からは、少女はTシャツと短パンに白いショートソックスと言う服装で、バッグを持って出掛けて行った。図書館へでも行くのか?いや、本屋とか喫茶店かも知れない。
 今日も、晴れているな。観葉植物のエキスは相変わらず、うまい。飽きて来た気もするが、吾輩の基本的な食料だ。
 それにしても、少女はどんな本を読んでいるのか?ちょっと見せて貰うとしようか。タイトルぐらい見るとしよう。何々、モンゴメリ「赤毛のアン」、村上春樹「風の歌を聴け」、「ノルウェイの森」、「ねじ巻き鳥クロニクル」、「アフターダーク」、「村上朝日堂」、「もしも僕らの言葉がウイスキーであったなら」、赤川次郎「ふたり」「早春物語」、「愛情物語」、「探偵物語」。吉本ばなな「キッチン」「ツグミ」、長野まゆみ「少年アリス」、清水義範「蕎麦ときしめん」「黄昏の悪夢」、「小説家になる方法」、か。他には、三田誠宏「いちご同盟」、「永遠の放課後」。筒井康隆「時をかける少女」、ウェブスター「あしながおじさん」、「続・あしながおじさん」か。また、一番下の段には、夏目漱石全集、川端安康成全集、芥川龍之介全集、と。文学全集はこれぐらいか。他には、作者名なら林真里子とか、山田詠美とか、星新一とか、、東野圭吾とか、伊坂幸太郎とかがあるな。小説は好きで色々読んでいるな。エッセーみたいなのもあったな。
 あれから一時間後、少女は帰って来た。袋に入れた本を持って帰って来ていた。と言う事は、本屋へ行っていたのだな。バッグを抱えていたから図書館かと思ったが、図書館で借りるかやっぱり本屋で買うか迷って、買う方に決めたのかも知れないな。そして、喫茶店へもどこへも寄らずにまっすぐ帰って来たのだな。いや、待てよ。確か、今日のような月曜日が、図書館が休みでどうこうとか聞いた事があるぞ。
 少女は、ベッドに座り、買って来た本を早速、読み始めた。何の本だ?作者は、遠藤周作?タイトル名は「天使」か。
「結構古いけど、人気のあった作家さんだから、新品がちゃんと置いてあったわ。」
 人気の、あった、とは?と言う事は、既に亡くなっている作家なのか。そうか。友達から勧められたりして買ったのかな?
 この夕方過ぎだった。この時も、吾輩は思ったのだった。偶には、この民家の他の部屋も見てみたい、そう、探検がしてみたい、と。
「美奈子。夕飯よ。うん。」
午後七時、か。少女は夕食の為に一階へ降りて行く。
 部屋のドアは開いている。出るとしようか。よし。
吾輩はついに、部屋を飛び出して廊下へ出た。階段がある。飛んで降りるから階段も吾輩には関係ない。階段の上を飛ぶようにして、ついに一階へ降りて来てしまった。ドアがない部屋。台所か。大きな食卓テーブルや流し台、棚などがある。これまでに嗅いだ事の無い、おいしそうな匂いだ。鍋を見た。白い液体のようだ。そこから良い匂いがしていたのか。
「今日はクリームシチューよ。もうすぐ御父さんも帰ると思うからね。」
「うん。」
 あの白い液体のような食べ物が、クリームシチューか。でも吾輩はあそこに入ると溺れてしまいそうだから、おいしそうな匂いにつられて入って行く訳にはいかない。
 シチューが大きな御皿につがれ、食卓の上に並べられて行く。麦茶もある。そして茶碗にはコメが盛られた。
 流しの隅に、三角の、ざるみたいな箱があった。あれは、野菜か。キャベツの芯や、大根の葉だ。にんじんの皮も、りんごなど果物の皮もある。これは、人間にとっては不要だから捨てられているのだな。だが、吾輩にとってはおいしい大事な食料源だ。隙を見て、頂くとしよう。
 ああ、うまいな。キャベツの芯もにんじんの皮も、吾輩にとっては甘くてまろやかだった。りんごの皮は、やはり美味だった。
 父親が帰って来た。これが少女の父親か。身長は、百六十余りかな?男性としては小柄なようだ。母親でも百五十センチ余りだ。
「ただいま。」
「御帰りなさい。御父さん。」
「美奈子、ただいま。へえ、今日はシチューか。」
「御風呂も沸かしましょうか?」
「いや、今日は九時頃、自分で沸かすからいいよ。」
「そうですか。」
 早速、食事が始まったな。和気藹々、家族団欒だ。いつもこんな感じか。良い家庭に恵まれて良かったな、少女よ。
「美奈子、本、読んでるか?」
「うん。今日は遠藤周作さんのを買ったの。」
「ほう。遠藤周作ねえ。作家でもあり文化評論家でもある人だな。遠藤周作は父さんも色々読んだけど、面白いぞ。」
「うん。」
「司馬遼太郎とか、佐藤春夫は、まだ美奈子は読んだ事ないだろ。父さんとしては御勧めはするが、まあ美奈子は美奈子の好きな本を読みなさい。」
「司馬遼太郎で御勧めは、何があるの?御父さん。」
「そうだな。個人的に父さんは『燃えよ剣』だったが。職場では同じ国語教師でも、文学少年少女でも、感性は異なるから、みんな好みが同じって訳にはいかないからねえ。」
「御父さんと御母さんって、どこで知り合ったの?」
「図書館よ。」
「え?そうなの?」
「うん。図書館で初めて会った時の事、御父さんも私も取ろうとした本を、御父さんが、先に読んでいいですよと言って譲ってくれて、優しい人だなと思ったの。それで本の話を始めて仲良くなったの。その時、私は、短大を出たばかりのOLだったわ。本はなかなか私も好きで、小説や詩集は色々読んでたの。」
「そうなんだ。」
「で、その時の本が、確か、谷崎潤一郎の、『痴人の愛』だったね。母さん。」
「うん、そうね。」
「へえ。良かったね。」
 成る程。図書館での出会いか。意外な場所ではないか。それから恋愛へと発展して行って結婚して今に至るのだな。それに、今でも夫婦仲は良さそうではないか。親子仲もな。
「今日のシチュー、おいしいね。」
「うん。新しく買ったレシピ本で勉強したからね。」
「これが母さんの味だな。」
「もう、御父さん、ったら。ふふ。」
「ふふ。」
 食事の時間は終わったのか。少女が洗い物をし始めた。またも御手伝いとは、偉いな。
「今日は私が洗うね。」
「ありがと。助かるわ。」
 ところで、台所の隣は何だろうか?タオルが沢山置いてある部屋だ。また流しや水道がある。鏡もある。奥にもドアがある。御風呂場か。浴場だな。それで、ここは脱衣室にして洗面所か。
 少女が入って来た。靴下だけを脱いで、籠の中に入れた。スニーカーなら汗かくだろうし、白い靴下ならすぐ汚れて裏は黒くなるだろうしな。
 その隣は、便所か?消臭剤みたいな匂いがしてくるからそう思った。蠅がいそうだな。入りたいとは思わぬ。そもそもドアが閉まっていて入れそうにない。
 他にも、幾つかドアの閉まった部屋があった。両親の寝室やら、御主人の書斎やら、居間やら、色々あるのだろう。玄関と言う所にも行ってみた。色々な靴が置いてある。父親の大きな革靴に、少女の小さな革靴に、そしてスニーカー、サンダル。白いパンプスは、母親の物か?端っこに置いてあるハイヒールは、少女が自分で買った物だったな?今でも時々は履くのだろうか?
ではそろそろ、部屋に戻るとしよう。部屋の戸が開いているうちに、少女の部屋に戻らなくてはと思ったのだ。少女は今、便所に入っている。今のうちだ。少女の部屋に戻るとする。
少女の部屋に戻って来て一安心だ。それにしても、台所では吾輩も色々食べられて良かった。家族の一員ではないが、家族が食事をしている近くで吾輩も食事をしたのだ。にんじんやキャベツは、野菜の中ではまだ甘い味がするようだな。キャベツは、乾燥しかかって水気が少なくなった部分が特に甘かった。
靴下を脱いで素足になった少女が戻って来た。そしてまた、ベッドに座って本の続きを読み始めた。暫くして、少女は本を横に置いてベッドに仰向けにゆっくり倒れた。そしてそのままウトウトし始めた。そして、やはり眠ってしまった。
午後の九時半だった。少女は起きると、少しだけ本の続きを読み、部屋を出た。もう入浴の時間だろう。吾輩は御湯にはつかれないが、人間にとっては、暑い御湯が気持ちの良いものらしい。
 ゆっくり温まるが良い、少女よ。

  十三日目

文学少女にしては珍しく、少女は今日は朝からテレビゲームをしている。画面の中で髭の生えた親父が走ったり飛んだりしている。カセットには、スーパーマリオとか書かれている。古いゲームなのではないか?一時間後、飽きたのか、クリア出来ず歯痒くなったのか、すぐにやめてカセットを抜き、もう一つのゲーム機に、次はレコードみたいなゲームソフトを入れた。次は、何だろう?
 このゲームは、地味な絵に、何やら文字が沢山浮かんで来ている。今度はやけに台詞が多いゲームだな。これではまるで小説を読んでいるのと同じではないか。ケースを見てみると「かまいたちの夜2」と書いている。ジャンルは「サウンドノベル」だと?ほほう、やはり文学少女だな。アクションゲームは、目ばかり使って勉強にもならなさそうだが、これはまた国語、文学の勉強になって良いのではないか?まあこれは面白いからやっているのであろうな。少女は集中しているようだから、邪魔はしないでおこう。
 そして、昼だ。少女は「かまいたちの夜2」と言うゲームに嵌まったのか、まだそのゲームをしている。目が痛くならないのか?
 少女の横には、飲みかけの、甘そうなフルーツジュースがコップの中にあったが、コップに入った液体は、下手すれば吾輩は溺れてしまいそうなので、近くで匂いを嗅ぐだけだった。
 何だか恐ろしい画像や音声も出て来ているな。純粋なこの少女には、刺激が強過ぎはしないか?悪影響を受けなければ良いが……。
 夕方からは、ゲームをやめて、少女はパソコンに向かって小説を書き始めた。良いネタが浮かんだか?小説みたいなゲームの「かまいたちの夜2」の内容は、参考になったのか?だとしたら、それは良かったな。まさか、この少女でも、怖い話を書いたりするのか?ほのぼのとした日常系のものやファンタジーなどを書いていそうなイメージだが、どうだろうか?まあ何にせよ、吾輩はあまり読ませては貰えないがな。
 この日から、少女は部屋を出る時には必ずドアを閉めるようになった。だから、今後、この部屋から吾輩が出るのは難しくなった。開けたら閉めるようにと、親から注意でもされたのだろうか?
 少女は、テレビゲームを付けたまま、夕食に部屋を出て行った。おいおい。電気代も馬鹿にならないぞ、少女よ。それにしても、テレビゲームの画面から放たれる光は、やけに眩しいものだな。朝、少女が最初にプレイした、古そうなカセット式の、マリオとか言うゲームの画面は、もっと眩しく、目がチカチカしたな。だが今時のテレビゲームは、画面は綺麗で見易くなっているようだな。
 少女は、切っても剥いてもいないりんごを、小皿と一緒に持って来た。まるで大胆な子供のようだ。今度は、部屋に持ち込んだりんごを、まるかじりだ。これはまた、りんごの芯が残るから、吾輩もまたあのりんごを頂けるかな?何口か齧ったりんごを小皿に置くと、少女は再びテレビゲームをの続きを始めたのだった。
 今回は残念だ。少女は、りんごを食べ終わると、残った芯や種は、小皿に乗せて一階に持って行ってしまった。部屋のごみ箱に捨てると虫が湧いたりと衛生上良くないから、台所の生ごみ入れに捨てるよう、親から注意されたのかも知れない。それとも、学校で家庭科の先生が授業の中で話したのかも知れないし、漫画や小説の登場人物がそうしていたのを、少女は見習うようになったのかも知れない。どれなのかは分からないが、これは別に分からなくても良い。
 この晩、少女は布団の中でうなされながら眠っていた。あんな怖い内容のテレビゲームをするから、やはり怖い夢を見ているのかもしれない。御気の毒だ。でも必ず朝は来るよ。

十四日目

「う…ううーん…。昨晩は、本当、怖い夢、見たなあ。前に、洋子から勧められたゲームだったけど、私には刺激が強過ぎたかも。でも、なかなか面白い推理小説だったな。」
 やはり、そうであったか。悪夢を見たのか。まあ、そんな日もある。でも悪夢が現実化している訳ではないから、まだ良いか。甘い物でも食べて気分転換しては如何だろうか?
うなされながら、首を何度か左右に動かしたりしていたから、少女の髪は少し寝癖が付いている。
 いつもの文学少女に戻ったか。今日は、ゲームではなく普通に文庫本を読んでいる。宿題も終わったからゆったり出来るな。
 それにしても吾輩だが、最近、何だか、身体がだるく感じる。少し飛んだだけで、くたびれると言うか、身体が重く感じるようになったのだ。もしや、吾輩はもう年なのか?まさか。まだ成虫になってから十四日目だ。
 日捲りカレンダーを、少女は慌てて二枚も捲っている。余程、昨日はゲームに熱中していたようだな。何だかんだ言って、「かまいたちの夜2」は、面白かったか?それもまた良かったな。そして今日は、八月二日、水曜日か。では、もう昨日から八月は始まっていたのではないか。少女も吾輩も、その事は忘れていたか。
2があるなら1がある筈だが、1はした事ないのか?この様子では、2から買ってプレイしたと見えるな。まあ、1を絶対にしなくてはならない義務もないし、気が向いたらまた買うだろうし。それは本人の自由だ。
今日は、朝食は部屋食のようだ。アンパンとミルクを部屋に持って来て、本を読みながら食べている。パンの滓が絨毯に落ちはしないか?
 ミルクがなんて聞か絨毯にこぼれたぞ。少女は、手を洗いにでも行ったのか、一階へ降りた。その隙に、ミルクを頂こう。牛の乳とか聞いた事がある。牛の乳は、うまいのか?
こぼれたからなのか、何だか臭いな。さて、どんな味だろう。絨毯に零れたミルクは、多少臭みはあったが、なかなか濃厚であった。結構、甘いものだな。これぐらい臭かったなら、蠅やノミやダニは、もっと喜ぶであろうな。
昼過ぎだった。少女の母親が部屋に来て、言った。
「美奈子。明日、葬式が出来たわ。田舎のひい御婆ちゃん、そう、私の祖母が病院で亡くなったそうなのよ。八十五歳だったそうだわ。今日、御通夜で、明日は、葬式だから。御通夜は、今日、私と御父さんで出て来るから、美奈子は留守番御願いね。明日、美奈子が着る喪服も、準備するから。黒い靴下なら、美奈子は持ってるわよね?」
「うん。分かった。黒いハイソックスなら、あるよ。」
「優しい、面白い人だったのにね。」
「うん。」
母は涙目で、少女も表情が少し曇っている。
 ひい御婆様か。少女の、母の、そのまた母の、母が、亡くなったのか。御年齢の方だったか。御愁傷様ですな。生あるものは、いつか天に帰る、と。やはり自然には逆らえぬな。息とし生ける者は皆、死ぬ為に生れて来るとか、自己矛盾のもとにあるのだろうとか何とか、少女が本を読みながらそこだけ一部、朗読していたな。確か、仏教の本だった。思い出した。「仏教と精神分析」と言う本だ。今でも、まだちゃんと置いてあるではないか。そして、少女は、亡くなったその方の、ひ孫であったか。
 少女は、この夜、寂しそうな表情で、留守番をしながら、やはり本を読んでいた。何か、ティーカップに入れた御茶を飲んでいる。開けた袋には「カモミール」と書かれていた。
匂いからすると、安眠茶のようだ。もう怖い夢を見たくないから、今夜は安らかな深い眠りにつきたいか。それなら御茶の他に、ストレッチや深呼吸なども良いそうだぞ。
少女がベッド上でウトウトしている隙に、ティーカップに残されている、湿ったカモミールのティーバッグに取っ付いて、エキスを吸ってみた。臭くて苦かった。吾輩の口には合わないようだ。もういらぬ。
少女は起きると、やはり、ティーバッグも生ごみだからなのか、一階へ捨てに行った。きっと、それも、台所の流しに置いてある生ごみ入れに捨てるのだろうな。きっとそうだ。
この夜、少女は、前の夜のようにうなされてはおらず、静かにすやすやと眠っていた。カモミールと言う安眠茶が効いたのか?良かったな。

十五日目

 少女は、朝八時には起きて朝食を食べて部屋へ戻って来ると、真っ黒な服に着替え始めた。そして黒いハイソックスを穿いた。これが葬儀の時に着る、礼服なのか。喪服とも言っていたな。
「美奈子。御葬式は十時からだからね。私の実家まで、車で五十分はかかるから。火葬場はまたそことは離れた所にあるからね。準備は出来てる?」
「うん。大丈夫。」
 少女の母親も、真っ黒い、喪服で、黒い服に黒いスカートに、薄手の黒いストッキングだった。
 そして、九時頃、少女一家は、出掛けて行った。吾輩は、これまでよりも観葉植物が、苦い悲しみの味がしたような気がした。涙の味か?
 もう夕方。午後五時だ。少女は、帰って来ると、喪服も靴下も脱いで、Tシャツにジーパンと言う普通の服に着替えた。
「今日は、赤飯か。」
 そう言うと、少女は部屋を出た。戻って来ると、今度は、剥いたりんごと、一切れのメロンを大皿に乗せて持って来た。御供え物ではないのか。
 少女は食べ終わると、ベッドに横になり、ハードカバーの本を広げて読み始めた。
 今のうちに、メロンの汁を頂くとしよう。
 甘い!これは濃厚なメロンだ!りんごや苺よりもうまいぞ。果物の中では高級な物だな。これは。でも、今日は悲しかったそうだから、吾輩だけ喜ぶのは悪い気がする。
 それにしても、少女が黒い服を着るとあんなに引きし締まって見えるものなのだな。黒とは案外、女性の美しさを醸し出す色なのかも知れない。しかし、黒とは如何にも、雌の蚊とかが好みそうな色だな。黒い服を着ていると蚊に刺され易いとか何とか、これもラジオで聞いた事がある。
 ひい御婆様は、少女たちの事を、きっと、天国から見守ってくれているよ。

十六日目

 午前十時か。吾輩は、今日は朝から身体がだるい。昨日よりもだ。やはり吾輩も、もう年なのだろうか?
「久し振りに、清楚な格好して出掛けようかな。明日の御菓子、買いに行かなくちゃ。」
 そうか。明日が、パジャマパーティーであったな。御菓子などは、今日、買いに行くのか。やはり昨日は、葬式で忙しかったしね。
 すると少女は、半袖の白ブラウスに、紺のベスト、紺の膝丈スカート、白いハイソックスと言う服装に着替えた。確かに、清楚だな。それで、街へ買い物だけしに行くのか?
 そして少女は出掛けた。
 昨日のメロンは、うまかったが、あれも、悲しみの味、いや、あれは、幸せの味であったな。悲しみの後は、幸せがきっと訪れる。昨日までの幾つもの悲しみも、今日の道標だ。昨日の涙はきっと、今日の笑顔である。
 一時間半ぐらいして、少女は帰って来た。買い物のついでに、街ブラでもして来たのだろうか?
「ふう。私が買うのはこれだけ、でいいかな。祥子や文子は、何を買って来るかなあ。」
 美味しそうな匂いのする、御菓子だな。ジュースはきっと、冷蔵庫行きだな。そりゃ夏だから冷やした方がうまいであろうな。
 そして少女の携帯電話がまた鳴った。
「もしもし。あ、祥子?今?うん。まあ、暇だよ。さっき、買い物して帰って来たところよ。……うんうん。やっぱり、何を買ったかは、内緒よね。明日の御楽しみだよね。……それでラッキーな事があったの。街の御菓子売り場で、中年の男性店員が『可愛いね。』って、御菓子を幾つかオマケしてくれたの。」
 ほう。それはラッキーであったな。しかし、幸運と言うよりも、努力もあるのではないのか?少女は、顔と、髪型と、服装と、どれも可愛いからな。
「で、遠藤周作さんって、他に面白い本、ある?あ、そうなの。教えてくれてありがとう。祥子も、遠藤周作さんが好きなのね。……へえ、わざわざ新しいパジャマ買って貰ったんだ。ミッキーマウスの柄?いいね、それ。文子は、ドナルドやデイジーの柄のを持ってるって?あ、そうなんだね。昨日、文子に電話してくれたんだ。文子も大丈夫みたいで、良かったぁ。じゃあ、明日は、三人で、うちで楽しもうね。ちょっと狭い部屋だけど。」
 真昼間から、長電話のようだ。まあ楽しむが良い。
「え?逆ナンパしたら男の子がきっとついて来るって?私、ナンパとかはちょっと……私、引っ込み思案だし。祥子なら私より美人で声も綺麗だし、祥子ならうまくいきそうだね。でも、ナンパは私としては、あまり御勧めは出来ないかな。…うん。何だか怖いし。」
ナンパ?吾輩も、御勧めは出来ないがな。でもやはり、虫でも交尾するとしたらナンパする者もいるのか?
「うん。ちょっと長電話しちゃったね。じゃあね、明日は楽しもうね。」
 少女は電話を終えると、その服装のまま、ベッドに少しの間、横になった。
「あ、やだ。皺が寄っちゃう。もう着替えようかな。」
 やはり少女は、いつもの、Tシャツと、ジーパンのショートパンツに履き替えた。靴下は、そのまま穿いている。そして、少女は、少女漫画を読み始めた。
「はい、美奈子。クッキーとコーヒーよ。あら美奈子、そんな長い靴下穿いて、暑くないの?」
「今日、朝から試しに穿いて出掛けたんだ。勿体無いから夜まで穿いておこうと思ってる。御洒落だねって、街の御菓子屋さんの人が御菓子をオマケしてくれたの。」
「そう。良かったわね。」
 クッキーとは、吾輩はまたは初めて見る御菓子だな。綺麗だが、水気を含んでいる様子はないから、吾輩は頂けぬ。
 後、コーヒーとは?黒い飲み物だな。しかし、少女は一袋の砂糖と、ミニカップのミルクを入れて、茶色くなった。甘くして飲む物なのか?いや、黒いまま飲むのが好きな者もいるだろう?しかし、それでは苦そうだ。さすがにこの少女が好みそうな味ではないと吾輩は思う。コーヒーは、少しの砂糖とかを入れても、まだ甘苦いぐらいであろう。匂いで分かる。
 少女がトイレに行っている間に、ティーカップの内壁に付いた、コーヒーを、吾輩は頂いたのだが、案の定、やはり甘苦かった。吾輩は、こう言う者はほんの僅か、微量だけで良い。
 この夜、少女は携帯電話をいじっていた。メッセージを送っているのだろうか。
(メールだ。洋子からだわ。……あら、洋子、夏風邪、引いちゃったんだ。可哀想に。夏風邪って大変なものよね。こうメールを返しておこうっと。「無理せずゆっくり休んでね。洋子もいつか、うちへ遊びに来てね。」と。パジャマパーティーの事は、居間は言わないでおこうかな。何か、悪い気がするしね。さて、もう少し、ほんを読んでから寝ようかな。)

   十七日目

(朝ね。夜のパジャマパーティーまでに、パジャマを汚さないようにしなきゃ。脱いでしまっておこうっと。さて、着替えようかな。)
 そして少女は、いつものカジュアルな私服に着替えた。夜のパジャマパーティー、どのような光景か、吾輩も、眠くなければ見せて頂くとしようか。
 それにしても、また、昨日以上に、何だか身体が重たいぞ。まっすぐ飛べぬ……。吾輩、人間の年で言うと、何歳だろうか?もう、六十、いや、七十も八十にもなる老人かも知れぬな。吾輩は、一体いつまで持つのだろうか?最期の時、少女に、別れの言葉は、告げられるのか?いや、無理であろうな。少女は吾輩に、気付いてもおらぬだろうな。左手と右足が、何だか思うように動かない。多少は動かせるのだが。
 何とか、観葉植物の葉っぱに止まる事は出来たが……味も、これまでより薄く感じるぞ。年を取って味覚が落ちているのか?辛い物が欲しいのは気のせいか?しかし辛過ぎると、吾輩には劇薬になる。下手に辛い物は、頂かない方が良いか……?
 少女は、朝食から戻った後、漫画を読んでいる。少女漫画のようだ。頭を繊細にするには、少女漫画を読むのがまた良いかも知れぬな。
 それにしても、少女のパジャマは、上下とも薄い桃色に、上服は英語が印刷されたようなパジャマだな。友達は、どのような物を着るのだろうか?
 いかん。眠い。身体が重い。吾輩は、少し寝ておくとしよう。
 このまま、吾輩は息を引き取るのかと思ったが、まだ生きている。何と。もう夜七時だ。少女は、夕食を食べに行っているのか、部屋にはいない。もうすぐパジャマパーティーの時間であるから、さすがにもう出掛けたりはしないだろう。吾輩は、九時間ぐらいは眠っていたようだ。これで、吾輩も起きてパジャマパーティーが見学出来るかな。よし。
 八時頃に少女は、携帯を少し触った後、また部屋を出た。御風呂にでも入りに行ったのか。
(「うん。九時からだよ。待ってます。」と。)
 パジャマを着て戻って来たぞ。もうパーティーの時間は近いようだな。大いに楽しむが良いぞ。
 やがて、チャイムがピンポーンと鳴る。
「はーい!」
 二階の部屋から、玄関までその声は、本当に届いているのか?
 階段を降りる音の後、間も無く、倍ぐらいの騒がしさで、階段を上がる音がする。友達が来たようだ。
「うん。じゃあ入って。狭い部屋でごめんね。」
「御邪魔しまーす!」
「…御邪魔します………。」
先日の、少女の友人達だ。活発な少女の祥子と、大人しい小柄な少女の、文子だ。この家の少女を含めて、三人になるな。
「今日は、ゆっくり泊まって行ってね。」
「ここで着替えていいの?美奈子」
「うん。いいよ。」
「じゃあ着替えるね。御菓子の袋は隅に置くね。あ、私も文子も、御風呂は勿論、入って来てるから。」
「うん。じゃあ祥子と文子が着替えている間に、御菓子と飲み物、持って来るね。飲み物は何がいい?」
「ココアかな!」
「文子は?」
「じゃあ、私もココアで御願い。」
「うん。分かったわ。あ、ジュースは、コカ・コーラとバヤリースオレンジがあるからそれも持って来るね。」
 そして少女は部屋を出た。
 残った二人の少女は、パジャマをバッグから取り出し、着替え始める。活発な少女はオレンジ色のTシャツとジーパンのハーフパンツで、大人しい方の少女は、クリーム色のTシャツに、白い絹のハーフパンツだった。
 活発な方の少女は、意外にも胸が大きいな。大人しい方は、そうでもないが。まあ吾輩には人間の女に対する性的欲求は特にないのでどうでも良いがな。
「御待たせ。」
「わあ、凄いね!そのクッキー、高そうね!ねえ文子。」
「うん。そうだね。」
「祥子はミッキーの柄で、文子はドナルドか。」
「あら。美奈子は、英語が入ってるだけで他は無地なのね。ディズニートリオは無理だけど、私と文子でディズニーコンビね。」
「そうね。」
「ふふ。」
「……うん。」
 三人の少女は微笑んでいる。
「じゃあ、私も御菓子出すね。」
「じゃあ、私も……。」
「文子は、動物の形をしたビスケットか。可愛いね。」
「うん。」
「私のは、これよ!これ、とても甘くて美味しいから。」
「赤くて四角いチューイングキャンデーみたい。でもそこそこ固そうだね。」
「これ、カナダ産の飴よ。御父さんが、出張先のカナダで、御土産に沢山買って来てくれたの。」
「そうなんだ。凄い!」
「私はちょっとだけ家で食べたから、多目に、美奈子達が食べていいよ、これ。」
「ありがとう。」
「文子、ジュースも飲む?」
「うん。でも私、炭酸が飲めなくて。」
「そうなんだ。じゃあコーラは無理なのね。バヤリース飲めば?」
「うん。そうする。」
 大人しい少女は、頷くか合わせて返事するか、か。活発な少女が度々フォローしているな。三人の個性が出て来ているな。なかなか面白い。それにしても、うまそうな御菓子やジュースが沢山だ。コカ・コーラって、何だ?炭酸は、もしや辛いのか?でもコーラーはジュースだからそれ自体は甘いのだろうか?バヤリースオレンジは、イメージとして、甘そうなオレンジだな。砂糖が多そうでうまそうだ。
 そして、パジャマパーティーは始まった。
「美味しいね。この飴。祥子、ありがとう。」
「いえ、どういたしまして。御礼は私のパパに言って。なんてね。あはは。」
「文子も、これ、食べてみなよ。美味しいよ。」
「うん。……うん!甘くておいしい!」
「でしょ!」
「うん!」
 盛り上がっているな。吾輩は、本棚の天辺からじっくりこっそりと見学させて貰っているぞ。
「そう。美奈子の昔ながらのその友達、夏風邪引いたんだ。気の毒にね。夏風邪って、なかなか治らないでしょ。」
「そうだね。でも夏風邪を引いた分、スイカとかりんごとかポカリスエットが、よりおいしいんだって。」
「そう。熱が出ると、水分や糖分が取られるもんね。」
「早く治るといいな、洋子。」
「ねえ、美奈子。話変わるけど、最近は漫画はどんなの読んでるの?」
「え?うん。少女漫画なら、五十嵐かおるさんの『いじめ』シリーズとか『学園クライシス』かな。他は、『苺ましまろ』とか『よつばと!』とか。」
「そうなんだあ。文子は?」
「漫画は、『あさりちゃん』を全巻読んだよ。他には『地獄少女』とか。」
「あさりちゃんって、あの、丁度百巻で完結したギャルギャグ漫画よね。私も何冊かは持ってる。文子は全巻読んだんだ。凄いね。で、私だけど、『ガラスの仮面』とか『ベルサイユのばら』を読んでるよ。あ、『あずまんが大王』なら、アニメは全部観たわ。美奈子は、他には?」
「『妖怪人間ベム』なら、アニメもコミックも見たよ。ストーリー漫画なら、森薫さんの『英国恋物語エマ』とか『シャーリー』かな。」
「そう。英国恋物語エマは、私は、アニメでなら観たかな。『ゲゲゲの鬼太郎』は、コミックで読んだよ。アニメは少ししか観た事ないんだけど。でもやっぱり、ゲゲゲの鬼太郎は、アニメのイメージが強いね。アニメは何度もリメイクされてるし。」
「うん。私もそう思うな。」
「でしょう。美奈子。あ、文子、動物ビスケット、頂くね。」
「うん。いいよ。」
「ぷふぁあーー!コーラはやっぱり、炭酸と甘味が効くねえ!」
 親父みたいな少女か?祥子とやらは。まあ良い。それぞれの個性であり、考え方も思惑も趣味も十人十色だ。
「そうだ。美奈子が好きなアーティストは?」
「私?私、最近の人達は分からなくて…昔、流行った人が主かな…。あみんを再結成した、岡村孝子さんが好きなんだ。ソロの岡村孝子さんと、あみんのCDは、昔から全部レンタルしててお気に入りをMDに撮ってる。後は、DEENとか、キロロとか、岡本真夜とか、後、まあまあの売れ行きの、あの弾き語りの伊達眼鏡を掛けた、奥華子さんかな。あ、後はZARDが好きだったな。ボーカルの坂井さんがもう亡くなっていないけど。」
「そうなんだあ!いいじゃない!渋いわね。私は、コブクロとか、EXILEとか、きゃりーぱみゅぱみゅとかが好きだな。あ、ZARDは私も好きだよ!『負けないで』とか『揺れる思い』とかがいいよね!美奈子はZARDで何の曲がいいの?」
「私は『少女の頃に戻ったみたいに』とか『さわやかな君の気持ち』とかかな。」
「成る程、成る程。あ、文子、ごめんね。文子は、好きなアーティストは?」
「私は、元TMネットワークの、宇都宮隆さんかな。」
「そうなんだ。」
「うん。御父さんが宇都宮隆さん前から好きで勧められて……。歌詞とか聞いていて共感出来るってやっぱり、私もそう思ったの。」
「そう。いいわね。」
「私は、DEENの歌の歌詞が、特に共感出来るかな。分かる分かる、その気持ち、みたいな感じかな。」
「やっぱり、自分の気持ちや自分の感性を揺さぶるような歌がいいよね。」
「うん。」
「……うん。」
 話に花が咲いているな。しかし、その花は実際に咲いている花ではないから、吾輩は見る事も出来なければ、エキスや蜜を頂く事も出来ない。まあこれは一つの例えである。文学ばかりでなく、漫画や歌の話だけでも、三人といればレパートリーも豊富だ。「女三人寄れば姦しい。」とはこの事か。いや、姦しいとは、やかましいと言う意味だな。別にそうやかましいとは思わぬが……。
「でね、安倍公房さんの小説、深くて文章が論理的で難解なの。『砂の女』とか『壁』が好きだな。もう亡くなってるけど、さすがは、東大医学部卒の作家だって思うわ。」
「そう。安倍公房さんは知らなかった。祥子は、やっぱり凄いな。文子は、安倍公房さん知ってる?」
「知ってる。でも、私はまだ読んではいないの。御姉ちゃんが、高二の国語の教科書で出てるって言ってた。御姉ちゃんは、安倍公房さん全部読んでるんだって。評論の『砂漠の思想』や、小説なら『砂の女』や『密会』は面白くて好きって言ってた。でも『燃え尽きた地図』は、最後、腑に落ちないから今一つって言ってた。」
「そう。そう言えば、文子の御姉さんは、国立文系の大学だもんね。そして、御父さんが編集長だったね。」
「うん。御姉ちゃん、御父さんから安倍公房ぐらい読めるようになれと、厳しい口調で言われて読んだら、本当に安倍公房さんのファンになったんだって。」
「そうなんだ。いつか私も読んでみようかな。」
「うん。御姉ちゃんから借りて来てあげる。」
「うん。ありがとう。」
「あ、美奈子。私のを貸そうか?『砂の女』は、特に御勧めよ。」
「ありがとう。じゃあ今度の機会でいいわ。」
 やはり、あの活発な少女は、三人の中で一番優秀なようだ。才色兼備で文武両道らしい。後の二人の少女は、やはり純粋で少女らしいと思う。
「でね、夏目漱石さんの『こころ』と言う小説の中に『向上心の無い者は馬鹿だ。』と言うのがあって、やっぱりそこが印象に残ったかな。」
「そうね。向上心は大切だと思うよ。美奈子。そして文子もね。上には上があるから、うまく行っても天狗にならずにより上を目指して頑張れって事だと思う。」
「だよね。」
「うん。」
 向上心、か。上には上がある、と。その通りだな。他には、猜疑心とか恐怖心とか平常心とか、人間が持つもの、持たなければならないものは、沢山あるであろうな。吾輩にはどうも計り知れぬ。
「美奈子のこのクッキーも、美味しいね。」
「うん。結構、高級なんだ。これ。」
「よく選んだね。別に私達に気を使わずに、折角、御小遣い貰ったなら、本とか買っても良かったんじゃない?」
「ううん。そんな事ないよ。皆に食べて貰いたかったから。祥子も、この飴、ありがとう。文子も、動物ビスケットとか、コンニャクゼリーとか、ありがとう。」
「もう、水臭いなあ。いいってば。」
「うん。」
 御互い気の配り合い、だな。ナイスなメンバーだ。和気藹々と親睦を深めて行けているではないか。このまま友達関係がうまく行けばそれに越した事は無いであろう。
「何とか、布団敷けたね。狭くてごめん。」
「ううん。いいよ。綺麗な部屋じゃない。衛生管理もしっかりしてるし、虫の気配一つしない感じよ。」
 虫の気配一つ、しない?吾輩は、そんなに存在感が無いか?
「私、三箇所も部屋で蚊に刺されたの。美奈子の部屋は、やっぱり蚊はいないかな。」
「かなあ。見た事は無いんだけど。見た事ないだけで、何処かに隠れてるかも。
「蚊って、雌しか血を吸わないんだよね?」
「うん。そうだね。」
「雄の蚊が潜んでいたりしてね。美奈子なら、見付けたら名前付ける?」
「え?蚊に名前?付けた事ないんだけど、付けるとしたら……。」
「付けるとしたら?」
「チャッピーとか。」
「チャッピー?可愛いね。雄の子犬とか兎に付ける名前みたいだね。」
「うん。あ、もしくは、ソレイユって付けるかも。ふふ。」
「ソレイユ?フランス語で、ひまわりって意味だよね?」
「うん。岡村孝子さんの歌で『ソレイユ』があるから。」
「美奈子も、渋いんだね。」
 チャッピー?ソレイユ?吾輩の名が?まさか。吾輩は、生涯、無名になると思うのだが。さすがは空想好きの文学少女だな。もしも、の話か。しかし、吾輩と言う蚊は、ここにちゃんといるぞ。でも、下手に姿を現さない方が良いかも知れないので出て行くのはやはり躊躇するな。優しそうな少女達ではあるのだが。
「アントニオとかもいいかもね。美奈子。」
「アントニオ、かあ。」
「まあ私は虫とか魚とか、野良猫とかには別に名前は付けないけどね。金魚を五匹飼ってるけど、名前は別に付けてはいないよ。そうだ。文子は、ペットは飼ってる?」
「うん。雌の白猫一匹いるよ。」
「名前は?」
「ユキ。」
「そうなんだ。私なら英語でスノーにするかな。美奈子は、白猫を飼うとしたら、何て付けるの?」
「シエル、かな。」
「シエル?」
「フランス語で、『天』とか『空』を意味するの。岡村孝子さんの歌で『オー・ド・シエル』ってあるんだけど、『天の水』って意味だよ。」
「また岡村孝子かあ。岡村孝子さん、本当、好きなんだね。バラードが多いもんね。」
「岡村孝子さんも、文学少女らしいよ。女子大の国文科中退らしいけど。ウィキペディアとかで調べたの。」
「ウィキペディアかあ。なかなか嵌まるよね。私も、昔見た漫画や映画の登場人物とか、まだ見てない作品の粗筋とか、色々な設定を見るのが楽しくて。私もウィキペディア大好きだよ。便利よね。」
「うん。そうね。」
「あ、もうこんな時間。そろそろ寝る?もう夜中の十二時過ぎだね。」
「そうだね。」
「文子も、もう眠い?」
「うん。少し。」
「そう。じゃあ寝ようか?楽しかったね。今日は。いや、昨日と今日は、か。ふふ。」
「うん。美奈子と文子が来てくれてパジャマパーティー出来て、楽しかったな。」
「じゃあ、御休み。美奈子。文子。」
「うん。御休み。」
「御休みなさい。」
 吾輩も、眠くなって来たな。寝るとしよう。明日、いや、もう今日だな。吾輩も休むとしよう。少女達よ、暫し休むが良い。

   最終日

吾輩が目を覚ました頃には、もう少女達は私服に着替えていた。
「御母さんが三人分、朝御飯、作ってくれてるんだ。食べようよ。」
「うん。ありがとうね。じゃあ食べに行くね。」
「うん。ありがとう。美奈子。」
吾輩も、観葉植物のエキスを頂こう。お、コカコーラとはどんな味か?吾輩は、コップの水滴を吸う。甘辛い。そしてしゅわっと刺激が来たな。これを人間は、辛いとも言うのか。バヤリースとか言うオレンジジュースは?おお!大そう甘い!オレンジにしては非常に甘くされているな。では、ココアは?砂糖が多いようだ。原料は苦いとか、ココアは風邪に良いとか何とか少女達が話してはいたが……。只今、吾輩は、御馳走様である。う……。身体が…身体が…吾輩……もう……。
「祥子。文子。忘れ物は無い?」
「うん。大丈夫。美奈子の御母さんが特別に作ってくれたフレンチトースト、美味しかったよ。またもありがとう。」
「ありがとう。」
「またパーティーしようね。」
「うん!じゃあまたね!ありがとう。バイバイ。美奈子。また二学期ね。」
「さよなら、美奈子。」
「うん。祥子も文子も、気を付けて帰ってね。」
 少女の…友人達は、……帰って行ったか…。楽しめて良かったな。少女達よ、そして日本の皆よ、頑張って暑い夏を乗り越えてくれ……。そして、秋が来て、冬が来るであろう。
 そして、黙って吾輩をこの家に住まわせてくれた、少女に捧ぐ。これからも様々な事に遭遇するであろう。大変な事もあるだろうが、雨にも風にも負けず、猛暑にも負けず、毎日突き進んでくれ。そして夢を叶えよ。人生、山あり谷あり、だ。泣いたり笑ったり、転んだり立ち上がったり、それが人生であろう。大人も子供も、男も女も同じだ。昨日の涙が明日の笑顔になるように。昨日の夢が、今日の希望であり、明日の現実となるように。
 文学は…人間成長には大変良いものだと吾輩も思う。教養を高め、人格を養いもするであろう。家族や友人といる時間も、そして一人の時間も大切にするのだ。
 吾輩は、もう駄目だ……次は、何に生まれ変わるであろうな?人間か?魚か?いや、それともまた虫か?また蚊か?いや、蠅かも知れぬし、……蛾かも知れぬし、……もしかしたら蛙やヤモリかも知れぬ。まあ先の事は分かりはしない。これは吾輩が決められる事ではない。神、いや、自然が決める事だ。
 吾輩は、少女の部屋の、食卓の上の、御菓子があった御皿の上で横たわっている……甘い匂いだ。でも水気は無い…から…吾輩の食べ物ではない………。吾輩のこの声は…少女には届かぬが、…どうか、風の声でも聞いていてくれ。少女の夢の中にでも、吾輩が現れたなら、宜しくだ。少女よ、さようなら、また、どこかで会えるその日まで……。
「あら。蚊だわ。いつからいたのかしら?こうして見ていると、蚊って、可愛いな。チャッピー。ううん。ソレイユ。元気でね。そうだわ。蚊を主人公にした小説でも、書いてみようかな。」
                                       了


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