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ブルームーンセレナーデ chapter 4

どんなスターもレイコの前ではただの人


ハワイ、オアフ島。
海に面して立つ小さな白い建物は、人々の記憶の中で今も生き続けている。
賑やかな笑い声とコーヒーの香りが、目を閉じれば波音とともに蘇る。
その店の名前はブルームーン。
人々に沢山の思い出を残した店の物語。

🎵

その日は午後から雲が広がり、風が出てからは急に天気が崩れて雨が降り始めた。
ヤシの木は大きく葉を揺らし雨に煙る。
気温も下がり、常夏ハワイでもTシャツ一枚というわけにはいかず、予想外の荒天にノースショアを訪れていた観光客は早々にワイキキへと引き上げて行った。
今日はこれ以上のお客は望めないと思ったユウサクはレイコに店を任せて、体調を崩しているナカタの様子を見に行くと言って帰って行った。
天気が良ければきれいなサンセットが見られる時間だったが雨足は強まるばかりだった。
レイコは伝票の整理をしたり店の掃除をしたり日頃できないことをやりながらとりあえず店を開けていた。
昨日入荷した商品がまだ段ボールに入ったままで、その片付けが終わったら店を閉めようと思っていた。
天気が崩れたせいでいつもより暗くなるのが早く感じられた時、ヘッドライトを点灯した車が駐車場に入ってきて停まったのが見えて、レイコは店の外壁のBlue Moonの文字を照らすライトを消そうと伸ばした腕を下ろした。
女の子が車から降りてきて、それを追うように父親らしい男も雨に打たれながら店に入ってきた。 
小学生、2、3年生だろうか。ハワイに来て買ったと思われるTシャツを着ていた。
「まだ大丈夫ですか?」
駐車場から店まではほんの数メートルなのにふたりの髪から雨が滴り落ちている。
「ええ、大丈夫ですよ」
と答えながら、レイコは一旦カウンターの奥に入り、タオルを持っきてふたりに手渡した。
「なにか娘に食べさせてもらえませんか」
男が女の子の髪を拭きながら言った。

🎵

ユウサクが念の為にと作っておいたタマゴサンドとツナサンドが役に立った。
女の子の名前はカレン。夏の恋と書くと父親が言った。
「すごくおいしよ、パパも食べて」
カレンは自分が齧ったタマゴサンドを父親の口に押し込む。
まだ父親の口の中にタマゴサンドが入っているのもお構いなしに続けてツナサンドも食べさせる。
父親は娘に強引に食べさせられて口の端に卵がついたまま
「美味いなぁ。この卵もだけど、こんなツナサンド初めて食べた」
とまだ皿に残っているツナサンドに自ら手を出した。
「ツナもうちで作ってるよの」
「缶詰じゃないの?」
カレンが大人びた口ぶりで言う。
「マグロを買ってきてここでツナを作ってるの、うちのシェフがね」
「だから美味しいのね」
サンドイッチを頬張る娘に父親は目を細めている。
カレンはオレンジジュースを飲み干すと両手を合わせてごちそうさまとまつ毛の長い目を閉じて小さく頭を下げた。
「カレンちゃんは旅行でハワイに来たの?」
レイコは父親のカップにコーヒーを注ぎながらカレンを見る。
「うん。パパとママはりこんして、ママはさいこんしたの。私はいつもはママとくらしてるけど、ママは赤ちゃんが生まれるからにゅういんしてて、だからパパとハワイにりょこうにきたの」
レイコが父親に視線を送ると、彼は小さく頷いた。
「しかたないじゃない、人間いろいろあるのよ」
「カレンちゃん、大人だねぇ」
「笑っても泣いても人生は一度きり、ってママが言ってた」
「そうよね、だったら笑ってた方がいいもんね」
「パパも近くに住んでるからすぐ会えるし」
「パパはどんなお仕事してるの?」
「バンドだよね」
レイコは改めて父親を見た。
たしかに会社勤めのサラリーマンという雰囲気ではない。
バンドね、そうか。
結婚して子供が生まれて、それでも音楽を諦めきれなくて、だから生活が不安定で奥さんに愛想を尽かされて離婚しちゃちゃったのか、と内心憐れに思った。
そろそろ40に手が届きそうな年齢で、仕事もプライベートも大変なんだろうなぁと思ったが娘との関係が良好なのはなによりのことだ。
「なんていうバンドの名前なの?」
「レーヴよ」
「どんな意味なの?」
「フランス語で夢だよね、パパ」
レイコの質問に答えるのは専らカレンだった。

🎵

翌朝は昨日の雨が嘘のような快晴となった。
先にユウサクは店に来ていて、朝早くにサンドイッチを買いにくる地元のお客さんの相手をしていた。
今日は昨日の荒天の反動でノースショアにやってくる観光客が増えるだろう。
レイコに気付いたユウサクが厨房から出てきた。
「レイコ、カウンターに置いてあるCDどうしたの」
「あ、それね、もらったの」
昨日カレンが、お礼にCDをレイコさんにプレゼントしたら、と言うのでもらってカウンターに置いたままにしていた。
「レーヴのサイン入りじゃない」
そういえば、カレンがパパ、サインしてねと言っていたような、とレイコは思い出す。
「ユウサク知ってるの」
「知ってるよ、レイコこそ知らないの」
「うん、知らない。昨日このバンドの祥平さんってひとがお嬢さん連れて来てくれて、それでもらったの」
「えー、マジで」
「レイコ、あのさ、めっちゃくちゃ売れてるんだよ、レーヴ」
ユウサク曰く、レーヴは武道館ライブとかドームツアーとかやっていて、ユウサクはこの間日本に帰った時にライブに行きたかったけどチケットが取れなかったと。
「へぇ、そうなんだー。そんな風には見えなかったけど」
「レイコ、日本のテレビとか観ないの」
「観ない、かな」
ユウサクは早速CDをかける。
「あー、俺も昨日店に残ればよかったよ」
美しい男声ファルセットが静かに流れ始める。
Somewhere over the rainbow
Way up high
「へぇ、これ祥平さんなの」
レイコはバンドと聞いて激しいドラムの音や掻き鳴らされるギターの機械音を想像していた。
「ロックも歌うけど、とにかく祥平の声がいいんだよ、歌が上手いんだよ」
ユウサクはカウンターに肘をついて曲に耳を傾け、CDジャケットに書かれた祥平のサインに見入っている。
「そうそう、3人で写真撮ったのよ」
「まじで」
レイコのスマホを覗き込みユウサクが悲鳴をあげる。
「あー、あー、あー、レーヴの祥平だよ、間違いないよ。いいなぁ」
「ノースに泊まってるって言ってたし、ユウサクのサンドイッチすごく気に入ったみたいだったからまた来てくれるかもね」
ユウサクは被っていたキャップを後ろかぶりにして
「祥平がまた来てくれるかもしれないからな、上手いもの作って待ってよっーと」
と言ってキッチンへ戻って行った。
なんだ。そうなんだ。
祥平さん、売れないバンドで苦労してるんじゃなかったんだ。
結構くたびれたようなTシャツを着ていたし、これ見よがしにブランド物を持っていたわけでもないし。
俺はスターなんだ、みたいな嫌らしさは微塵も感じられなかった。
お忍びのふりをして、ちやほやされることが目的で来るような芸能人もいるけれど、そんなひととは全然違っていた。
カレンちゃんのいいパパで、物静かな感じで、なかなかイケメンだったし、それにこの歌声。
そうよね、売れてないはずないか。
レイコはあまりにしょげているユウサクがおかしくもあり、気の毒でもあり、でもまたきっと祥平とカレンが来てくれるような気がしていた。
店の海に面した大きな窓には昨日の雨の跡が残っていて、レイコは外に出て窓を磨き始めた。
朝のノースショアの海の上には白い月が残り、彼方の空に湧いた雲が海に雨のカーテンを降ろしていて、そこに現れた光の帯、レーヴをケイコは見つめていた。

この物語は私のお友達のKEIKOさんにヒントをいただいて書きました。
Mahalo!

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