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ある作曲家の帰天に想う

春天の 雲間に覗く 陽の光
求道ぐどうのひとの 御霊みたま誘わん

桃の節句の日の夜、作曲家の篠原しのはらまこと先生ご逝去のニュースが流れてきた。
国際的に活躍された方である事は言うまでもないが、私の所属する日本現代音楽協会でもご縁があり、昨日はそのご葬儀が営まれるという事で、式場となる四谷のイグナチオ教会へと向かった。

十年近く前になるだろうか、現音の企画で五弦ヴァイオリン独奏とコンピュータのための作品《Mirage》を発表した時にお声をかけてくださり、特にその電子音響部分について過分な評価のお言葉をいただいた。以後、現音総会などの折にお話させていただいたり、会誌〈New Composer〉のインタビューに同行したりもした。

そのインタビューでお宅におうかがいした頃、メシアン (Olivier Messiaen, 1908-92) の『リズム・色彩・鳥類学の概論 (Traité de Rythme, de Couleur et d'Ornithologie, Ed. A. Leduc)』第1巻に詳細な書き込みを入れて精読されていた(ちなみに篠原先生とその師であったメシアンは誕生日が重なる)。その時メシアンのリズム論や〝鳥の歌〟、グレゴリオ聖歌解釈についての見解など、限られた時間の中で議論したのだが、それ以降そうしたお話の機会を持たぬまま今に至ってしまったのが心残りでもある。

篠原先生が病床洗礼を受けられていた事を初めて知った。霊名(洗礼名)は〝使徒ヨハネ〟–––– 四福音書(新約聖書)記者のひとりとして知られる聖人で、アレゴリーでは天空の高みから地上を俯瞰して真理を達観する〝鷲〟として描かれる。

葬儀ミサの福音朗読の箇所にある聖句:

私は道であり、真理であり、命である。
Ego sum via et veritas et vita.

ヨハネ福音書14:6

Via, Veritas, Vita ––– ラテン語訳ではいずれもVで始まる。
この3つのVを追い求める事は、創作を生業なりわいとする者の誰にも通ずるのではないか。真理を求めて〝作り込む〟道なき道を進み、その作品の中に生命を見出すという〝求道ぐどう〟の姿勢である。

篠原先生がひとつの作品に対して発表後も推敲を重ねられていたとの話をうかがい、そこに求道の人の心を見た。そうした生き方を天がみそなわしたのだろう、御出棺の時には曇天の雲間が晴れていた。善き人の帰天の時に天の雲が拓けるのは、これまでにも何度となく経験している。

Requiescat in pace.

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