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好き?好き?大好き?

R.D.レインの『好き?好き?大好き?』が文庫版で復刊されました。精神科医の彼が患者と向き合うなかでみてきた、彼、彼女らの言動や思考、それらを詩という形で文字に書き起こしたのが本作です。ただの詩集だと思って手に取ると度肝を抜かれること必至でしょう。しかし、ただ強烈な文字が並んでいるわけではない。レインは反体制的、反精神医学的な考えをもっており、患者を精神疾患たらしめる原因はその家族や精神科医にあるのとしている。つまり、精神分裂病患者は善であって、彼らを被害者にしているのは家族や精神科医という悪であるという、善悪二分法。そういう前提をもってして本作を読んでみると、対立構造が明確化され理解がしやすいかもしれない。けれど、そうした「理解しようとする」気持ちがそもそも精神を病んだ者にとっては余計なお世話なのです。一見、弱った彼、彼女らに寄り添おうとしているように見える行為なのだが、所詮「不可解なのは不愉快!」という読者が、自身らが理解した気になってスッキリするために無理やり筋を通そうとしているにすぎない。だから、極力フラットな気持ちで、余計な前提知識や先入観をもたずに読んでもらいたいです。

『好き?好き?大好き?』を読んでいると、本来、人が発する言葉というのはこういうものなのではないか、と感じさせられます。たとえば、今僕はこうして文章を書いていますが、頭のなかにある思考をダイレクトに打ち込んでいるわけではありません。脳内で散らばっている単語や考えを、どうにか他者に伝えられるよう、文法というルールに則り文字を並べることで、文章の体を成しているのです。この変換作業を言語化などと言ったりするのでしょう。けれど、そんな装飾まみれの文字列は果たして本物なのか。コミュニケーションをとる上で大事なのは分かるのですが、それは言葉というより記号。思考という実態を持たないものを他者と共有できる形にしている時点で、どんな言葉も本物ではないのかもしれません。けれど、本書にかかれている言葉はきわめて純度が高い。頭の中にある思考や感情を、極力加工せずに吐き出している。いま、このような文章をお目にかかれる機会は少ない。リアル社会ではもちろんのこと、ひと昔前まで混沌としていたインターネットも、今や炎上という名の私人による言論統制が蔓延り、誰も思ったままの言葉を発信することができない。加飾まみれで偽りの言葉ばかり。自分だってそう。いくら何年も繋がっているフォロワーであっても、変なやつだと思われたくない、やばいやつだと思われたくない、そんな恐れから、綺麗に整えられた文字列を発信してしまっている。

もちろん、僕は表題作の『好き?好き?大好き?』が大好きです。わざわざ僕が言うのもおこがましいですが、村上光彦氏による翻訳も素晴らしすぎる。原題『Do You Love Me?』を『好き?好き?大好き?』ですよ。夏目漱石が「I Love You」という英文に対し、日本人が愛しているなどと直接的な表現をするものか、と「月が綺麗ですね」なんて訳したとか訳してないとか、真偽はさておき、こちらも秀逸な翻訳として有名ですね。「love」を日本語に置き換える上で、日本人特有の奥ゆかしさを表したなんとも趣深い訳だと思います。他方、村上光彦氏による「Do You Love Me?」の訳はほぼ正反対。もちろん、言葉なんて状況によってニュアンスが異なるのですから、どちらが正解だなんて無いです。けれど、この詩の内容を鑑みて『好き?好き?大好き?』という訳を思いつくセンスに脱帽です。直接的な気持ちの表現なのですが、愛しているではなくあくまで大好き、というところが良い。詩で登場する「彼女」に幼稚性(ピュエリリズム)が見られるところから、愛しているという子どもらしからぬ表現ではなく、大好きになったのですね。

僕は、詩で登場する「彼女と彼」みたいに、思ったままの気持ちを伝え合える相手がいればなあ、なんて理想を思い描いているわけではありません。事実、僕は約9年間一緒に暮らしてきた彼女と、毎日のように「好き好き大好き」と言葉を交わしてきたのです。彼女は「いつもおなじことばかり言っていてごめんね」とよく謝りました。けれど、僕は毎日何十回でも好き好き大好きと言ってほしい。そして自分もしつこいくらいに言う。僕のように心の不安定な人間は、人の気持ちがいかに簡単にうつろうものか、よく知っている。だから、仮に「好きだよ」と言われても、1分後も相手が同じ気持ちかどうか分からない。ゆえに、常に好きと言ってくれないと不安なのだ。「私と仕事と、どっちが大事なの」という定番の質問がありますが、恋人や妻からこの質問を投げかけられて理不尽だと感じたり、あるいはイラっとしてしまう人はきっと心が健康なのでしょう。この質問に対する答えなんて、1つしかない。というか、僕は1つしか思いつかない。きみ以外に大事なものなんて、この世にはないんだよ。

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