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気持ち悪いぞ、いい加減悟れ

4月も後半。新社会人たちは「指示を待つのではなく、自ら率先して動こう!」「なんで勝手に言われてないことをするの?」という相反する2つの口撃を受けるという、脱ビギナーの登竜門に立ち向かっている頃でしょう。こうした理不尽に思える指揮命令というのは往々にしてある。それらは矛盾しているようでどちらも正しい。ただケースバイケースであるというだけだ。いずれにしても、それを絶対的なルールだと思い込むことが「言っていることが違うじゃないか!」という不満を生む原因となる。人間関係におけるルールというのは一貫して正しさが保証されたものではなく、あくまでその場のみで通用するものだ。「自分で考えて率先して動け」という指令が正しい場合もあれば「勝手な判断で動くな」が正しい場合もある。それらを状況に応じてうまく使い分けられる人が”優秀な人材”という評価を受けるわけだ。ポケモンバトルにおいて、対戦相手とのタイプ相性に応じて繰り出す技を変えるのと同じ。

人間は生まれながらにして不平等だ。だから当然、脳内で臨機応変にルールを使い分ける能力だって個人差がある。特に意識せずとも感覚的にやってのける人もいれば、そもそも状況によってルールが変わるという事実に気づかない人もいる。後者は空気の読めない不穏因子として集団から疎まれ、結果として異動、左遷、リストラなどの処遇を受けることとなるでしょう。それが我々ホモ・サピエンスの常なのだ。

僕はたいへん内気な性格ですが、会社内では元気なキャラクターを演じていました。

しかし自分を偽り続けることに限界を感じてきて、近頃は割と素に近い状態で振る舞っている。すると、どうしても隠しきれぬ陰のオーラが弾け出してしまうのだ。こじらせた日本語の文章、笑えぬ自虐ネタ、見たものに不快感すら与えるオタク話。以前「チームの雰囲気が堅苦しいから、もっとくだけて軽いノリでいこう」みたいな提案があったものだから、それを真に受けて調子にのった末、随分と周囲から奇異な目で見られているのを感じています。ただの自意識過剰という線も捨てきれませんが。けれど、明らかに自分が浮いていることを察知しているんだ。僕以外の人が書いた日報には、他の人たちからスタンプによるリアクションやコメントが付いたりします。僕の日報に対しては、基本的に誰からも反応はない。書いてある内容が気持ち悪いからでしょうね。

素を出すことは間違いではない。が、素を出していいタイプの人とそうでない人がいる。僕は基本的に素を出しちゃいけないタイプなんだ。もちろん、周りの人間との相性や、どれだけの割合で素を出すのかなど、その他の複雑な要素も関わってくるので一概には言えない。少なくとも今の会社で半年働いてみて、チームメンバーの様子を伺ったところ、僕は素を出すことで己の立場が危ぶまれることを悟った。素の自分を受け入れられたくて、もっと他の人たちと打ち解けたくて、自身のことを包み隠さず全力全開で解き放った結果、ただ「キモくて痛い奴」という烙印を押されただけだった。

甘かった。ツメも意識も何もかもが。なぜ僕のような怪異がまともな大人と仲良くできると勘違いした。周りが優しくしてくれるから。怒らないから。何でも受け止めてくれる気がしたから。違うよ。それは他人に興味がないことの表れだったんだ。そこにもっと早く気づけていれば、僕は深傷を負わずに済んでいたのに。裏切られた、とか、もうコイツらのことは信用しない、とか、被害者ヅラはしないさ。勝手に尻尾を振って付きまとっていたのは僕なのだから。けれど、これ以上はもう御免だ。今までのままでい続けたって誰も得をしない。だったら、今後は毅然とした態度で労働に励むべきだ。しずかなること林の如く。

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