校則のはなし

最近(というかつい昨日)、ツーブロック禁止という校則に対してTwitterが盛り上がっていたので、なんとなく思っていることを書きたいと思います。

結論から言うとわたしはこの校則はあってもいいんじゃないかなあと思っています。まあ、行きすぎた指導、行きすぎた校則(下着の色を指定するなど)については正していくべきだと考えていますが。

校則があってもいい理由について、今回の例を使うと、「ツーブロックをしてはいけない」に意味があるわけでなく、「ツーブロックをしてはいけない、というルールを守ることもっと」に意味があると考えているからです。もっとわかりやすくするために、宿題を例にだして見ていきます。


「頭がいい学校は宿題が少ないらしい」

こんな話、聞いたことありませんか?当事者だった人たちももちろんいるかもしれません。

なんで宿題が少ないのか、それは「宿題というルールを定めなくても」自分で学習する力がついているからです。逆に、自分で必要な学習を選びとる力が少し足りていない場合は、宿題という形でやるべきことを提示してもらったほうが効率的に学習することができるということです。宿題はやろうね。

これがどうやって校則に当てはまるのか?

校則とは、「ルールを守ること」を学ぶためにあるんだと思います。「学校にあるルールを守る」ことで社会に出たときにルールを守っている行動をきちんと選べるようになろう、そのための校則だと思います。

同じような理由で、頭の良い学校では校則がないことが多いです。頭の良さ=社会秩序が守れる、ではないですが、ルールを定めなくてもある程度正しい行為が取れるということは事実です(宿題を出さなくても単位を取れるくらいの学びができる、みたいな)。

逆に考えると、校則を破ることは学校が定めたルールすら守れないのに、社会に出たら何が守れるのか?と捉えられてしまう可能性も考えられます。もちろん社会のルールを守らなくては!という意識はみんなあるとは思いますが、「ルールを破ること」へのハードルは校則を守っている人よりも低いかもしれません。

まとめ

校則はルールそのものではなく、「ルールを守ること」に意味があります。つまり、「校則の厳しさ」自体に意味があるということです。先に書きましたが、もちろん行きすぎた校則は是正されるべきです。でも校則があることに意味がある、ということを忘れないように生きていくことは大事です。みんな校則は守ろうね!あと教育委員会は結構大変なので責めないであげて…


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