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Sweetie

 ru♡が写真を送付しました。
 ワンテンポ遅れて、「いまおきた」のメッセージ。
 チャットアプリのポップアップ通知が立て続けに2件届いたのを見て、もうそんな時間か、と画面右上の現在時刻を確認する。「おそよう」と返信すると、瞬く間に既読が付いて、照れ笑いするうさぎのスタンプが送られてくる。「きょう」「19じ」「に」「しんじゅく」「ひがしぐち」「でいいですか」という文章を漢字に変換している間に、「まちあわせいつもどおり?」とメッセージが飛んでくるので、OKのスタンプで返信の代わりとした。
 親指で画面を下にスクロールし、メッセージの応酬で流れてしまった写真を確認する。
 少し寝癖の付いた黒髪、すっかり前髪が上がって露わになっている額、整えられた眉に長いまつげ、少し色素の薄い黒目がちな目、若くてハリのある白い肌に、桃色の薄い唇。少し毛玉の付いたオフホワイトのルームウェアは、毛足が立っているのが特徴なのに、毛足は潰れて完全に寝てしまっている箇所もあるし、襟ぐりは伸びきってしまっているため、骨張った鎖骨が露出している。人物にピントが合っているため背景にはボカシがかかっているが、そのぼやけた背景でもベッドの上に化粧品やお菓子の空き箱が捨てられずに散乱しているのが見て取れる。
 そんなだらしなさがどうでもよくなるくらい、写真に大きく写っている人物、《ゆる》ちゃんは、圧倒的美少女の輝きでこちらに微笑んでいる。
 うん、今日もかわいい。
 セットされてない髪にノーメイク寝起きでこんなに可愛いなんて信じられない。しかもそれを写真に撮って、他人に送るなんて、わたしには到底できないな、と思う。ダウンロードアイコンをタップして画像を保存する。あとでゆるちゃんアルバムに追加しておかねば。
 忘れないうちに画像を保存するという超重大ミッションをこなして一息つくと、彼女の部屋の荒れ具合がじわじわ気になってくる。ゆるちゃんは片付けや部屋の掃除が大の苦手だし、また家に上げてもらう機会があったら、掃除係を買って出ようかしら。もちろん、ゆるちゃんが嫌がらなければだけど。などと、母親みたいな感想をもってしまう。わたしがゆるちゃんの〝ママ〟だからと言って、べつに、本当の母親というわけではないのに。
 ゆるちゃんに出会ったのは、いわゆるマッチングアプリだ。時間とお金を持て余して、ママ活募集をかけたところに、自撮り写真付きで立候補してきたのがゆるちゃんだった。
 顔面偏差値の高さに圧倒されながら、いや今は画像加工アプリも高性能だし、実物はここまでではないかもと思いつつ、恐る恐る待ち合わせ場所に向かったが、そこで待っていたのは、嘘偽りなく写真の通り、いや、写真を上まわるほどのまぶしい美少女だった。こんな美少女と食事できるなんてと、思わずお小遣いを弾んだら、そのせいかどうかはわからないが、それからは、毎日のようにゆるちゃんから自撮り画像が送られてくるようになったのだ。

「だからね、ゆる、あたらしい靴が欲しくて」
 フォークをくるくると回してパスタを手繰りながら、目の前に座るゆるちゃんが上目遣いでこっちを見やる。セリフの意図が手に取るように透けて見える。おねだりが上手でかわいい。
「食べ終わったら見に行く? あ、でもお店何時までかな…」
「……ゆるね、あしたお休みなんだけど。」
 そういうことか。
「じゃぁ、今日はお泊まりして、明日一緒に見に行こうか?」
 おねだりにあわせて提案内容を変えると、ゆるちゃんはパッと瞳を輝かせ、微笑みながら照れくさそうに頷いた。「ゆるの新しい靴、春山さんがえらんでね」なんてリップサービスまでつけてくれる。「いっぱい履くから!」
 勘違いしそうになる。
 ゆるちゃんが笑いかけてくれるたび、甘えてくるたび、手をつなぐたび、肌を重ねるたび、まるで恋人同士かのように錯覚してしまいそうになる。間接照明に照らされてくっきりと浮き上がるゆるちゃんの体の輪郭線があまりにもうつくしくて、儚くて、見とれてしまいながら、そんなふうに思考の海を泳ぐ。どうせこのあと安くない金額を手渡しすることになるのに。
 わたしの上に覆い被さったゆるちゃんの身体が、軽くて、薄くて、消えてしまいそうで不安だ。ゆるちゃんは、お互いのひみつの場所を擦りつけあいながら、細い身体を快感に震わせたり、わなわなと薄い唇を開き、吐息のように小さく甘やかな声で鳴いたりする。紅潮した頬にはらりと落ちてきた長い髪が張りつき、白い肌とのコントラストを描き出す。
 生ける芸術品のような彼女がわたしと快感を求め合っているという事実に、いつも頭が追いつかなくて、なんだか現実感を感じられない。
 絡ませた指を強く握りしめてくれるのがたまらなくて、細い首筋に舌を這わせると、ゆるちゃんの身体がぶるんと大きく震えた。必死に重ね合わせている身体の隙間からこぼれ落ちるみたいに、子猫のような高い声でゆるちゃんが言葉を紡ぐ。「はるやまさん、は」「うん」「ゆるのこと」「うん」「すき?」「すきだよ」大好き。問われるたび、何度でも答える。わたしはゆるちゃんのことがすき。確認するように口の中で改めて唱えて、《ゆる》ちゃんが本当に《ゆる》ちゃんかどうかはわからないけど、と頭の中の端っこで冷静に座っているわたしが釘を刺す。
 お互いの本名も、交友関係も、職業も、なにもわからない不確かな関係。それをつなぎ止めてるのは、愛や恋などという形のないものではなく、お金という無機質な形を持ったものだ。それを確認して、ようやく「大丈夫」と思うことができる。
 うん、わたしたちは、大丈夫。
 だって、まだまだお金はたくさんある。ゆるちゃんに会うためなら、いくらでも捻出することができる。わたしは、お金を渡し続ける限り、ゆるちゃんに必要とされている限りは、ゆるちゃんの〝ママ〟で居られるのだ。
 わたしの上で登りつめたゆるちゃんは脱力してだらりと身体を預けてくる。指を絡ませたままだから、同時にゆるちゃんの腕が私の腕に重なった拍子に、ゆるちゃんの小枝のような腕に、幾重にも刻みつけられた傷痕の感触を感じる。それを見ないようにしながら、まだ肩で荒く息をしているゆるちゃんの小さな背中を、わたしは、ただただぎゅっと抱きしめていた。


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