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スポーツと漫画で夢見た、ガッツポーズができるような仕事

高校時代、部活はチームスポーツをやっていた。不思議なことに、自分たちの代よりも一個上の先輩たちの代の頃の記憶の方が色濃く残っている。
監督に怒られ泣いている先輩や、試合に負け悔しさで泣く先輩が記憶のほとんどだけれど、現役人生の中で一番大事な試合で逆転勝ちしたとき、ガッツポーズをしながら駆け寄り涙を流す先輩の姿をベンチから眺めた光景は、はっきりと思い出せる。でもそのガッツポーズの裏には、多くの悔しさと涙があった。一回のガッツポーズのために、何度も折れそうになる瞬間があったのを見てきた。

あの時、自分もこんな風にガッツポーズができる試合をやりたいと思ったことはもちろん、「これから先もガッツポーズをしたくなるような瞬間を過ごしていきたい」と強く思った。それは、勝ち組のような人生を歩みたいというわけではなく、本当に、物理的にガッツポーズをしたかった。そんな大人になりたいと思った。

色濃く残る漫画の一コマ

連載開始当時から読んできた「左ききのエレン」で、今でも一番好きといえるシーンがある。

この回を読んだ時はまだ大学生。確か就職活動をしていた時期だったと思う。社会というものを知らないなりに、「こんな風に思えるような仕事をしていきたい」と思ったことは鮮明に覚えている。

ガッツポーズができるような仕事を求めて

左ききのエレンの原作版第一章が完結して程なくした頃、私は社会人になった。最初は失態ばかり。呑気なことに、失態を犯していることにすら気付いていないこともあった。(今になって振り返り、先輩たちに土下座したくなる)。

少しずつ仕事になれてきた数年後、今まで疑問と怒りともどかしさを抱いてきた社会の構造が、未熟ながらもなんとなくわかってくるようになってきた。「こんなもんか」「しょうがない」。理不尽なことや納得のいかないことがあっても、そう諦めるようになった。「良いものを作りたい」という想いから「とにかく面倒を回避して最小限の労力で納品したい」という目標に変わっていった。いつの間にか、怒りや悔しさという感情は影を潜めていた。

事故なく逃げるように仕事をするようになっている自覚はあった。自分を見つめ直すことが多くなり、転職をしようと思った。不安と期待が入り混じった新卒の頃の気持ちをもう一度味わいたい。あの頃の気持ちで仕事に臨みたいと思った。

気持ちを新たに。その想いで転職をした。

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同僚の口から漏れた「悔しいです」

未経験の仕事だったため、転職当初は仕事を覚えることと社員の人たちと仲良くなることに精一杯だった。とにかくミスなく仕事をこなす。そのことだけを意識していた。ようやく業務に慣れてきた頃、制作スケジュールがとても短い案件の担当についた。まずは間に合わせることを第一にとにかく進めた。

そんな制作の中、期日直前でどうしても直せないバグが発見された。

夜中の0時、エンジニアから「一日粘って究明したが、直せなかった。ただ、クライアントが納得してくれるであろう変更方法は見つけた」という電話を受けた。私はそのことを聞いた瞬間に、「説明の手間が省けそうだし間に合いそうでよかった」と思った。ホッとしながらお礼を述べ電話を切ろうとした時、エンジニアがそれとなしに言った。

「いや〜、悔しいです。一番良い形で作り上げたかった」

その時には衝撃はなかったが、電話を切ってからもはっきりとその言葉が頭に残った。もやもやを抱えながら会社を出た時、もやもやの正体がはっきりした。学生時代に夢見た仕事の理想…冒頭の「左ききのエレン」のシーンと被ったからだ。

自分が手がける仕事に誇りとプライドを持って、より良いものを作りたい。理性も大事だけれど、自分の感情と想いを乗せて仕事がしたい。仕事と正面からぶつかり、悔しさや喜びを感じたい。

悔しさがあるから、喜びがある。泣くほど悔しい気持ちがあるから、ガッツポーズしたくなるくらい嬉しくなれる。私が仕事に求めることは、問題を避けて無傷で過ごすことではない。悔しさも怒りもすべて受け止め傷付きながら、自分の作り上げたものに誇りと自信を持てるようになることだ。

少し前までは、自分が手がけた仕事に自信が持てなかった。工数が増えることをめんどくさがり妥協したところ、反応を恐れ議論を避けたところがあり後ろめたさを感じていたからだ。

失敗や批判、衝突を恐れずに仕事と向き合い、時には怒りや悔しさを感じながら。諦めずに進んだ先に、強く拳を握ってガッツポーズしたくなる瞬間が訪れる。

同僚の言葉をきっかけに、昔感じたすべてのことを思い出せた。自分の仕事で怒ったり泣いたりして、時にはガッツポーズできるような大人になろう。今から目指すのも、遅くない。

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