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天神・渡辺通りの名前は渡辺プロ創業者の渡辺晋のご先祖から名付けられたという話はおそらく事実誤認ではという考察

最近、ちょっとした調べ物で渡辺プロダクション(現・ワタナベエンターテインメント)が無料公開している98年発行の社史を読んでいたら、創業者の故・渡辺普氏の両親が福岡出身だと書かれており、渡辺プロのルーツが福岡とは知らなかったのでありがたい初耳ネタに感謝していたが、福岡に関する社史の内容がよく読むとおかしいことに気付いた。

抱えきれない夢 渡辺プロ・グループ四十年史

以下は社史で気になった箇所の抜粋。

渡邊晋は二七年三月二日、渡邊泰(ゆたか)(一八九五ー一九五九)、サキ(一九◯二ー一九九一)夫婦の次男として東京・北区の滝野川に生まれた。渡邊家は九州福岡・黒田藩に仕えた高禄の武家で、現在も福岡市内を走る渡辺通りは渡邊家に由来するという。明治維新後、その一部の土地家屋を売却して、第十七銀行(現・福岡銀行)の株を取得した。泰は九人兄弟の末っ子だったが、上の兄たちは、すべて東大を出てから、三井などの諸銀行に入社している。

『抱えきれない夢。渡辺プログループ四十年史』 P.24,P.25より抜粋

…福岡の歴史に興味のない方なら別に引っかかることもない説明と思うが、福岡の近現代史に多少でも詳しい方なら、上記の渡辺家の説明には正直首を傾げるのではないだろうか。

まず天神にある渡辺通りは、福岡市の近代化に尽力した明治時代の実業家・渡辺與八郎の名前が由来になっているのは(福岡では)そこそこ有名な話
與八郎は私財を投入して取り組んだ福岡市周辺を運行する循環線の路面電車(博多電気軌道)開通から1ヶ月後の明治44年10月に、当時流行していたワイル病により46歳の若さで亡くなり、鉄道会社は故人の功績を称えて、柳橋から法院田(現・薬院)の通りを「渡辺通り」と命名した(福岡市が公式な地名として採用したのは昭和に入ってから)。

現在の渡辺通1丁目交差点付近

ということは渡辺晋は渡辺與八郎の一族に当たる?」と思ったが、與八郎の先祖はもともと福岡県嘉穂郡の出身。祖父の與之助は13歳で博多の商家に丁稚奉公に入り後に「紙屋」として独立した立志伝中の商人で、その息子の與三郎も呉服商として博多で活躍し、幕末の混乱に乗じ多額の財を成した。與八郎はその「紙屋」三代目を引き継いだ生まれも育ちも生粋の博多商人で、渡辺晋氏が與八郎の一族だとすると「渡辺家は九州福岡・黒田藩に仕えた高禄の武家」というナベプロ社史の説明は明らかにおかしいのである。

渡辺與八郎家系図(『渡辺與八郎伝』p.65より)

では渡辺普氏の福岡における正確なルーツはどこにあるのか。
社史には晋氏の父親である泰(ゆたか)氏の詳しい経歴も掲載されており、この辺りから辿れないかと調べてみた。

泰だけ慶応に進んだ。予科をトップの成績で出たとき、兄たちは経済学部にゆけと助言したが、泰は法科を選択した。各任地を転々とする銀行マンの暮らしは、気が乗らなかったらしい。しかし、慶応を卒業した二〇(大正九)年は大学生にとって就職難の時代。志をまげて日銀に就職した。その二年後、博多の旧家(蝋問屋)から原田サキを娶った。サキの実父・原田徳次郎は福日新聞(現・西日本新聞社)の副社長をつとめ、併せて電通の社外重役でもあった。(中略)
泰は北支開発の中核となる蒙疆銀行の設立を命ぜられ、単身赴任する。副頭取として敗戦後の財務処理を終え、四六年に帰国すると、洗足湖畔の自宅はすでに戦火に焼かれ、自身は北支で現地の米国系、英国系銀行を接収した責を問われ、戦犯として公職追放の憂き目に遭った。華族を疎開先の大分県別府に追い、久しぶりに一家団欒のときを持ったが、激職の疲れが出たのか、病に伏せることが多くなり、ついに日銀には復帰しなかった。晩年は、朝鮮銀行から帰国してきた友人と正金相互銀行を設立し、その役人となる。

抱えきれない夢。渡辺プログループ四十年史P.25より抜粋

日銀や蒙疆銀行などで要職を務め、福岡でも正金相互銀行(現・福岡中央銀行)の取締役だったという文句なしにエリートな経歴なので、泰について官報から経済誌まで様々な記録が見つかったが、残念ながら渡辺家のルーツのヒントになるような情報は見つからなかった。

蒙疆銀行時代の渡辺泰氏(昭和16年 産業之世界社『興亜の群星』p.420より)

続いて泰の兄弟についてなにか記録がないか調べてみた。
社史に名前などは記載されていないが、

泰は九人兄弟の末っ子だったが、上の兄たちは、すべて東大を出てから、三井などの諸銀行に入社している。

抱えきれない夢。渡辺プログループ四十年史P.25より

という情報があり、明治〜大正時代に福岡から東京帝国大を出て三井銀行に入社したエリートがさほど多くいたとは思えないので、泰の+10歳あたりに絞り福岡出身で「渡辺」姓の東京帝大出身者を調べたら、泰の兄と思われる人物の記録が出てくるのではないか。

すると大正11年に発行された『帝国大学出身録』という本に、以下の人物の記載があった。

渡辺哲三郎・・・
君は福岡縣に原籍を有し大正六年東大法科大学法科を卒業し直に三井銀行営業部に入り勤務今日に至る

大正11年 帝国大学出身録編輯所『帝国大学出身録 p.1700より

福岡県出身で泰より3年先に東大を卒業し三井銀行に勤務…

経歴としては完全に一致する。

というわけでこの渡辺哲三郎氏を更に調べたところ、昭和12年に出版された『人事興信録』という名士辞典に

渡辺哲三郎・・・
福岡縣渡邊募の三男
にして明治二十四年九月出生す。
大正六年東京帝大法科を卒業し三井銀行に入り昭和六年七月三井信託銀行に転じ幹事運用部長次席を経て現時運用部長たり

昭和12年 人事興信所『人事興信録 第12版 下』より

と、「渡邊募」という父親の名前を発見したため、泰の経歴にもこの名前が記載されてないか再チェックしてみたら…

渡辺泰・・・
蒙疆銀行北京分行經理
福岡縣募四男
明治廿八年六月生る
大正十一年慶大法科卒業日本銀行主事昭和十四年現行に轉じ業務課長兼國庫課長を經て同十六年十一月現職

昭和18年 帝国秘密探偵社 『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』より

お!ビンゴ!

また同出版社が発行した『大衆人事録 東京篇』には渡辺哲三郎の経歴も記載されているが、

渡辺哲三郎・・・
三井信託(株)取締兼運用部長
福岡縣募の三男明治廿四年九月生る
大正六年東大獨法科卒業三井銀行勤務を經て昭和十四年十二月現職

昭和17年 帝国秘密探偵社 『大衆人事録 第14版 東京篇』 p.1115より

とあるので、この渡辺哲三郎が泰の兄、そして渡辺募は泰の父であり渡辺晋の祖父なのは確定だろう。

渡辺募の名前を調べると、明治時代の官員録に名前が残っており、九等属の判任官として福岡県庁に勤めていたことが確認できた。
また1964年に福岡銀行が発行した『第十七国立銀行史料(上)』に士族出身の株主として名前が残されており、明治15年9月に商家の内田次平、同年10月に伊丹九郎左衛門という士族から銀行株をそれぞれ10株と4株を買受け、同年の12月に中尾卯平という商人に売却した記録も確認でき、社史の渡辺家に関する記載と一致する。
十七国立銀行の設立初期に士族として株の売買に関わっていたということはおそらく黒田家の藩士出身だろう。

さらに渡辺募の先祖の名前まで判明すれば、渡辺家の藩士時代のルーツまで遡れそうなので、渡辺家の菩提寺だったという福岡市の唐人町にある妙安寺に足を運んだが、残念ながら数件ある渡辺姓の墓や墓誌から何らかの情報を得ることはできなかった。
新宿の仙寿院にある渡辺家の墓(妙安寺から分骨)の墓誌には先祖の名が刻まれているようだが、残念ながらそこまで足を運ぶ余裕もなかった。

渡辺家の菩提寺である妙安寺(福岡市中央区唐人町2-4-59)

いずれにせよ渡辺晋氏のルーツは黒田藩もしくは福岡県諸藩の武家出身だということは確かで、博多出身の渡辺一族とは完全にルーツが異なっており、両家が縁戚関係だったり、一族が渡辺通りの開発に何かの形で関わった可能性までは否定できないが、「現在も福岡市内を走る渡辺通りは渡邊家に由来するという」という社史の記述はやはり事実誤認だろう

しかしなんでこんな間違いを公式の社史が載せているのか。

ナベプロ関連の雑誌連載や書籍をいくつかチェックしたところ「渡辺通りは渡辺家に由来して〜」という話は、雑誌『現代』1987年11月号に掲載されたジャーナリスト軍司貞則の連載『ナベプロ帝国の興亡』が初出ではないかと思われる。

渡辺家は、もともと福岡市内の出身で、市内の目抜き通りのひとつ"渡辺通り"が走る付近一帯の大地主であった。”渡辺通り"という名称も渡辺家にちなんだもので、それだけに生活も豊かだった。

軍司貞則『ナベプロ帝国の興亡』(『現代』1987年11月号掲載) 

この連載は1992年に書籍化されており(現在は絶版)、社史の参考書籍リストにも入っていたので、渡辺プロは恐らくこの本から、福岡時代の渡辺家のエピソードとして渡辺通りの話を引用してしまったのではなかろうかと。

『ナベプロ帝国の興亡』
『抱えきれない夢。渡辺プログループ四十年史』 参考文献リスト


…ちなみに渡辺晋は育ちは東京だったものの福岡には愛着があったようで、存命時は福岡県人会や福岡幸友録のリストにも名を連ねており、タレント養成校の東京音楽学院も早いうちから福岡に支部を設立。その歴史もあって、ワタナベエンターテインメントと福岡のつながりは今も強く、九州事業本部が07年に福岡に設立されてから、福岡の地方局にはほぼ毎日所属のローカルタレントが出演しており、東京で活躍しながら地元の仕事も引き受けることが多い福岡出身の大家志津香や瀬戸康史などもワタナベエンターテイメント所属である。渡辺晋の福岡出身の偉人としての側面を、いちど地元紙や地元局で特集してくれたら嬉しいのだけど。

福岡市天神にあるワタナベエンターテインメント九州事業本部


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