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千葉雅也インタビュー「書くためのツールと書くこと、考えること」前編

あの人に聞いてみたい、「書く」ことの話。
今回は、著書『勉強の哲学』などで知られる哲学者であり、さまざまなデジタルツールを横断的に活用した執筆にも取り組む千葉雅也さんにお話を伺いました。
※この記事は、2018年9月14日にstoneのWebサイトで公開されたものです。内容・プロフィールは取材当時のものです。

Photographs by Riko Okaniwa
Text by Kan Fukasawa

千葉雅也
1978年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。哲学、表象文化論。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない——ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』、『勉強の哲学——来たるべきバカのために』、『メイキング・オブ・勉強の哲学』、訳書にカンタン・メイヤスー『有限性の後で——偶然性の必然性についての試論』(共訳)など。

制限が、書くことの支援になる

書くためのツール選びに積極的になったのは、ここ数年なんです。それまではむしろ、ワープロやエディタの欠点の方が目についていました。僕は、実家がデザイン会社を経営していたこともあり、中学生の頃からDTPソフトで遊んでいたので、ついフォントや字詰めが気になってしまうんです。たとえば、ワープロの横幅ぴったりの長さで一文が終わると気持ちが悪いので、次の行にまたぐように字数を増やすなど、見た目の気持ちよさを優先して内容を変えることがあるほどでした。しかし、だんだんと文書作成・編集のためのデジタルツールが増えてきたことで、それらのツールをもっと積極的に活用できないかと考えるようになりました。

書くことに関して、僕にとって革命的だったツールはTwitterです。140字という字数制限の中で、ひとまず一つのことを書き終えなくてはいけないという仕組みが、書くことの支援になったんです。このTwitterの書きやすさについて、著書『別のしかたで——ツイッター哲学』では「書き始めた途端にもう締め切りだからである」※1と説明しています。僕は、締め切りがないと仕事ができません。他なるものに区切ってもらわないと、自分で区切れないんです。

僕は、Twitterを執筆のツールとして使っている感覚なのですが、そもそも公開のツールなので、あまり練り上げていないことを書くわけにもいかない。そこで、Twitterに近い感覚で書けるクローズドな環境はないかと考えて、WorkFlowyのようなアウトライナー(アウトライン・プロセッサ)※2にたどり着きました。

キーになるのは、真っ白な紙に長い文章を書くのではなく、ある区切られた状態で断片を書いていくということ。Twitterの場合は字数制限がありますが、アウトライナーの場合は、箇条書きというシステムが潜在的に「短く書きなさい」とプレッシャーをかけてきます。つまり、見えない可変的な字数制限があるんです。僕は、アウトライナーをそういう有限性の装置として受け止めています。

※1 「なぜツイッターの一四〇字以内がこんなに書きやすいかというと、それは、書き始めた途端にもう締め切りだからである。[2014-5-21 12:21]」p.200
※2 文書のアウトラインを組み立て、編集するためのソフトウェア。階層構造のあるテキストを管理できる。

二段階に分けて書く

昨年の冬頃から、デジタルツールを活用した新しい執筆法を試みているんです。それは、『アイデア大全』などの著者である読書猿さんのブログで紹介されていた、レヴィ=ストロースの執筆法を元にしています。レヴィ=ストロースは、まずタイプライターで一気に粗いドラフトを書いてしまうらしい。そのあと、色鉛筆で書き込んだり、ホワイトで消したり、上に紙を貼って書き加えたりして、コラージュ作品のようになるくらい作り込むというんですね。その段階が自分にとっての本格的な執筆だと言っていて。それを知ったときに、この方法は今ならデジタルツールでできるなと思ったのです。

具体的には、まずWorkFlowyでアイデア出しをします。フリーライティングというやり方で、論理的な順序を考えずに、思いつくまま書いていきます。そのあとノイズを消しながら、順序を入れ替えてストーリーの流れを作ります。次に、それをプリントアウトしたものを参照しながら、Ulyssesを使ってドラフトを書きます。全画面表示にして、入力行が画面の真ん中で固定されるタイプライターモードにして、時間を限定して一気に書きくだします。このときには、言葉遣いの正確さや、スムーズな話の展開にはこだわらずに書きます。これが「レヴィ=ストロース稿」とでも呼ぶべき初稿です。そのあと、Scrivenerで編集を行います。レヴィ=ストロース稿をScrivenerに流し込み、大まかな意味の切れ目でカットして、編集モードで、赤字や青字を使って編集していきます。それができたら、最後はWordで仕上げます。

一つ目のポイントは、ドラフト段階とエディット段階を完全に分けるということ。ラフに書く段階に編集意識を入れないということです。二つ目のポイントは、ドラフトとエディットの差分を可視化すること。編集するときには字を別の色にするなどして、未編集の部分と編集済みの部分を区別しながら進めるということです。

とにかく一気に、最後まで書いてしまうということも大事です。僕は最近、部分を積み上げて全体を作ることと、一気に全体を書き上げることとは、全く違うことだと考えています。これは、機械と生命という区別で説明できて、積み上げていって全体になるというのは機械的発想で、一気に書いてしまうというのは生命的発想です。生命的とはつまり、部分の加算を超えるような全体性を作ってしまうということ。その上で編集を行うというのは、胚を作ってから細胞分裂させるというイメージです。まず産んでしまわないと、いくらパーツを積み上げても、胚にならないんですよ。

「分析」と「総合」を行き来する

考えを整理したいときには、デジタルツール以外に、手書きを使うこともあります。手で書いたものは、写真に撮ってEvernoteに蓄積しています。アウトライナーを使って、分析的に問題点を追求することもありますが、分析的になりすぎて行き詰まることがあります。その場合は、手書きで総合的に言いたいことを書いてしまうんです。分析的なアプローチと総合的なアプローチ、両方を行き来することで思考が整理されます。それから、一度書く作業をしてから数時間放っておくこともあります。僕は「冷蔵庫でマリネする」と言っているのですが、放っておくことで問題が解決することがある。寝る前に悩んでいることって、朝になると解決していることが多いですよね。それと同じです。

筆記具は、ざっくりとしたものを書くときにはペリカンのスーベレーンの青を、細かいものを書くときにはジェットストリームを使っています。ノートは無印良品の6mm罫のものですね。書くときに罫のことはあまり意識しませんが、完全な白紙よりも罫線がある方が気楽に使えます。

後編はこちら


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