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短編小説『反抗養成学校』

『反抗養成学校』創設

一般には知られていないが、政権幹部の子弟だけを対象にした『反抗養成学校』がある。

この学校は、公的にも秘密にされている。その理由はいくつかある。一番大きな理由は、存在自体が政権にとっての恥だからである。

我が国の政府は、もう長い間に独裁化し、未来永劫に渡って政権を奪われる心配はなくなった。世代交代が政権内部でのみ行われ、政権幹部の世襲という形で繰り返されてきた。

しかし、世襲に支えられた独裁は、あまりに長く続いたために、権力を維持しようとする闘争心の低下を招いた。安易に与えられた特権は、先祖が必死になって獲得した地位や名誉、権力のありがたみを薄れさせてしまった。生まれた時から授かった権力は、天から恵まれたものに感じるようになったのである。

子孫のこのような意識の変化に危機感を持った政権の長老達は、権力への貪欲な闘争心を養う必要を感じた。

「このままでは権力を失ってしまうよ」

「そうだ。君の孫は相当なお人好しみたいじゃないか」

「そういうあなたの孫も飼い犬みたいに素直な性格だそうだね」

「まったく、このままじゃ我々の政権もいつか野党に奪われてしまうかもしれないな」

「同感だ。なんとか権力欲と闘争心に目覚めてもらわないと大変なことになる。権力は天から降ってくるもんじゃない、奪い取るもんだから」

「我々の若い頃は相当な悪どいこともやったからねえ。これからの若い連中にも見習ってもらいたいものだな」

まだ当分の間は野党による政権への危機はないと思われている。野党は野党で、政権を取れるなどとは夢にも思っていなかった。万年野党であっても、糊口を凌(しの)げるだけで満足していた。しかし、老い先の短い政権の長老達には後継者が心配でならない。強欲な長老達には、独裁政権が永続していくことだけが願いであった。

そこで、長老達は相談して『反抗養成学校』を創設することになった。『反抗養成学校』というのは長老達の間での通称であって正式名称ではない。施設に正式名称はない。決して公にしたくない施設だからである。

長老達の希望は、羊のように従順になってしまった後継者に、昔の自分達のような反抗心、闘争心を持ってもらいたいということであった。その期待が、『反抗養成学校』という通称に表れている。

政権幹部の子弟

しかし皮肉なもので、年寄りがムキになればなるほど、心配すればするほど、若い者にはうるさがられるものである。

『反抗養成学校』も若い者には素直に受け入れられなかった。

「こんなダサい学校なんかに行きたくないよ。『反抗養成学校』なんて。いつの時代だよ」

「そうだよ、今更中学生でもあるまいし。反抗なんかできるわけがない」

「でも、長老達の言うことを無視するわけにもいかないしな・・・」

「形だけでも学校に通って、反抗的精神とやらを身につけた振りでもすればいいんじゃないか?」

「そうだね。文句を言うより、早いとこ卒業してしまった方が面倒でなくていいかもね」

長老達が願うような反抗心が養われるかは、あまり期待できそうもなかった。

しかし、長老達は満足だった。自分の子や孫が逞しく変わっていくのを想像しながら、夕食後にワインでも傾けるのが至上の喜びであった。

長老達は若者達にとって、威厳と尊敬を感じる存在ではあっても、単純で扱いやすい存在でもあった。若者達は、長老達が思うよりも精神的には大人であった。ただ、苦労が少ない分、表面的な貪欲さに劣るのだった。

予期しない影響

舐めた気分で通い始めた政権幹部の若い子弟達だったが、自分達も気がつかない内に影響を受けていた。それまで持ったことのない意識が芽生えだしたのだ。それは反抗心でも闘争心でもなかった。皮肉にも博愛の精神、慈悲の心だった。

『反抗養成学校』に雇われた教師達は、タカ派色の強い長老達の意向に従って、防衛隊の幕僚や右派宗教指導者、国粋系大学の体育教師などから、錚々(そうそう)たる顔ぶれが選ばれた。

『反抗養成学校』の初めての始業式に参列した長老達は、演壇の奥に居並んだ、厳めしい顔で姿勢をピンと正した教師陣を見渡して満足の表情を浮かべた。

「うむ、なかなか見事な指導者を集めたものだな」

「ああ、苦労したよ。公(おおやけ)にできない学校で気を使うことも多いと思うが、みんな国家の将来の為に快く引き受けてくれたよ」

「これで一安心だな。わしはもう思い残すことはないよ」

「何を言うか。まだまだ国の為に尽くしてもらわんと困るよ」

「敗戦後の混乱からここまで頑張ってきたが、この辺でそろそろ勘弁してもらうよ」

「そうか?そうだな。これで我々も安心して逝けるな」

長老達の思いを受けて、教師達は若者達を鍛え直そうと頑張った。直立不動の挨拶から始まって、曖昧な言葉遣いを戒め、軟弱な身体を逞しくした。

とりわけ熱を入れたのが闘争的な精神や思想だった。他人を思いやる優しさや自由、平等などの甘い考え方を変えようとした。

「馬鹿者!他人を思いやるその軟弱な精神が命取りになるんだぞ」

「自由など与えると思い上がるのが人間だ。愚かな大衆を甘やかしてはならない!」

「弱肉強食というのが万物の真の姿だ。平等などというのは阿片のような麻薬だ。決して毒されてはならない。君たちには食物連鎖の頂点に君臨するエリートとしての自覚が足りない!」

「そんなひ弱な身体でどうする。これからの国を背負っていくものが、そんな身体ではとても駄目だ。ウサギ飛びグランド三周! それが済んだら腕立て伏せ百回だ。おい、こら!まだ水なんか飲むんじゃない!」

教師達は期待に答えようとした。そして自分の信念に従って若者達を鍛えはした。しかし、若者達が受け取ったのは長老達や教師達が予期しないものだった。

若者達の心の中には、既に確固としたものが宿っていたのだ。それは若者達自身も気がついていないものだった。

『反抗養成学校』での厳しい授業は、若者達の精神や思想を変えることはできなかった。反対に、若者達の持っていた博愛や慈悲の尊さを再確認させることになった。

若者達は教師達のような人間にはなりたくないと思った。そして、自分の中にも熱い血が流れていることに気がついた。それは長老達とは種類の異なる熱さだった。

慈悲深き若者達

長老達には想像もできないことだったが、はっきりした意志や強い欲望を持たないように見える若者達にも、彼らなりの意志や欲望があったのである。

人間の進化というのは螺旋状に変化していくのかもしれない。同じことを繰り返しているように見えても前に進んでいる。決して退化はしていない。

政権幹部の長老から見れば、子や孫の世代は自分達より劣っているように見えることだろう。特に特権への執着、権力への闘争心などを比較すると脆弱(ぜいじゃく)に映る。

しかし若い世代は、後から生まれてきた分だけ進化していたのだ。権力への執着が、博愛や慈悲の心より優れたものだという価値観は、若者達にはなかった。

若者からは、むき出しの権力欲が、博愛と慈悲の前では色あせて見えた。これは世代という進化の時間の中で培われたものだった。長老達には、この時間の進化が理解できていなかった。

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「長谷川 慎太郎君」

『反抗養成学校』校長の威厳のある重い声が講堂に響く。今日は第一期生の卒業式。演壇には教師陣や政府関係者、関係省庁関係者が一同に控えている。演壇の前には卒業生、在校生が緊張した顔で着席している。

一人づつ呼ばれた卒業生が演壇の中央に上り、校長から卒業証書を受け取る。まるで軍人のようなきびきびした動作が、見守る関係者達には頼もしく見えた。

「見たまえ、あれは財務大臣の孫だよ。凛々しい面(つら)構えになったな。来年あたり、下院議員に立候補するみたいなことを聞いている。財務大臣も喜んでいることだろうよ」

「そうですな、卒業生の顔を拝見すると、皆いい顔をしていますな。あの、前の文部大臣の孫なんか青白い顔をして、モヤシのような細い身体だったのが、あんなに日焼けして立派な体格になっていますよ。いやー、人間、鍛えれば変わるもんですな」

「本当に。『反抗養成学校』を創って良かったと思います。我々年寄りが安心して次の時代を託せますよ」

卒業式が終わると、卒業生達は世話になった教師や来賓、在校生に挨拶を済ませ、卒業生だけの祝賀会に向かった。第一期の卒業生は総勢二十三名。本日病欠その他の理由で欠席者が二名、祝賀会の参加者は二十一名であった。

祝賀会場は街外れの小さな定食屋の二階に設けられた。祝賀会の幹事は、最も成績優秀だった前文部大臣の孫にあたる鈴木幸宏君、若干二十五歳で、現在下院議員十期目の父親の秘書を務めている有望な青年だ。

定食屋の畳の座敷には長テーブルが二列に並べられている。出席者全員が腰を下ろしたのを見計らって、鈴木幸宏君がビールの注がれたガラスコップを右手に立ち上がった。

「諸君、静粛に願います。祝賀会の幹事を仰せつかった鈴木です。みなさん、本日は誠におめでとうございます。

三年間の修行に良く耐えました。振り返れば、同期に三十一名が入学しましたが、卒業まで辛抱できたのは二十三名でありました。

学校を去って行った同期の者達には、今も連帯の気持ちを失うものではありません」

ここまで言うと、鈴木幸宏君は顔を少し上げ、こみ上げる思いを抑えようとしているように見えた。

「我々若い世代は、政権幹部や現役を退いた長老達のような力づくの権力闘争には決して同意はしません。我々には我々の世代の価値観と信念があります。このことを教えてくれた『反抗養成学校』に感謝する次第です。

我々は独自の力を得ました。それは我々の世代が生まれながらにして持っている博愛と慈悲の精神です。『反抗養成学校』での苦しい試練によって、初めてその価値に気づくことができたのです。『反抗養成学校」に入らなければ、一生そのことを自覚することなく、権力の世襲の中で操り人形に甘んじていたでしょう。

我々は目覚めました。我々がこれから受け継いでいく権力を、博愛と慈悲によって、大衆の幸福の為に尽くしていかなければならないことを学びました。

我々権力を受け継ぐ選ばれし者達は、大衆の為に権力を行使しなければなりません。本日の祝賀会を、この小さな庶民的な店で行うのも、我々が大衆に奉仕するという意志を表明する一環でもあります。」

その時、座敷の隣にある納戸には店の者ではない二人の人間が潜んでいた。今日の卒業式を欠席した二人の卒業生であった。

「おい、録音できているか?」

「ああ、録れてる録れてる、ばっちりだ」

一人がマイクを壁に当て、もう一人がヘッドホンを頭に着けて録音機を操作している。

「でも、録音するならスマートフォンで良かったんじゃないか?」

「駄目だよ、スマートフォンなんか使ったら、後で位置情報を追跡されかねないだろ。だからスマートフォンは家に置いてきたんじゃないか」

「そうだったね。後でバレた時の用心だったね。アリバイを用意しておかないとね」

「この時間、ここにいた記録を残しちゃだめだろ。念には念を入れないと」

卒業式を欠席したこの二人は、政権幹部の中でも地位の低い大臣経験のない議員の子弟の若者だった。

「この録音を、総理大臣をしている鈴木の父親に聞かせれば、俺たちの将来は安泰だ」

「うまくいくといいな」

二人はうなずくと、ニヤリと微笑んだ。

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