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短編小説『実録ウサギとカメの競争』

森の喫茶店で、二人の若いウサギが暇そうにコーヒーを飲みながら話をしている。髪に剃り込みを入れて革ジャンを着ているところを見ると、この辺りの不良らしい。

「カメオの奴すごいじゃねえか!のろまで、冴えない奴なのにあのウサジロウに勝つとは大したもんだ」

「そうだな、ウサジロウの野郎は格好つけやがって、途中で寝てたって話だぜ、余裕こきやがってあの野郎」

「何だよ、お前ウサジロウに恨みでもあんのか?」

「そうじゃねえけどよ、あの野郎いつも人を馬鹿にして、お高くとまっているからよ、俺は好かねえんだ」

「確かにな。あいつは自分ができる奴と思ってるからな。でも、最近は金欠らしいぜ」

「そんなこたあねえだろう。あいつは女に貢がせてるって噂だぜ」

「それがよ、ウサジロウが質屋に入るのを見た奴がいるんだよ」

「女に貢がせた物でも金に変えたんじゃねえのか」

「質屋だけじゃなくってよ、駅前のサラ金から出てくるのを見たのもいるんだよ」

「へーえ、おおかた、女と遊ぶ金でも借りたんじゃねえか」

「そうかもな。それにしてもカメオはよく勝ったな」

「ああ、俺もカメオを見直したよ」

ウサジロウとカメオの競争のことは森じゅうの話題になっていた。

ここは森の奥の小さな池の畔(ほとり)。高い木々に囲まれて、昼でも薄暗い。

カメオとウサジロウが立ち話をしている。

「八、九、十。確かに十万。悪いな」

ウサジロウは、カメオから受け取った封筒の中のお札を数えて、ジーパンの後ろのポケットにしまった。

「しかし、あんなに大勢集まるとは思ってもみなかったよな。これでも苦労したんだぜ。何しろ沿道中に見物してるもんがいるんで、居眠りする場所を探すのが大変だったんだ。わざとらしく見られてもまずいしな。でも返って良かっただろ?これでお前も男を上げたんだぜ、あんな大勢の前で」

ウサジロウは自慢気に声を高める。カメオは周囲を気にすると、抑(おさ)えた声でウサジロウにお願いした。

「前にも言ったけど、このことは誰にも言わないでくれよ」

カメオはニヤニヤした顔のウサジロウを見上げて言った。

「わかってるって。俺を信用しろよ。こう見えても俺は口が硬いんだぜ」

ウサジロウは腰をかがめてカメオに言った。

「本当に秘密だよ。本当に」

カメオは何度も念を押した。

「ははは、心配性だなあ。俺達同級生じゃねえか、大丈夫だって。じゃあな」

ウサジロウはカメオの肩を軽く叩くと、跳ねるように帰って行った。

カメオはウサジロウの姿を心配しながら見送った。

その時、後ろの池の方で「バシャ」と水の跳ねる音がした。カメオが振り返ると、水面に波紋だけがあった。

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それから三日後、街の洋品店で買ったばかりの服を着て、カメオはカメコの働いている花屋を尋ねた。

「いらっしゃい」

カメコが笑顔で挨拶した。カメオがこの店を尋ねたのは初めてだった。カメオはいつも花屋の前を素通りするだけだった。カメコの働く姿を横目で確かめるだけで満足していた。

しかし、今日のカメオは違った。

「今日こそ、打ち明けよう」

カメオは家を出る時から何度も胸の中で繰り返していた。どうかすると挫(くじ)けそうな心を奮い立たせた。

カメコはカメオの初恋の相手だった。カメ池幼稚園でカメコを初めて見た時から、カメコはカメオの憧れだった。

それからカメ山中学、カメ丘高校と、カメオはカメコと同じ学校に通ったが一度も言葉を交わすことはなかった。いつも遠くからカメコの笑顔を見ているだけだった。

勉強も運動も特にできるわけでもないカメオは目立たない存在だった。器量の良いカメコが男子の間でもてはやされていたのに比べて、カメオは印象の薄い生徒だった。

「俺なんか・・・」

カメオはそう言って自分を慰めた。カメオなんかより、勉強も運動も出来てハンサムな同級生が、カメコと仲良く話しているのを見るのが辛かった。

「でも・・・」

カメオはカメコが好きだった。

カメオは学校を終えると、父親の後を継いでべっ甲細工の職人になった。

「お前なんか勉強したってしょうがねえ、俺を見て早く仕事を覚えろ!」

頑固な父親の言うことを素直に聞いて、カメオはコツコツと修行を積んだ。

「俺なんか上の学校へ行ったって、出世できるわけがない。それより手に職を付けて地道に生きて行く方がいいんだ」

時には父親に叩かれながら、カメオは苦しい修行に耐えて一人前のべっ甲細工職人になった。

「嫁さん一人ぐらい食わしていける」

カメオは人生で初めて自分に自信が持てた。この時をカメオは長い間待っていた。

カメコは一度医者の家に嫁いだが、跡継ぎが中々出来ずに、夫婦仲もぎくしゃくしてきて、とうとう離婚してしまった。その間もカメオはカメコを思い続けていた。

カメコは離婚してから花屋で働くようになった。それを知ってから、カメオは用もないのに店の前を通ることが多くなった。

「珍しいわね、カメオ君。久しぶり」

カメコから声をかけられるなんて、初めてかもしれないとカメオは思った。

「あ、あの、花、花をください」

カメオは耳まで赤くなるのが自分でもわかった。

「どの花がいいの?」

カメコはぎこちないカメオが可笑しかった。

「あ、こ、これ、この花をひとつ」

カメオは目の前に並んでいた黄色のチューリップを指さした。

「このチューリップね。一本でいいの?」

「うん。一本」

カメコは一本の黄色のチューリップを包装しようとした。するとカメオが声をかけた。

「あ、包まなくていいです」

「え?いいの、このままで?」

「うん」

カメオはカメコからチュウリップを受け取り代金を払った。カメオはチュウリップを胸の前に持ったまま立っている。カメコは「どうしたの?」と思っている。

「あの、カメコさん、ぼ、ぼくと・・・付き合ってください」

カメオは顔から火を吹くほど恥ずかしかった。カメコはカメオの差し出したチューリップを黙って見つめていた。

「ありがとう」

カメコはチューリップを受け取った。

カメオは信じられなかった。もう少しで店を飛び出そうと思っていたカメオは、嬉しすぎてカメコの顔を見られなかった。

「何が起こったんだ。何が起こったんだ、今?」

カメコは受け取ったチューリップを握りしめて、大事そうに見つめている。

こうして、カメオとカメコの交際は始まった。

カメオにはカメキチという五歳下の弟がいた。カメキチも兄と同様にべっ甲細工職人になったが、兄ほど熱心ではなかった。そのカメキチが最近浮かぬ顔をしている。

「どうしてもおかしい。兄貴が勝てるわけがない。いくらウサジロウが油断したからって、寝過ごすなんてことがあるだろうか?」

カメキチは兄のカメオが心配でならなかった。中学の頃から夜遊びが好きで、オートバイを乗り回しては警察のお世話になったりしていたカメキチには、真面目だけの兄が世間知らずで頼りなく思っていた。

「誰かに騙されているんじゃないか?」

カメキチは最近の兄の様子が気になっていた。いつもボロの作業着しか着たことがなかった兄が、どうしたことか流行りの服なんか買い込んできたのを不思議がった。

「何かあるかもしれない」

滅多に家から出ることもなかった兄が、最近はどこかへ出かけることが多くなった。ある日、カメキチは出かける兄の後を付けた。

付いてきてみると、カメオは森の奥の池の辺りでウサジロウに会ってお金を渡している。

カメキチはそっと池の中に潜り込んで、二人の声が聞こえる辺りまで近づいた。カメオとウサジロウの内緒話を盗み聞きして、驚いたカメキチは水面に顔を出した。

「節約してお金を貯めている兄貴が大金を払っている!やっぱり騙されているんだ!」

思わず声を出しそうになったカメキチは、慌てて水の中に身を隠した。

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「今日も兄貴は何もなかったように仕事をしている」

カメキチは、隣でべっ甲を削っているカメオを横目で見ながら思った。

「十万なんて大金、信じられない。贅沢なんか何一つしないできた兄貴が。何のために・・・。コツコツ貯めてきた大金を、何のために・・・」

カメキチは、兄が騙されているとまだ疑っていた。カメキチは、仕事一筋で世間を知らない兄が騙されるのを無視できなかった。

「ウサジロウの奴に脅されたのだろうか?しかし、『黙っててくれ』と頼んでいたのは兄貴の方だった。一体兄貴は何を考えているんだ?」

カメキはまた兄の後をまた付けてみることにした。

「最近の兄貴は全く変だ。仕事の後はテレビで時代劇を見ることしか興味がなかったのに。近頃は毎日のように出かけ行く。どこに行くんだ兄貴は?」

付けていたカメキチは驚いた。花屋に入ったかと思うと、カメオがカメコと手をつないで出てきた。

「誰だ、あの女は?」

カメキチは兄のあんな顔を見たことがなかった。職場では余計な口は一切きかない兄が、あんなにはしゃいでいる。カメキチは兄が悪い女に掴(つか)まったのではないかと思った。

「もしかしたら、金目当てで兄貴に近づいたんじゃないか?」

カメキチは女を疑った。これまで女性に相手にされたことのなかった兄が、あんな綺麗な女を連れて歩いているのを素直には信じられなかった。

カメキチは、浮かれているように見える兄貴と女の後ろ姿が恨(うら)めしかった。

カメキチは悩んだ末、花屋に女を尋ねた。

「いらっしゃいませ」

対応に出たカメコは朗らかにカメキチに挨拶した。

「あの、カメオの弟のカメキチです」

カメキチは少し冷たい口調で名乗った。カメキチは、カメコを見て綺麗な顔をしているが、どこか裏のある女だと思い込んでいた。

カメコは少し驚いた顔をした。

「まあ、カメオさんの弟さん?」

「ええ。実はあなたに訊きたいことがあって来たんだけど・・・」

「そう。何かしら?」

カメキチはカメコの落ち着いた態度が意外だった。カメオの弟が訊きたいことがあると言えば、後ろめたいことがあれば顔に出るものだと思っていた。

「兄とはどんな関係ですか?」

カメコは微笑みながら恥ずかしがった。

「カメオさんとお付き合いしています」

カメオは「やっぱりな」と思った。こんなはっきり兄との関係を答えるのは、返って兄を騙しているに違いないからだと思えた。

「あんな兄貴のどこがいいんですか?」

カメキチはわざと兄を悪く言った。女の返答次第で、女の魂胆がわかると思った。

「カメオさんは良い方よ。嘘の付けない人。真面目な人」

カメコはカメキチの目を見て言った。

カメキチは「そうら来た」と思った。女性に不器用な兄を褒めちぎるのは怪しかった。カメキチは更に女を試したかった。

「兄貴は嘘も付きますよ。この前のウサジロウとの競争だって、あれは兄貴がウサジロウを金で頼んで勝ったんですよ」

カメキチはカメコの驚く顔が見たかった。その驚き方を見れば、女が兄をどう思っているかわかると思った。

「知ってますよ。そのことなら」

カメコは静かに答えた。カメキチの方が驚いた。

「えっ?どうして?」

「ウサジロウ君に聞いたから。同級生のウサジロウ君が教えてくれたの」

カメコの説明によれば、競争の後ウサジロウが店にやってきたそうだ。ウサジロウは、カメオがカメコのために競争に勝ちたい気持ちを利用したと言った。

ウサジロウは金と交換に芝居を打ったことを後ろめたく思っていた。カメオの一途な純情を金で汚したくないとも思ったウサジロウは、カメコに打ち明けて罪悪感を軽くしたかった。

「ウサジロウ君もお金が必要だったそうなの。お父さんが病気で入院して。競争はウサジロウ君から持ちかけたそうよ。カメオさんの私への気持ちを知ってたから。競争に勝てば私の気を引くことができるとか言ってそそのかしたみたいなの。ウサジロウ君も後悔してたわ」

「やっぱり兄貴は騙されたんだ!」

カメキチは叫んだ。カメコは首を横に振った。

「そうじゃないの。私もカメオさんの気持ちは前からわかっていたから」

カメコは店の前を自分の方を意識しながら通るカメオに好感を持っていた。それは幼いころからカメオの下向きな性格を見てきたことも手伝った。上辺だけの体裁のよい男性を何人も見てきた彼女の今の境地だった。

「ウサジロウ君が言っていたの。『カメオはどんくさい奴だけど本当に良いやつだから』って」

カメキチは兄に会いたくなった。どんくさい兄の肩を抱いてやりたくなった。

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