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理想と現実の狭間で

カタールW杯がついに開幕します。
新型コロナウイルスやロシアのウクライナ侵攻など、前回のロシア大会の時が遥か昔に感じるほど、色々なことがありました。
そして、我らが日本代表はこの4年間でどのような軌跡を歩んできたのか振り返っていきます。

ロシアW杯が終わり新しく森保ジャパンが生まれました。
森保ジャパンのスタートは希望に溢れていました。
それまでの中心選手だった本田、香川などがメンバーから外れ、中島、堂安など新たな風が吹き込みました。
そして、強豪ウルグアイとの親善試合でいきなり勝利します。
それも、スコアは4-3と殴り合いを制しました。
当時の日本代表はハイプレスでの即時奪回とボールを保持を基本戦術とし、ファイナルサードでは中島、南野、堂安、大迫の閃きによりゴールをこじ開けていました。
しかし、その希望はアジアカップで儚くも崩れ去ります。
まず、アジアカップ直前に中島が負傷しました。
当時の森保ジャパンは魅力的なサッカーをしているように見えて、その攻撃は中島の個の力前提の脆いものでした。
そのため、アジアカップでは格下相手でも得点を取ることに苦労しました。
それでも、森保監督の真骨頂である粘り強いサッカーで決勝まで勝ち進みます。
しかし、決勝のカタール戦でカタールに戦術的優位を握られ、それに対して修正することすら出来ず敗北してしまいます。
そして、この大会から森保ジャパンの化けの皮が剥がれます。
チームにこれといって原則は無く、選手の自主性に任せた自由なサッカーといえば聞こえはいいですが、私には監督の責任を放棄したサッカーにしか見えませんでした。
そして、ここからアジア最終予選でも苦戦します。
アジアでは日本は強豪なのでボールを持つことはできるのですが、攻撃に原則が無いので選手の閃きに任せた不安定なサッカーをしていました。
そして、一瞬の隙を突かれてカウンターを喰らうのが負けパターンになっていました。
この流れを変えたのは新戦力でした。
新しく中盤に起用された守田と田中碧は安定感をもたらし、伊東は中島が外れた後の崩しの核として相手ディフェンスを切り裂きました。
戦術としては大きな変化はありませんでしたが、新戦力が起爆剤になり最終予選を突破しました。
しかし、チームの戦術に大きな変化はありませんでした。
ビルドアップは守田と田中碧の個人能力に依存したものであり、崩しは伊東に依存したものでした。
そして、それは今でも変わりません。
今は成長した東京オリンピック世代もチームに加わり戦力は4年前と比べて厚みを増しました。
しかし、戦術は4年前と何の変化もありません。
唯一あるとすればボールポゼッションを諦めたことでしょうか。
今の森保ジャパンはミドルプレスからのショートカウンター、プレスが嵌まらない場合は自陣にブロックを作り、耐えて、耐えて、1発のカウンターを狙うサッカーになりました。
対戦相手がドイツやスペインに決まったことも関係あるかもしれませんが、掲げた理想は彼方に消え、残ったのはつまらない弱者のサッカーです。
しかし、日本の選手たちは物凄く成長しています。
三笘や鎌田は当時の香川や本田と遜色が無く、冨安に至っては、日本史上最高の選手といっても差し支えない選手になりました。
私は今の選手たちなら、スペインやドイツが相手でも、主導権を握り、撃ち合いをしても勝つことのできる力があると信じています。
ただ、成長し続けている選手たちとは対照的に監督は4年前の課題すら解決することが出来ず、4年前から時が止まってしまっているかのようです。
今こそ日本には優秀な監督が必要です。
そして、それは結果だけで無く内容も追求できる監督であるべきです。
しかし、W杯まで1週間を切っています。
森保ジャパンがどこまで行けるかはわかりませんが、次の4年間は選手の努力を無駄にしない4年間になることを望みます。

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