医者がヘッドハンターに会ってみた話

医者の就職は一般の会社と違うので興味のある方は下のリンク先を見ていただきたい。地域や時代によっても変わっていっているのだが、以前はこんな感じであった。


40代半ば頃、医局人事で派遣された田舎の病院に勤めていた。
立ち上がったばかりの脳卒中センターのスタッフでほとんど休みもなく激務であった。死ぬかと思った。
出身地でもないこの田舎で死ぬわけには行かない。このまま激務に耐えて働く理由はなかった。

ちなみに私は脳神経内科医である。脳外科とよく間違われるが内科医なので手術はしない。

そこへ、ある日突然一通の手紙が舞い込んだのである。
もう10年以上前の話なので細かいことは忘れたが
・ある病院が人材を探している。
・あなたが候補に上がっている。
・一度会ってほしい

という内容であった。
差出人を調べてみると、規模はよくわからないが株式会社である転職会社の代表で、医師だけでなく一般企業の幹部などもヘッドハンティングしているようだ。

初めてのことなので会っていいものかどうか、他人に相談するわけにもいかずしばらく保留していた。
激務で人手不足で喘いでいる大学医局の関連病院を捨てて転職するというのは仲間を捨てることである。ある意味裏切り者である。

しかし、医学部に入った時はもう東京には戻らないつもりでいたが、家庭の事情もあり、そう遠くないうちに実家に近い東京近郊の病院に転職しなければならなくなっていた。
自分の市場価値を知っておく必要があった。
ということで極秘に会うだけ会ってみることにしたのである。



田舎のビジネスホテル、と言っても地域では格式が高い?ホテルのロビーで待ち合わせた。
まともなホテルはここしかないので知り合いが会合をしている可能性があった。全然極秘ではなかった。田舎なので仕方ない。

こちらは気合を入れて臨んだつもりだったが現れた相手は社長という感じではなく何かのついでに立ち寄ったような、ラフなスタイルでキャリーバックを引いて現れた。拍子抜けしたが、話を伺ってみた。

私を求めているのは、遠く離れたさらに田舎の全然行ったこともないところにある病院だという。
その病院で新規に脳卒中センターを立ち上げてほしいというのだ。

しかし、給料を聞くと今より安い。
「ちなみに先生は今いくらもらってますか?」
というので伝えると
「えっ?先生、そんなにもらっているんですか?先生の市場価値ではこんなものですよ!」
・・・・・・

失礼なやつだ。

俺様を誰だと思っておる?
仮にも帝国大学医学部卒、医学博士であるぞ。
だが、他の業界もそうだろうが、どこの大学を出ているかなんて転職に関係ない。何ができるかが問われている。

まあ、この病院に転職はないのでどうでもいいことだ。もっと田舎で給料が安く下手すると今より激務なのだから。
しかし聞いてみたいことはある。

なぜ私なのか

製薬会社のMR(医薬情報担当者)が推薦してくれた。
県の基幹病院で救急医療、脳卒中集中治療室の経験が豊富であることが評価された。
というかそれしか市場価値がないとはっきり言われた。

なぜそんなに遠くの病院なのか

近隣の病院で転職すると今勤めている医局の関連病院と転職先の病院との関係が悪くなるし、その地域の大学医局からの印象も悪くなって他の転職活動に支障をきたす。
だから他の候補者たちも皆病院から遠いところで探している。

その病院はどんな病院か

県庁所在地でない地方の小都市の病院だが、今各地で同様の病院再編がすすんでおり、今後を見据えて新規に設備投資を始めているところが全国にたくさんある。
この病院も今度脳卒中センターを立ち上げようとしていて、センター長をしてほしいと考えている。


しかし、よくもここまで絶対ないものを出してきたなと思った。(しかも、いまは大変立派な大病院に発展しているが当時はまだ小さい病院であった。)

まあせっかく会ったので、こちらのこともいろいろ教えると事前に何も調査していないような感じであった。
私の経歴などフェイスブックを見たら全部書いてあるのに。この病院に転職する可能性がないのはわかると思うのだが。

ひょっとして、今勤めている病院がいかに良い病院かわからせるための陰謀とか??
あるいは本当のターゲットは他にいて、現勤務中の病院について探りにきたのではないかとさえ思った。
まあ確かに、当時一緒に働いていた医者がいつのまにやらこの病院で働いているのだが。転職ではないのが明らかなので、偶々だと思うけど。

この話は流れたが、ヘッドハンターは他にも案件はあるのでその気になったら連絡してほしい、転職については誰でも迷うものだがそうしているうちにふと背中を押してくれる事態が起こるものだ、と言い残して去っていった。


そのうち彼の予言通り本当に背中を押してくれる事件が起き病院を退職し、大学の同期を頼って関東の病院に転職した。
勤務時間が短くなり、仕事は忙しかったが死なない程度の量になった。他にも収入があって、全体として給料は増えた。
実家にも近い。

今から思うとあのヘッドハンターが提示した給料は基本給であり、当時はその上に死ぬほど働いて、残業代だの当直料だのが上乗せされていたのを忘れていた。結局もらえる給料はこんなものなのだろう。


いろいろあったが、持つべきものは友達である。
あのまま田舎にいたら、ヘッドハンターに頼ったら、私の人生は随分違ったものになっていただろう。

その後もこの手の手紙はあちこちからよく来ていたが全く会わずに終わった。
最近は還暦になったせいかこの手の話は全くこない。


その、一度だけ会ったヘッドハンターは別会社を立ち上げ今もヘッドハンターとしても御活躍されており、メディアなどで時々お見かけする。お元気なようだ。


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