15歳のわたしは…
わたしは当時受験生だった…。
携帯はまだ持たせてもらえなかった。
将来のことはあまり考えていなかった…
4月、起立性調節障害の検査入院だった。
わたしは春休みの宿題を持っていった🌷
5月25日、やっと特別支援学校に
登校することができた!!
(ずっとその日を待ちわびていた…)
入院してからは病院でOD食と呼ばれる塩分高めの食事を食べていた。
Cちゃんとは、10ヶ月間ずっと同じ部屋
(ルームメイト)だった。わたしは右👉で
彼女は左サイド側だった。
毎日ではないが、週に1回だけTVを延長して楽しめるのだが…皆でどれにする?と聞いたりしながら選んだ。
学校へ行くまでずっと暇人状態だったので、朝ごはんは起きたらよろよろしながら食堂へ行きご飯を食べて、歯みがきする部屋に行って歯みがきして→自転車漕ぎ(体力をつける為)をやっていた。
まるで保育園に入る前のわたしのようだった
わたしは、最初から〇〇県民だったわけではない。途中参加の人間だったのだ。
当時4歳だったわたしは、皆や祖母・祖父の〇〇弁が理解できなかった。でも、保育園では友達が1人いたくらい…(最初の頃は!)
あとから、友達の家にお呼ばれしたりして割と楽しい保育園時代だったとは思う。
ひらがなも人より習得するのにそんなに時間は必要としなかった。
学校生活というと…最初に体育祭とまでは行かないけれど体育祭のようなものに参加した。いきものががりのジョイフルを踊ったけど…振り付けはどうも覚えられなかったのでとなりの子をチラチラ見ながら踊った。
あと、地域の祭り(踊り)を習得しなければならなかった。地元の人間なら踊れるらしいがわたしは途中からこの土地にやってきたので1から覚えた。というか覚えられた!!達成感あり…。
数学は中1の頃から苦手科目だった。マイナスを用いた計算が苦手だった。N先生は優しく数学を丁寧に教えてくれたおかげでやっと50点以上も"取ることができた。
高1と高3の時、中学校の同窓会に行った。
1年生のときはみんな相変わらずだったけど、3年生のときは髪をバッサリ切った子とかメイクを覚えだした子などがおり、少し困惑した。
仲の良い後輩がいた。その子とは病院繋がりで知り合った。夏休み(通称:夏休み組)に入ってきた子たちだった。その子たちとは夏休みの間、トランプゲームをしたり、王様ゲーム!?をしたり、UNOをしたりして楽しんだ♪
そして、夏休み中に誕生日を迎え15歳となった。