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悩みがなくなる。常識を疑う『知的複眼思考法』との出会い【Taro's】

『知的複眼思考法』との出会いは神保町の本屋だった。この本が自分の運命を変えることになるなんて、平積みされたその本を見た時には思いも寄らなかった。常識を疑い、自分の頭で世の中の事象を捉え直す。そんなことをこの本は教えてくれた。

早稲田大学第一文学部の試験前日

その日、僕は新幹線で大学受験のために東京へ向かった。お昼過ぎに東京に到着すると、ホテルに荷物を置き神保町へ。

明日は人生最後の大学受験の日だったが、E判定の大学に受かるとは思わず、気分はかなりの諦めモードだった。

それでもわざわざ東京へ来たのは、神保町へ行きたかったからだ。本屋の聖地と思っていた僕にとって神保町は渋谷や新宿よりもどこか憧れを抱く場所だった。

『知的複眼思考法』との出会い

神保町をフラフラと歩き、古本屋をいくつかまわっていると、緑の看板が目立つ書店があった。廣文館書店という本屋さんだった。大型新刊書店が軒を連ねる神保町で、どっしりと歴史を感じさせる佇まいの書店だった。創業80年、現在も健在だ。

どちらかというと古本屋巡りを楽しみにしていた僕にとって、新刊を発売する書店はそれほど魅力的ではなかった。なんかこう、宝探し感がないというか、浪漫がないというか、地元の大型書店でもそれなりに本は手に入ったので、わざわざ東京に来てまで行くような場所でもない気がしたからだ。

ただ、早朝から長時間の移動で疲れていたのと、そろそろホテルに帰ろうかな、と思っていたので「なんかおもしろい漫画でもないかな」ぐらいな気持ちでその本屋に立ち寄った。

そこで僕は運命的な本に出会う。『知的複眼思考法』と名付けられたその本は、レジの前の一等地に平積みされて置かれていた。なんとなく気になり、手に取って少し立ち読みをしてみると、「常識」にしばられたものの見かたから解放するための思考法である、というようなことが書いてあった。

大学の授業で映画をもとにした課題文の用紙に「A〜D」の数字が書いているところから常識を疑うための授業がはじまる。ただ、先生が悪戯で書いただけの「A〜D」の数字を見た学生は、課題文の評価だと勝手に考えて一喜一憂する。そう思わせてしまうものは何だろう?という問いは、シンプルだがおもしろく、ちょっと読んでみようかな、という気持ちで購入した。

常識を疑い、自分の頭で考えるということ

僕はその夜、明日が入試だというのも忘れてその本を読みふけった。僕にささったポイントは「常識的な考え」の脆弱さをついたところだった。

僕が通っていた学校の生徒は、半分が就職し、残り半分が地元のそれほど偏差値が高くない大学に進学する。そんな高校だった。その中で勉強をしていると、勉強をしていることが悪だ、みたいな感じになってくる。

あいつは勉強ばかりしているから冷たい。あいつは勉強ばかりしているから、人付き合いが悪い大人に将来なる。そんなことを生徒はおろか先生からも言われる始末だった。

目標に向かってがんばる、という点では評価されても良いはずなのに、なぜ花園をめざすラグビー部の面々は評価されて、僕はネガティブなイメージを持たれてしまうのか? 一部の人たちに限ったことではあったが、その冷たい仕打ちがずっと疑問だった。

これに近いエピソードが『知的複眼思考法』には書かれていて、どうしてこのような思考、常識が世の中にはびこっているのか。事実との差分に目を向けながら、「受験を勝ち抜いてきたものは、人間的には冷たい」といったイメージがどうしてこれほど広まっているのか。そうした「常識」が広まることで、何が隠されているのか。競争の勝者を否定的に見なすことで、私たちの社会は、何を得ているのか、失っているのか。そんなことが丁寧に書かれていた。

『知的複眼思考法』が与えてくれるもの

この本には「正解」という幻想(世の中に正しい答えがあるというのは思い込みである)、夫婦別姓について(明治30年の民法改正で夫婦同姓になったため比較的新しい風習であること。韓国が夫婦別姓なのは、男女の平等ではなく家族を重んじるから)、読書のときの著者とかかわりながら本を読むコツ(意見に賛成、反対。どこか無理があるな。例外はないか、などをメモしていく)、客観的な記述と主観的な記述の見分け、など当時の僕からすると目からうろこの考え方が並んでいた。

大人から言われたこと、教科書に書いていること、勝者が書いた史実という名のフィクション、など常識的にそうだと信じられていることを疑ってみるクセがついた。

周囲がこう言っているから、そうなのだろう、とか。
権威ある人やメディアが言っていることは信じてしまう、とか。
そういったところに自分なりに考えて、違うなら違うと思うと主張する。
僕自身が何を感じ、それをどう捉えて、どういう考えになったのか。
そこには正解もなければ、不正解もない。
そんな風に考えるきっかけをくれた本が『知的複眼思考法』だ。

人生を変える運命の一冊になる

翌日、僕の頭は冴えていた。これ以上ないというほど冴えていた。
休憩時間も単語帳ではなく、『知的複眼思考法』を読んでいたが、それが良かったのだろう。僕は見事に直前の早大模試でもE判定だった早稲田大学の第一文学部に合格する。

早稲田に合格していなければ、僕は同志社大学に行っていたから、大学で東京に来ていないことになる。もちろん、結果はわからないが、あの日、この本に出会っていなければ、僕の人生は大きく違っていたのではないかと思うのだ。

ちなみに僕は何か悩みがあると、この『知的複眼思考法』を読むことにしている。人に譲ったりもしたので、かれこれ10冊以上購入しているのではないかと思われるほど、読み込んできた本だ。

悩んでいる時はどうしても視野が狭くなる。悩みを解決することで頭がいっぱいで他のことに頭がまわらなくなる。そんなときにこの本を読むと、視野が広くなるし、何より悩んでいることから解放される。

もし、何かに煮詰まっているのなら『知的複眼思考法』を読んでみると良いだろう。きっと新しい視点をあなたにくれるはずである。


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