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映画用フィルムの思い出話③

私は大学に入るまで8ミリフィルムやビデオカメラはおろか、スチールカメラすらほとんど触ったことが無いド素人でした。
では、なぜキャメラマンをやろうと思ったのか?おそらくは構図作りが好きだったからだと思います。私は元々マンガ家になりたかったのですが、ストーリーを考えるのが苦手でした。ただ、コマ割りをして構図を考えて絵を描くのは好きでした。また、中学生頃から単行本になった脚本を読んで、頭の中に画面を思い浮かべるのも大好きでした。
絵を描くのは好きでしたが、画力が伴わず、なかなか思い描いた構図で絵を描けないジレンマを感じていた所に、キャメラマンという存在を意識した時に「これなら思い描いた構図がすぐに出来る!」と思ったのでした。
そんなことを思いついたのが大学2回生になる直前でした。

それからは結構必死だったと思います。
日本映画撮影監督協会が発行する「映画撮影」という雑誌を購読したり、憧れていた撮影監督:高間賢治氏の著作を読んだり、とりあえず露出計を購入して色々な場所で露出を計測したり…はっきり言って、かなり変人状態でした。

大学2回生の夏休みに、友人の誘いで自主制作だけど一般公開する16ミリ映画の現場に入って、色々迷惑かけながら走り、でもかなり勉強になりました。

2回生の秋に初めての16ミリ映画の撮影を始めました。
「とにかく綺麗な画を撮る」と決めて、結構しっかりレフ板使ったりしました。他のグループではフィルム装填のミスや逆入光でフィルムの光線被りが散見される中、そのような致命的なミスも無く現場は終えられました。
まあ、若さゆえのスタッフ同士の言い合いとかはたくさんありましたが。

大学の課題で制作した作品でしたが、大学は最初は編集したラッシュフィルムとダビングしたシネテープを同期上映させて課題終了と考えていました。これに学生が猛反発して、10分程度の短編とはいえ、10本以上の作品の仕上げなのでそれなり金額がかかったと思うのですが、大学側も納得して全て1本の作品として仕上げることが出来ました。ネガ編集もしましたが、この経験があって「こりゃ、自分でやらない方が良い」と判断出来ました。
ちなみに、3回生になった時にこの作品群の上映会を開催したのですが、30年ほど経った今も、この上映会が学内イベントとして残っているのは嬉しく感じます。あの時、大学に交渉して良かった…。

音のことを少し書きます。この作品は同録出来ないキャメラで撮影していたので、当然オールアフレコでした。台詞はまだいいのですが、実は効果音って大変なのです。色々なCDとかから音源を探したり、自分たちで作ったりしました。幸い、夏に参加した作品の音響をやった方(音響のプロの方)から色々助言をもらったり、仕上げを手伝ってもらったので、学生作品としては結構なクオリティだったのではないかと思います。この音響のプロの方は先駆的な方で、当時からMacを使って音の仕上げをやってました。その辺りもすごく刺激的でした。

映画(特に自主作品)って、デジタルになった現在でもそうだと思うのですが、「音」ってすごく大事だけど難しいのです。時々プロの作品でも「台詞が聞き取りづらい」とかありますよね。でも、台詞が聞き取れないとストーリーの理解が弱くなったり、観賞時のストレスになると思うのです。だから、私は撮影部が主とは言え、自分が関わった作品はそれなりの音の質は求めていました。
時々、日本での評判が「台詞がわかりづらい」などで今一つなのに、海外で評価される作品があったりしますが、あれって、多分字幕で情報が補填されているのかなと思います。

最後に、この処女作の評価なのですが、ヒロインの女の子が可愛く撮れていたようで、反対に「お前、男撮る時手抜いているやろ」なんて言われました。

まあ何とか自分の中での本作で考えていたことはクリア出来たかな…と思いました。
では、また次回…

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